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紺碧の将
Interview Blog Vol.99

大好きな草で風を描いていきたい。

洋画家岩井綾女さん

2020.05.09

「風を描く洋画家」と言われる岩井綾女さんは、草をモチーフに風を描き続ける若手女流画家のひとり。幼い頃から絵を描くのが好きで、暇さえあれば一日中絵を描いていたといい、大学進学や就職も「絵を描く時間が確保できるかどうか」が決め手だったとか。高校生の頃に見た枯れ草の風景が忘れられないと、いまだ草を描き続けている岩井さんの、絵を描く意味、たどりついた心境をうかがいました。

草に魅せられて

岩井さんの作品は、草がモチーフになっているものが多いですね。何か理由があるのですか。 

 草が好きなんです。雑草と言われているような、無造作だけれど自由にたくましく生きる草が好きです。花にしても、花壇に整然と並んでいる花よりも草花のほうが惹かれます。

草が好きというのは、いいですね。それを意識したのはいつごろですか。

 はっきり意識したのは高校生のころでしょうか。それ以前も、登下校中に何気ない風景に感動することはよくありましたが、はっきり自覚はしていませんでした。周りの好みとは違うな、と思っていたくらいで。

なにかきっかけがあったのですか。

 美術部の仲間とモチーフを探しに河川敷に出かけた時、枯れ草が風になぎ倒されているのを見たのがきっかけです。その光景があまりにも美しくて、すごく感動したんです。太陽の光でキラキラ輝いて、枯れて倒れているのに、なぜか力強いエネルギーを感じました。なんて綺麗なんだろうって、見惚れました。あの光景が忘れられなくて、それ以来ずっと、草ばかり描いています。

岩井さんが「風を描く」洋画家と言われていることも、そのときの体験が関係しているのでしょうか。目に見えない風を描くのは簡単ではないでしょうし、それを特定したのはめずらしいと思います。意識して風を描いているのですか。

 今はそうですが、最初から意識していたわけではありません。アーティスト仲間から「あなたの絵は風を感じる」と言われて、はじめて自分が無意識に風を描いていたことに気づきました。作品展で埋もれてしまわないためには人との違いを明確にする必要があると教えられ、仲間に自分の作品の特徴を聞いてみたら、そう返ってきたんです。あのとき見た光景があまりにも衝撃だったから、もしかすると、知らず知らず風にゆれる草を描いていたのかもしれません。

絵に没頭した日々

絵を描き始めたのはいつごろからですか。

 保育園のころです。お絵かきの時間に「たのしい!」と思ってから、暇さえあれば絵を描くようになっていました。
小学校にあがってからも、ずっと絵を描いていましたね。得意科目は美術と体育。勉強は苦手でした(笑)。

本格的に絵を学ばれたのはいつからですか。

 高校からです。風景画を中心に絵の基礎を学びました。その高校は美術や音楽などの専門科目に力を入れている私立校で、日中の一般科目の授業以外、ほとんど絵を描いて過ごしていました。授業前の朝練はクロッキー、6限目以降は水彩で風景を描く。美術部とはいえ、連日、体育会系並みのハードな練習でしたね(笑)。

そのころに草との邂逅があったのですね。高校を卒業したあとは美大に?

 いいえ、国立埼玉大学教育学部に進学しました。最初は芸大への憧れもあったのですが、高校でいろんな展覧会に出展し、賞を獲得するようになってから美大を目指すモチベーションが下がってしまいました。最初は賞をもらうのも素直に嬉しかったのに、だんだん絵を描く目的が賞を獲得することになってしまって……。絵を描くことってそういうことじゃないはずと思いながらも、入選したり入賞したりすることばかり考えている自分がいて、そういう自分に疲れてしまったんです。
 美大へ進んでもまた順位ばかり気にするんじゃないかと思ったら、美大に進もうというモチベーションを保つことはできませんでした。

大学は教育学部ということですが、それはやはり「美術の教師」ということですか。

 一応、表向きには(笑)。とにかく、絵を描いていたいという思いだけで、特に教師を目指していたわけではありません。画家になりたかったわけでもないですし、好きな絵を描き続けていられるならと思って教育学部を選びました。ただ楽しみながら絵を描きたかっただけなんです。

そのころも草を描いていたのですか。

 はい。いろんな絵を描き、周りの人たちの作品を見ながら、自分はどうしたいのか、何を描きたいのかと考えると、やっぱり草に行き着くんです。草以外に惹かれるモチーフがないのなら、好きなもので埋めればいい。人物やいろんなモチーフを描くのではなく、草で埋めていこうと思って草を描くことに決めました。

自分を知った社会生活

大学を卒業したあとは、どうされましたか。

 絵を描き続けていたかったので、大学院に進みました。といっても、埼玉大学ではなく、上越教育大学の大学院です。芸術系コースでさらに2年間、寮生活をしながら学びました。
 大学4年生の時、周りは就職活動で忙しそうでしたが、私は就活もしませんでした。ためしに一度だけ企業説明会に行ったのですが、あの雰囲気に馴染めず、自分には会社勤めは向いていないと思ってやめました。いくら考えても絵を描く以外にやりたいことはない。それなら大学院に進もうと考えたのです。そのまま埼玉大学の院生になれればよかったのですが、実力が伴わなくて(笑)。

次に選んだのも教育大学ですね(笑)。やはり2年後は教職に就かれたのですか。

 学童保育の指導員を少し。絵を描く時間を確保したくて、学童保育の指導員なら大丈夫だろうと思って。実際働いてみたら、結構大変で。半年が限界でした(笑)。その後、小学校の臨時教員もやってみましたが、1ヶ月しか持ちませんでした。自分には教師は向いていなんだと、つくづく思いましたね。

仕事が決まらないとなると不安ではなかったですか。

 不安でした。ですから、絵を描いていても集中できないこともありました。見かねた友人から高校の臨時教師の誘いがあったのですが、これまでのこともありましたし、最初は断ったんです。でも、友人も心配してくれているのだからと、しぶしぶですが話を受けてみると、意外にも高校はなんとか続けられたんです。小学校とはちがって美術だけを担当すればいいというのが自分に合っていたみたいです。

臨時教師ということは、1年、あるいは2年の任期ですか。

 1年の任期です。でも3年間くらいなら同じ高校で更新できるみたいでした。いてもいいなら2年か3年と思ったこともありましたが、1年で辞退することにしました。というのも、浦和伊勢丹で行われたプロの画家になるためのアーティストオーディション「アールデビュタントURAWA2013」の公募展に応募していた作品が選出されて、教職の臨時適任要員が決定した数日後に連絡が来たのです。3月中旬ごろでした。
 まさか選出されるとは思っていなくて、連絡がきてビックリしました。展覧会はちょうど夏休みに入るころだったし、期間中は展覧会場にいたのですが、初めて絵が売れた時は不思議な気分でしたね。好きで描いていた絵が売れるんだって。

そのことがなぜ、臨時職員の辞退につながるのですか。

 実は、そのことが地元の新聞に取り上げられたんです。「岩井さんら美術家目指す」と。あまりに大きく載っていたので驚きました。その展覧会は販売が目的で、私はそういう展覧会は初めてでしたし、絵が売れるとは限らないからあまり重く考えていなかったんです。でも、教師という立場上、副業は許されません。そのことが学校側の知るところになって校長から厳重注意があり、公立の教員をしながら絵の販売はできないなと思ったため、1年で臨時教師を辞退することにしたのです。

しかし、ご自身も教師は向いていないと自覚していたとおっしゃっていましたし、岩井さんにとってはかえってよかったのではないですか。

 そう思います。そのときに展覧会で出会った人が、若手アーティストが集う「イレブンガールズアートコレクション」の一員で、その出会いがきっかけで私もイレブンガールズの一員になることができました。

風を描くアーティストへ

イレブンガールズというのは、なんですか。

 イレブンガールズアートコレクション、略して「EGC」というのですが、これは2010年に結成された日本初の女性アーティストユニットです。ふだんは個々に活動し、展覧会にのみ集結して協力します。画壇や会派からは離れ、一般公開の場で評価を競いながらアーティストとしての技術を磨く「学び舎」ですね。ソロ活動のステップアップに焦点を置き、年に2、3度、同志が集う展覧会で互いのアーティスト意識を高め合うんです。個人の売り上げ成績が良ければ個展への昇格もありますから、画家を目指すにはとてもいい場所ですよ。私は2013年にグループの一員になりました。

画家としてスタートを切られたあとは、どのような活動を?

 イレブンガールズの一員としては、2014年に大阪で開催された「イレブンガールズアートコレクション」に初めて出展しました。それ以外の展覧会にも積極的に出店しています。
 ありがたいことに、2013年の「アールデビュタントURAWA2013」に出展以来、浦和伊勢丹で行われる展覧会では、常連アーティストとして毎回出展させていただいています。ほかの百貨店からも個展の依頼を受けるようになり、絵を買ってくれるファンも増えました。

そうですか。どんな状況の中でも絵を描き続けてきた結果ですね。あのまま高校教師の職に就いていたら、また違った人生になっていたでしょう。

 そうですね。絵を描いていたいという想いだけで描き続けてきましたから。高校生の頃はいろいろ悩みましたし、今でもなぜ絵を描くのか、と自問することもあります。ですが、EGCの頃から描くテーマも自覚し、描き続けてきた草が美しいものだという自信もあります。あの経験は、私に画家としての足がかりをつけてくれて、作品を気に入ってくださる多くの人との出会いももたらしてくれました。今も個展会場に来ていただいた方に絵の説明をしているとき、『ああ、私は絵が好きなんだ』とあらためて実感します。ただ、作風から、そんなに多くは描けません。本来なら月5点くらいは描き上げないといけないんですけど、それがなかなか思うように進まなくて(笑)。

「草と風」というモチーフは定まっていますが、新たに挑戦しようと思っていることはありますか。

 今も少しずつ描きはじめていますが、風が吹いていない絵、無風の絵も描いていきたいと思っています。
これまでは、目に見えない風というものを、目に見える草によって表現したいと思って描いてきました。風を感じるには動きが必要だからです。草を描くのは風を感じてほしいから。空気感です。絵から立ち上がる空気を表すために、風や草を描いてきました。
 でも、風を感じるのは動いている状態ばかりではないですよね。枯山水のように、水のないところに水を感じるということと同じで、風のないところに風を感じることもできると思います。ですから、今は静けさや穏やかさ、静謐な空気を、同じモチーフを使って表現できればと思っています。

(作品写真・上から「ナズナの夢」、スケッチ中、「さらさら響く」、イレブンDMスキャンH.28阪神梅田、「緑の星」)

(取材・文/神谷真理子)
 

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