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紺碧の将
Interview Blog Vol.97

100年を越える伝統を持つ味を、後世につなげていく。

有限会社神保栄三久商店 5代目神保和功さん

2020.03.25

神保さん

 

明治35年創業の神保栄三久商店は、5代に渡り味噌文化を紡いでいる野州吟醸味噌の蔵元です。その5代目にあたる神保和功さんは薬剤師の資格を持ち、漢方薬を扱う会社での勤務歴があります。そこでの経験を活かし、蔵に入ってからの12年間でさまざまな改革をしてきました。経営者として変えるべきところは変え、味噌づくりの職人として守るべきものは守る。その上で商売の原則原理を学び、理解し、実行する。歴史ある蔵元の若き当主、神保和功さんのこれまでの歩みやこれからのことをお聞きしました。

伝統ある野州吟醸味噌、その5代目として

神保さんはふだん、どのようなお仕事をしていらっしゃるのでしょうか。

 味噌の醸造・麹の製造・甘酒の醸造を中心に、他企業様とのOEM製造(他社ブランドの製品を製造すること)、ホームページの運用をしています。スーパーや直売店への卸売はほとんどやりません。商品は直売やネット通販事業で売っています。あとは商品ラベルやギフト用の箱、広告物のデザイン制作もそうですね。昔からフォトショップ(編集用のソフト)を使っていて、そういう作業は慣れていますから。

神保さん神保さん2015年にリニューアルをしたこちらの店舗、お伺いをしてまず驚いたのがその佇まいです。白い空間で高級感と清潔感があり、デザイン性も高いですね。

 同業他社との差別化の意味もありますが、見せるべきものを見せて無駄なものは見せないのが自分の方針です。味噌屋というと木造平屋の建物で売っているイメージがあります。確かに味噌屋らしいかもしれませんが、茶色の空間の中では味噌の色がよく分からないのでは? と昔から思っていました。この白い空間の中なら、お客様に味噌の色をよく見てもらえるじゃないですか。

 ただ、そういう考えでこのようなデザインにしたものの、まだまだブランディングができていない部分があって、経営のコンセプトがしっかりと固まっていないのが今の悩みですね。

建物だけじゃなく商品ラベルやギフト箱のしっかりとしたデザインを見ると、コンセプトが固まっていないというのは意外です。

 とあるコンサルタントの方とお話をする機会があり、そのときに「この建物のコンセプトや野州吟醸味噌のブランディング、これからのマーケティングをどうしたいのか、神保さんの仕事が伝わってこない」とハッキリ言われました。「東京ならこれでよくても、日光という地域ではまた違う。独りよがりなことをやっているとお客様のニーズはつかめないし、ただの自己満足で終わってしまうよ」と。

 自分でもうすうす気づいていました。味噌屋としては斬新なデザインで味噌の色もよく見える、そう思い描いた味噌屋の雰囲気が作れて1年目までは満足していました。ただ、次の展開を考えたとき、将来のビジョンが見えてこないんです。野州吟醸味噌をどうブランディングして、マーケットをどう広げていくのか。そういう部分がこれからの課題なんです。

神保さんデザインについては独学ですか。

 そうですね。昔からデザインが好きで、フォトショップは小学生のときから使っていたんですよ。小学6年生のとき、新しい物好きの父が買ったデジタルカメラでカエルの写真を撮りました。カエルの顔にへのへのもへじを書いて遊んで、こんなことができるんだと感動したのを覚えています。それからは年賀状も工夫して作ってみたり、大学の学園祭のポスターを作ったり、そういう制作はずっとしていました。

 蔵に戻ったとき、最初に商品案内のリーフレットを作りました。お客様の反応もよく、デザインで付加価値をつけるってこういうことなんだと実感しました。商品パッケージのデザインも自分でやりたくなり、いろいろなものを作っていく中で自分なりの見せ方を考えていきました。

家業を継ぐまでの道のり

薬剤師としての経歴をお持ちですが、5代目として蔵元を継ぐと決めたのはどのくらいの時期からですか。

 小学生の頃からずっと蔵を継ぐと言っていました。次男なんですけどね。中学と高校の卒業アルバムにも味噌屋になると書いていたぐらいです。なぜかは分かりませんが、家業を継ぐのが当たり前だと思っていたんです。

継ぐという意識はそんなに小さい頃からしていたんですね。実際に継いだ今と昔とで蔵の仕事の印象は違って見えますか。

 今よりも昔のほうが段違いに忙しかったです。職人さんも今の倍はいましたし、機械の音が一晩中響いていた記憶があります。

 中学と高校は寮だったので、12歳から家を出ました。大学を卒業し、薬剤師として勤務。その後、蔵に戻るまで14年ほど家を離れていたんです。だからその間の蔵の状況がまったくわからなくて、いざ戻ったときに唖然としました。あの頃と比べてあまり忙しくないけど大丈夫かなって、少し焦りましたね。

小さい頃から継ぐと決めていて、その上で一度薬剤師の道に進んだのはなにか理由があったからですか。

 自分が継ぐまでに蔵が絶対に存続できる保証なんてありませんから、万が一のことも考えて何らかの資格だけはとっておくように親から勧められました。自分としても一度社会に出るのはいい経験になるという考えがあり、高校卒業後の進路もそのようにとりました。理系の自分が進学できる大学で資格が取れるところが薬学部だったので、じゃあそっちの道に進もうと思って。だから志があって薬剤師になったわけではなく、安易な理由でした(笑)。しかし今となっては薬剤師として働いたことが凄くいい経験だったと実感しています。

神保さん薬剤師として勤務した会社とはどんな会社だったんですか。そこではどのようなことを学べましたか。

 漢方薬を専攻していたので、漢方薬のカウンセリングと調剤・健康食品関係の販売をしている会社に就職しました。最初に南青山の店舗に配属されましたが、まっさらでガラス張りのブティックのような店で、取り扱う商品(漢方)の見せ方が凄くキレイなんです。ここまで漢方を芸術的に見せることに感動しました。それなら味噌でも同じことができるだろうと思い、蔵元本店をリニューアルする時にデザインや雰囲気を参考にした部分はあります。

 それに加えて商売の基本、原則原理を知り、都会の中でデザインの感性も磨かれたと思いますし、貴重な3年間でした。

3年間というのは蔵元に戻る期限として予め決まっていたのですか。

 意図的ではなく偶然でした。恥ずかしながら上司と喧嘩をしまして……。やってられるかと言って辞めちゃったんですよ(笑)。外国の方だったので、文化の違いからくる考え方や価値観の相違が積み重なって、ドカンと爆発しちゃったんです。ありがたいことに本部からは引き止めてもらったんですけど、いずれは蔵元に戻るつもりでしたから、それなら今がちょうどいいと思ったんです。

商売の基本を知る

得難い経験を得て、蔵に戻られたのが26歳のときですね。ネットショップの運用、ラベルや広告物の更新、甘酒の開発など神保さんが戻られてからは蔵も大きく変化、そして進化をしていますね。

 一番最初に手を付けたのがホームページとネットショップでした。ずっと放置されているようなホームページではなく、ちゃんと機能するものを作りました。この時代ですから、まずはネットで展開することを考えないといけませんからね。

 あとは広告物や商品ラベル、ギフト用の箱などの印刷物関係の刷新です。広告媒体や印刷物って軽く見られがちですが、ファーストインプレッションはすごく大切な要素だと考えます。信用あるお店で品質の高い物を買っている印象をお客様に持ってもらうためにはデザインが重要なんです。味噌や麹の味と品質は最高峰である自負があります。そこにデザインで付加価値をつけることで、最高の商品をより満足度の高い形でお客様にお届けすることができるんです。

神保さん最高峰の商品を扱っているからこそ、ブランディングやマーケティングが重要になるわけですね。

 醸造屋というのは30年ほど前までは胡座かいてても商売ができていたんです。ある程度冬に仕込みをして、あとは何をしなくてもお客様が買いに来てくれるような状況でした。生活必需品ですからね。でもそういう時代は終わりました。時代に合った展開をする必要がありますし、そのためには商売の基本を改めて見つめ直し、実行しなければいけません。

商売の基本とは具体的にはどのようなことですか。

 これは東京勤務での3年間で大きく学ぶことができました。薬剤師の仕事も商売という意味では同じなんです。ただ売るだけではなく、お客様に対して接客からその後のケアまでしっかりと対応する。普通の処方箋薬局ならそこまでしないだろうという高いレベルでお客様に対応します。歩き回ってポスティングだってするし、その会社の会長も、朝は会社の両隣3軒まで掃除をしなさいと言います。華やかなだけじゃなくて、泥臭いこともやるんです。地味なことも地道にやる。そういうことが商売の基本だと思うんです。

 決して驕らないこと、地域やお客様のための商売なんだと自覚し、やるべきことはしっかりとやる。物を売るだけじゃなく、蔵元としての姿勢、意識を示すことが後の100年につながるんです。

製造者として、徹底的に味にこだわる

神保さん甘酒は日光東照宮や星野リゾートをはじめ、各所から取り扱いの需要が絶えないほど人気の商品です。特に人気の冷やし甘酒は神保さんが研究の末に開発したものだと伺いました。

 冷やし甘酒が世に出回りはじめたとき、ウチでも作ろうと思い、試しにそれまで蔵で醸造していた甘酒を冷やして飲んでみたんです。ところがこれが美味しくない。温かければ美味しいんですよ。なんで冷やすと美味しくないんだろうと思いながら、3年は研究を重ね、試行錯誤しながら作っていきました。

 甘酒って3つの大事な要素があるんです。飲み口と味わいと香りです。その中でも特に飲み口。甘酒が嫌いな人の多くはドロドロとして最後にヌカ臭さが鼻から抜けるような飲み口が嫌だと言います。それで飲み口を徹底的に研究したんです。ようやく完成して、売り始めたのが5年前から。この冷やしの甘酒の飲み口は抜群です。スッキリ飲めて、だけど香りも甘さもしっかりとあるものが出来上がりました。

開発期間が3年、それだけかかっても納得のいく味を追求したからこれだけ人気の甘酒になったんですね。

 やはり自分は製造者でもありますから、甘酒に限らず味噌や麹の味にもこだわります。だからこそ信用してもらえる。この冷やし甘酒をいざ売ろうかというタイミングで、日光東照宮から声がかかったんです。夏にも飲める冷やし甘酒を出してもらえないかと。他にも何社か声をかけていたみたいですけどね。最初は値段の折り合いがつかなかったんですが、紙コップと甘酒を持って乗り込みまして(笑)。この味ならと納得していただいて、それで取引が成立したんです。

 そこから一気に甘酒の生産数が伸びて、味噌と肩を並べるくらいになりました。確かに単価は少し高めですが、この味をわかってもらえれば納得していただけるという自信がありました。

神保さんブランディングやマーケティングの構築は商品が最高の品質であることが前提なのだということがよくわかります。

 使用している材料が高級なわりには美味しくない、値段が高いわりには美味しくない、これは一番やりたくないことです。中身が伴っていないものを大げさな謳い文句で売り、買ってくれた人がガッカリするような物を売るのは、商売以前の問題です。

 野州吟醸味噌はお客様に自信を持って「絶対に味に関しては間違いはない」と言えます。100年を越える歴史が残してくれた技術やノウハウをしっかりと受け継いだ確かな“モノ”がここにはあります。最高の武器はもう持っているんです。だから後はそれをどうブランディングしていくか。どうやってマーケティングを広げるかが、これからの自分に課せられた課題ですね。

(取材・文/村松隆太)

Information

【有限会社 神保栄三久商店 野州吟醸味噌】

〒321-1261栃木県日光市今市1402

TEL 0288‐21‐0237 FAX 0288‐22‐7719

HP:https://www.yoimiso.com

 

神保さん

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