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紺碧の将
Interview Blog vol.62

人の心に響く絵を描きつづけたいですね。

洋画家前田麻里さん

2018.11.11

宮沢賢治の世界を彷彿とさせる、美しい青を基調とした洋画で多くの人を魅了している洋画家の前田麻里さん。個展を開くと、通りすがりの人がふと足をとめ、絵の前にじっと佇んでいることがよくあると言います。心の奥深くに眠っていた何かと共鳴するのか、足をとめた人の多くは、次の個展にも、また次の個展にも訪れてくれるそうです。数々の個展に加え、小中学校での詩の朗読や舞台、市原市での地域活動、小湊鉄道とのコラボレーションなど、絵から広がった人との縁や活動をうかがいました。

絵の原点は父と自然

麻里さんは昔から絵を描くのが好きだったのですか。

 好きでしたね。父がテキスタイルデザイナーだったので、自宅にはアトリエがあり、いろんな色のインクや外国の画集などがたくさんあって、それを見ているだけで楽しかったです。父の傍らでよく絵を描いたりしていました。私がまだかなり小さかったある日、アトリエの壁にまで絵を描いてしまって、父はそれを叱るのではなく、「これは上手い!」と褒めてくれたことを覚えています。その後も父はその絵を消さずにそのまま残してくれていたので、少し大きくなった私は、その壁をみるとちょっぴり照れくさく、嬉しい気持ちになりました。

素敵なお父様ですね。

 ありがとうございます。父は絵の教室もやっていたので習いに来る子供たちと一緒に絵を描いたり、みんなでスケッチに出かけたりもしていました。父とはよく一緒に野山を歩いて自然のことをいろいろ教えてもらいました。父は私にとって一番の絵の師匠ですね。本が好きだった母は、絵本や童話集などを、たくさん用意してくれました。そんな少女時代が表現者としての原点になっているのだと思います。

やはり、学生時代は美術部だったのですか。

 いいえ、卓球部で、かなりのめり込んでいました。就職するときも、先輩から「卓球部があるからおいで」って誘われて、それで就職先を決めたくらいです(笑)。ただ、プライベートでも絵は描きつづけていました。

OLになったということは、絵の道に進もうとは思っていなかったのですか。

 思っていました。だからと言って、絵描きになると決めて、いきなり生活できるわけではありませんからね。絵描きになるために仕事をしながら絵の勉強をして、いつか必ずプロの画家になりたいと思っていました。

あらためて絵を学ぼうと思われたのですね。

 油絵を描いてみたかったんです。それまでは水彩しか描いたことがなくて、油絵の描き方を一から勉強しようと先生を探しました。なかなか思うような先生が見つからなかったのですが、ある日、高校時代に最優秀賞を受賞した「愛の灯を」という作品がポスターになって、市内のバスに貼られていたのを見た絵の先生が、近くで教室を開くので来ないかと声をかけてくださいました。それが、今所属している創作画人協会の亀山先生でした。先生は、私の個性を大切にご指導くださいました。

今の作品の画材は油絵具ですか。

 いいえ、アクリル絵の具を中心にしたミクストメディアです。最初は油絵具だけで描いていたので、初めてアクリル絵の具を使ってみた時は、乾きが早すぎたり、扱いがとても難しいと思ったのですが、今はその特徴をいかし、色が濁らず制作できたり、私にとっては欠かせない画材になっていますね。今後もより自分らしい表現のためにさまざまな材料を探し、試していきたいと思っています。

心の支えとなった師のことば

プロの絵描きとして転機が訪れたのはいつ頃ですか。

 1995年に朝日新聞事業団主催の第1回「朝日チューリップ大賞展」に応募して、大賞をいただいてからです。副賞が、銀座の「朝日アートギャラリー」で個展を開くことで、しかもとても大きな画廊でした。ちょうど賞をいただいてから1年後に開催予定だったのですが、その情報がなかなか得られなくて、慌てて大小さまざまな作品を仕上げ、過去の作品も含め70点近く用意しました。それが私の初めての個展でもあり、本当に大変でした。
 展示の日に立ち会ってくださったのが、審査員でもあった、画家の田崎昭作先生でした。初めての個展の展示の日に、先生が言ってくださった言葉は今も忘れられませんね。

どんな言葉だったのですか。

「過去の人の絵を真似してもそれはその人にかなわない。自分の絵のいいところを大事に自分にしか描けない絵をかきなさい」「自分が描きたいと思った絵を描いてそれが売れる。それはそれで一番いいことなんだ」という言葉です。
 絵描きとして迷うことも多かった私に進むべき道を教えてくれた言葉でした。その後も田崎先生からは、絵描きとしての生き方など本当にさまざまなことを教えていただきました。

初の個展の反響はいかがでしたか。

 思いのほか、たくさんの方に足を運んでいただき、喜んでいただけてとても嬉しかったです。また、以前、創展に出品した100号の作品を購入してくださった方からも、作品をお借りして展示させていただいたのですが、その方が嬉しそうにずっとその絵の前に座っていらしたことが印象に残っています。

100号の絵が売れるというのは、なかなかないでしょう。それほど麻里さんの絵が好きで、手に入れたいと思われたのでしょうね。麻里さんの絵は宮沢賢治の世界を彷彿とします。

 個展を見に来られた方から続けて言われたことがあります。それまで意識したことはなかったのですが、そういえば子供の頃から宮沢賢治の世界は大好きで、教科書に出ていた「やまなし」や「どんぐりとやまねこ」「雪わたり」「風の又三郎」「よだかの星」など、みんな何度も読んでいたな…!と思いました。
 市原市の「水と彫刻の丘」で個展とトークショーを開催した時に、初めて賢治さんの世界を意識して『銀河の宙へ』という60号の作品を描き、「やまなし」などの朗読をしました。それからは、「銀河鉄道の夜」の朗読劇に参加したり、さまざまな形で、宮沢賢治は表現者としての私に刺激を与えてくれる存在になっています。

小湊鉄道とのコラボレーション

麻里さんの絵は何か惹きつけられるものがあります。ずっと眺めていたくなるような、優しい絵ですよね。

 ありがとうございます。そういえば、こんなこともありました。町田で個展を開いた時、長靴を履いて紙袋を下げた、ちょっと風変わりな男性がふらっと見に来られて、置いてあった『星あつめ』という画集を手にとってずっと見ていらしたんです。そのあと絵をざっと眺めて出て行かれたんですけど、しばらくして、今度は知り合いを連れて戻ってこられたんですよ。そして「君は絵を5点くらい並べて詩を朗読するといい」とおっしゃったんです。聞くと、その男性は文学者だということで、絵や詩の載った画集のことをずいぶんと褒めてくださいました。

それがきっかけで、絵から生まれた物語『星をつくる少年』の語り部をされるようになったのですね。

 そうなんです。一番最初は、千葉県の市原中学校で、親しくしている中学校の音楽の先生の研究授業の中でした。絵を数点並べ、子供たちの星の歌の後に『星をつくる少年』の語りをさせていただきました。子供たちのキラキラした瞳が、今でも忘れられません。その後は南市原市の廃校になる小学校最後の卒業生2人を送る会など、さまざまな機会で朗読などをさせていただいています。

南市原では地域活動にも参加されているのですよね。

 はい。きっかけは、15年くらい前、当時、中学校の校長先生を退職されたばかりの方が、地元の自然がなくなり過疎化している状況を危惧して、昔懐かしい里山の風景を取り戻そうと、土地を整備し里山保全活動を始められたころでした。市原にこんな素敵な里山があったんだと驚き、南市原に通うようになったんです。それが、いつの間にか、草刈りや種まき、不法投棄のゴミ拾い、イルミネーション、案山子づくりと、さまざまな活動に参加させていただくようになっていました。今年も菜の花の種まきの時は、みんなで800人分のカレーを作ったんですよ(笑)。

 日本全国で開催される個展の制作に追われる日々で、なかなか参加できないことも多いのですが、誰かの笑顔のために共に汗を流せる里山の仲間は、私が作品を生み出し続けるうえでも大切なことを教えてくれる大事な存在です。

そうでしたか。市原というと、小湊鉄道が話題ですよね。

 はい、地元の方も、みんな小湊鉄道が大好きです。田んぼや自然の中を小湊鐵道が走っている姿を見るだけで癒されます。数年前からトロッコ列車も走っているんですよ。「ポーッ!」と汽笛を鳴らして走ってくると、私たちも一生懸命手を振るんです。のんびり走るトロッコ列車に乗車している人も手を振ってくれます。都会にはないコミュニケーションですよね(笑)。 

市原市の活動である「アートいちはら2018秋」にも参加されるそうですね。

 はい。今年の春から始まった企画で、小湊鉄道をモチーフに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をイメージした作品を、廃校になった旧里見小学校で展示します。会期が11月23日(金・祝)から25日(日)と12月1日(土)、2日(日)と迫っているため、今はその準備に追われています(笑)。
『時速30kmの銀河の旅』として春は『始発駅』を、この秋は『乗換駅』と、それぞれ「宇宙と駅」や「銀河鉄道と小湊鉄道」をテーマに、ちょっと不思議でおもしろい仕掛けをしています。12月1日(土)、2日(日)は「メアリと魔女の花」などの脚本を手がけた坂口理子さん、振付師の美木マサオさん(マサオプション)と一緒に展示やパフォーマンスを行いますので、お時間があればぜひいらしてください。

それは楽しそうな企画ですね。地域での活動にも精力的に参加されている麻里さんですが、それ以外にはどのような活動をされているのでしょうか。

 現在は主に全国の百貨店での個展開催を中心に活動しています。千葉のアトリエで制作しては、全国の個展会場に出かけ、そこで出会う多くのみなさんから私自身たくさんの力をいただいています。年齢や男女を問わず皆様それぞれの暮らしの中で、私の絵がお役にたてていることをお聞きすることは本当に嬉しい限りです。また、幼稚園、保育園、こども園の子供たちと関わるお仕事もさせていただいています。私の絵が、未来ある大切な子供たちに少しでも役立つことが出来たら嬉しいですね。
 

Information

「晴れたら市原、行こう!」
アートいちはら2018秋
『時速30kmの銀河の旅(乗換駅)』
11月23日(金・祝)〜25日(日)
12月1日(土)、2日(日):(脚本家 坂口理子・振付師 美木マサオによるパフォーマンス)

場所:旧里見小学校

https://ichihara-artmix.jp/news/news/2018/09/25/1157/
 
前田麻里さん公式サイト
http://maedamari.com/

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