ポジティブな気持ちと日々の積み重ねが、自分自身をデザインしていく。
BAR JIGOKU バーテンダー岡野大輔さん
2018.06.21
栃木県大田原市で人気のバー「JIGOKU」。店名の由来を聞くと、岡野さんの生き方を見事に表現しているものだとわかります。20代はさまざまな職業を経験し、海外にも中期滞在、本当の自分を探すための時間でした。やがてたどり着いたバーテンダーの道。ポジティブシンキングと日々の積み重ねが生んだ、岡野さんの“JIGOKU”が今、この道に集約されています。
地元を極めていく
店名の「JIGOKU」ですが、やはり“地獄”を連想してしまいます。その“ジゴク”で合っていますか。
やっぱりそう思っちゃいますよね(笑)。でもその地獄じゃないんです。実はこの名前にはいろいろな意味が含まれているのですが、由来を説明するときはその中の2つだけ、お話をさせてもらってます。
一つは「地元を極めていく」という意味です。ここから“地”と“極”をとってJIGOKUと読みます。20代は東京中心の生活で、時には海外にも行きました。やがて地元に戻ったとき、やはり自分に合っているのはココなんだなって思いました。地域の人とのつながりが優しくて温かくて、地元が大好きなんです。
この商店街もだんだんお店の数が減ってきて……。やっぱり若い世代が盛り上げていくべきだと思うんです。ここに根を張って、地元を活気づけたい、この地を極めていきたい、そういう願いが込められています。
もう一つは「自分を極めていく」です。これも“自”と“極”でJIGOKUです。趣味が筋トレなんですよ。バーテンダーの仕事は体の線がきれいだと立ち振る舞いに表れます。お客様に見られる立場ですから、外見はもちろん、ちょっとした動作も含め常にスタイリッシュでありたいんです。
それにバーテンダーの仕事も日々勉強ですから、常に自分を極めていく姿勢の表現でもあります。
ほとんど店休日なく営業しているとお聞きしました。
都合で営業できない日もあるので、不定休という形をとっていますが、基本的に店休日はないですね。お客様が落ち着いてお酒を飲みたいとき、ちょっと話しをしたいとき、そんなときにいつでも気軽に寄れる店でありたいんです。
明け方までバーのお仕事をして、お昼のランチタイムは「JIGOKU」の隣にある、ご実家の料理屋『岡繁』で働いているとのことですが、睡眠時間もあまりないですよね。辛くなるときはありませんか。
辛かったらやってないです(笑)。もう仕事という感覚でやっていませんから。睡眠時間も4時間あれば充分です。朝8時には起きて、ジムで筋トレをしてランチタイムは岡繁、夜にバーの仕事をやるのが一日の流れです。常に体を動かして、生きてるって感じがします。充実していて楽しいですよ。
バーテンダーへの道のり
「JIGOKU」をオープンするまでにどのような道のりを歩んでこられたのでしょうか。
高校を卒業後、東京の百貨店に出店しているお店で2年働きましたが、その百貨店が潰れてしまったんです。その後は服飾の専門学校に入学し、スタイリストとデザインの勉強をしました。物をつくったり、絵を描くのが好きで、そういう道に進みたいと思って。
やがてスタイリストのアシスタントとして働きはじめたのですが、数ヶ月でクビになってしまいました。一つのミスがその後の仕事に大きな影響を及ぼすシビアな世界ですから、気楽な学生気分が抜けていなかった当時の自分では勤まりませんでした。
ではスタイリストの仕事はそこで諦めて、転職をしたのですか。
スタイリストの師匠が次の職場として、飲食店を紹介してくれました。よそで働いて社会勉強をしてこいって言ってくれたんです。しばらくはそこで働いて、それからグラフィックデザイン事務所でアシスタントもやりました。
そうしているうちに、海外に行ってみたい気持ちが芽生えてきました。東京の生活が何年か続いたことで、新しい刺激が欲しくなったというか、もっと自分の世界を広げてみたくなったんです。それでイギリスに行ってみようと思いました。
なぜイギリスを選んだのですか。
もともと音楽が好きで、イギリスと言えばロックですから。語学も含めて留学のつもりで行きましたが、ほとんど遊んでましたね(笑)。半年ほど滞在しました。日本人のコミュニティがあって、そこで知り合った人にインドを勧められて、次はインドに行くことにしたんです。
インドに行けば人生観が変わるとよく言われますが、確かに感じることはありました。貧富の差や現地の人たちの性格、あらゆる環境面について日本との違いを体験することができたのは財産でしたね。
イギリスでもインドでも、ただ遊んでるだけでしたけど、世界観は広がったし、人生観も変わりました。それまでの貯金と、足りない分は借りて行きましたが、この時に得た経験や感性が今でも活きています。
帰国後はイギリスに行った影響で、日本で音楽関係のイベント会社に勤め、国内の大きな音楽イベントの設営を5年くらいやりました。
これまでのお話を聞いていますと、ほんとうにいろいろなお仕事を経験していますが、そこからバーテンダーにつながることが想像できませんね(笑)。東京での生活にピリオドを打ち、地元に戻られたのは何かきっかけがあったのですか。
それまで経験してきた仕事はどれも楽しくて、大きな不満があったわけではないんです。でも自分の中にしっかりとした“根っこ”がないことに気づいてしまったんです。このままでいいのか、本当にやりたいことは何なのか、なんのために生きているのか……。今後どういう道に進んでいくべきかわからなくなり、東京での生活に行き詰まりを感じました。
地元のお祭りで帰省したとき、地域の人たちに今後のことを相談しました。だったら地元で仕事をした方がいいぞって言われて、それが決定的でしたね。
それで地元に戻られたのですね。その中でバーテンダーの道を選んだのはきっかけがあったのですか。
実家が料理屋(岡繁)なので、料理の仕事をやってみようと思いました。それで岡繁の別店舗で5年間働きました。やがて独立して店を持ちたいと思うようになり、それでバーをやろうと考えたのです。
地元のバーでバーテンダーの仕事を見ていたし、そこで出会った一本のウイスキーの味や香りの奥深さに感動して、お酒の魅力に気づきました。そういう出会いを提供できるバーって凄いんだなって思ったのです。
それにやったことがない分野、苦手なことにあえて飛び込みたくなる性分で(笑)。人見知りでしたし、料理屋では厨房の担当だったので、お客様と顔を合わせて接客をする機会がなかったんです。接客に挑戦するためにもバーが一番いいかなって。
積み重ねがあるからこそ、今の自分がある
バーテンダーになるために、具体的にはどのように行動をしていったのでしょうか。
通っていたバーで修業をさせてもらいました。
修業前から開店の準備を始めていたので、オープンまでの時間を逆算すると修業期間は1年間でした。だからこの1年ですべてを学ばなくてはという背水の陣でもありました。
バーテンダーの仕事・技術をしっかり見て、目で盗む。お店が閉店したあとにカクテルをつくって味を確かめてもらって、指導をしてもらうの繰り返しでした。
もちろんそれだけではありません。バーテンダーの仕事はカクテルをつくる技術と同じくらい接客が大切なのです。修業で初めて経験しましたが、技術的なことよりも大変でしたね。やっぱり元々人見知りなので(笑)。
でも慣れるとこんなに楽しいことはありません。この修業期間でますますバーテンダーの世界に引き込まれました。
バーテンダーのお仕事はビルド、ミキシング、シェイク、ステアなど他にも多様な技術が必要ですし、そこにレシピも加わりますから、覚えることはたくさんあるんですよね。腕を磨くためにしていることはありますか。
東京のバーに通って勉強をしています。自分だけの世界にこだわらずに、他のお店の良い部分をすべて参考にしています。あとは自分でつくるカクテルと味の比較もします。例えばジン・トニックと一口にいっても、バーテンダーによって味が違うんです。どう違うのか、なぜ違うのか、感じたことをレシピに取り入れます。
JIGOKUでお客様にカクテルを提供するときも、おまかせでオーダーされることが多いので、会話の中で好みや体調や気分を聞いて、それによって味の表現を変えていきます。ですから自分の引き出しが多くないと対応ができません。
お酒の知識やカクテルのレシピは日進月歩で無限にあります。まだまだ覚えることはたくさんあって、常に勉強ですね。
バーテンダーとしてやりがいを感じるときはどんなときでしょうか。
お酒が美味しかったと言われること、そして会話も含めた接客と合わせて、トータルで満足をしていただけたときが一番うれしいですね。バーテンダーが美味しいお酒を提供することは当たり前なんです。本番はお酒を出したあとなんですよね。会話もサービスの一つであり、カクテルをつくる技術だけが重要ではないのです。バーってお酒を飲むだけじゃなくて、コミュニケーションを楽しむための癒やしの場だと思っています。
岡野さんのいろいろな“好き”が重なって、今の生き方が出来上がったと感じます。
狙ってそうなったわけではないんですけど、結果的に東京や海外での経験が積み重なって今の生き方に大きな影響を与えてくれています。視野が広くなりましたし、感性も磨かれました。たくさんの職業を経てきましたが、辛いと思う仕事はなかったです。今ここでしか得られない経験だと思うと、楽しかったですよ。それにその経験があったからこそ、地元を想う気持ちにも気づけたんです。
地元が好きだからこそ、お店を経営する活力になります。地域がチームとして一丸となって盛り上げていき、商店街が活気づけば、必然とこの店も盛り上がりますからね。
筋トレも日々の積み重ねですから、そういう意味ではバーテンダーの仕事と一緒ですね。フィジークという競技の大会にも出るようになりました。この競技はボディビルとは違って足の筋肉は重要視されず、体の逆三角を美しく見せる競技なんです。これもバーテンダーの仕事に活かされています。
東京や海外でのいろいろな経験や地域との関わりと趣味の筋トレ、そしてバーテンダーとしての自分が渾然一体となって今の人生があるんだなって、そう思います。
常にポジティブであることと、あえて苦しいことや苦手なことに向かう姿勢が岡野さんの人生をより良い方向へ導いているように見受けられますね。
あえて苦しい経験をして、そこから開放されることの喜びだったり、追い込まれないと生まれてこないものがあると思います。楽なことばかり選択していたら新しい道は切り拓けないと思うんです。
だから漫然と日々を過ごさないように気をつけています。どんどん違う方向性から自分を攻めていかないと、バーテンダーとしても、フィジークの選手としても成長していきません。慣れきたなと思ったら自分を追い込む。それの積み重ねだと思うんです。そうやって自分自身をデザインしていくんです。
あとは何事も楽しんでやることですね。やるからには楽しくやる、だからこそ、その経験が後に活きてくるのではないでしょうか。嫌々やっていることって何も身につかない場合が多いですから。
これからも現状に甘えず、自分も地域ももっともっと盛り上げていけるように、“JIGOKU活動”を頑張っていきたいと思います。
Information
【BAR JIGOKU −地元を極めていく−】
〒324-0051 栃木県大田原市山の手1丁目3-9
TEL.0287-22-5115
https://www.facebook.com/barjigoku/