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紺碧の将
Interview Blog vol.129

すべてに感謝し恩返しをしたい。歴史ある会社を未来へつなぐ架け橋となります。

戸辺食品工業株式会社 専務取締役戸邊聡史さん

2022.04.22

 

大正14年に創業した戸辺食品工業株式会社。創業97年の歴史がある同社は、漬物・佃煮・天然醸造味噌・納豆を製造、販売しています。次期社長であり現専務取締役である戸邊聡史さんは独自の視点と慣習に囚われない経営戦略でさまざまな改善を行い、現在も歴史ある戸辺食品を未来へつなぐため常に思案し、行動しています。歴史ある会社を継ぐことをどう感じているのか、これまでの歩みとともにお聞きしました。

恩返しをするチャンス

進学や進路は会社を継ぐという意識の元に決めましたか。

家業を継ぐという明確な意思はありませんでした。ただ私が大学生時、兄はすでに就職をしていて、弟も目指すべき道が決まっている状況でした。三人兄弟の真ん中である私は、社長に跡継ぎはどうするのか聞いたことがありました。経営が上向きになればともかく、今の時点では誰にも継いでくれと言うつもりはないという答えが返ってきました。それなら自分がやってみたいという気持ちが芽生えたんです。

「誰も継がないなら自分が」という使命感が芽生えたということですか。

使命感というより、この会社が終わることで、子供の頃から知っている「この場所」がなくなってしまうのが嫌だったんですよ。それと私をここまで育ててくれた祖父母や両親、これまで会社に関わってくれた人たちに恩返しがしたかった。小さい頃からたくさんの思い出が詰まっているこの会社に貢献するチャンスがあるなら、もう他の道を考える必要はありませんでした。

大学卒業後はそのまま実家に戻られたんですね。最初はどのようなお仕事をされましたか。

1日目から生産工場の仕事に入りました。将来、経営に携わるからこそ、自社の製品をどのような原料でどういう作り方をしているのか知る必要があります。営業するにも、現場を知らないとお客様に何も説明できません。しばらくは工場の仕事を一通りやりました。

そのうち営業が一人辞めることになり、そのタイミングで外回りも始めました。製造のレーンに組み込まれていたこともあり、営業できるのは週に3日でした。今でこそ工場の仕事はしていませんが、営業日数はそのままです。立場上なにかあったときに動ける日がないといけませんし、これからの経営方針を含めて会社全体の未来を考えるためです。今、この会社はそういうことを真剣に考えないといけない時期に来ていますからね。

分析・思考・行動する営業

営業を経験することで見えてきたことはありましたか。

最近だとコロナ禍でお客様の動きが変わっていくのをずっと見ていました。主に観光地と道の駅を回っていますが、その間に売れていく物と売れなくなっていく物が見えてきましたし、他社の営業さんと顔見知りになって話す機会も得られました。中にこもる仕事だけだったら、業界や世の中の状況を知ることができなかったかもしれません。

営業ではどういったことに取り組みましたか。

営業ルートの分析と改善ですね。先ほども言いましたが、私が外回り営業を出来る時間は週3日だけでした。それまでの営業は週に5~6日回っていましたから、漠然とそれまで通りのルートを回ろうとすると時間が足りませんでした。そこでこれまでより効率的なルートを作ることで、週1日で回れるようにし、さらに売り上げを上げるために残りの日数は新規開拓をしました。コロナ以前から昔ほど土産物が売れない現実がありましたから、普段使いのお客様も多い道の駅を中心に取引先を増やし売り上げを伸ばすことが出来ました。

現状を冷静に把握し、今必要なことは何かを考えることは大切な視点・感性ですね。

何が原因なのか、どう改善しなければいけないのか。それが重要ですよね。ただ、そのように動けたのは会社が持つバックボーンのおかげです。決して私が営業マンとして優れていたからではありません。名刺に大正14年創業と書いてあり、商品もこれだけの物があると言えるのは、約100年もの歴史がある戸辺食品という会社だからできたことです。会社がもともと戦える武器を持っていたから営業がしやすかっただけなんですよ。

営業は会社の顔

最初は工場の仕事から入ったとお聞きしましたが、経営のいわゆる数字的な部分を見始めるようになったのはいつ頃からでしたか。

最初はまったく見ていなかったですが、現場の仕事をしているうちに気持ちのモヤモヤが募っていって……。私が工場で仕事をしていても会社の現状は変わらないわけですから、他のことにも目を向けなくてはという意識が日ごとに強くなりました。それで1日の仕事を終えた後、事務所で売上の数字を見て状況を分析するようになりました。当時はとにかく時間が足りなくて……。大変でしたが、それでも現場を知れたことは財産になりました。だから今、会社の営業には現場を経験してもらうようにしています。

営業として現場を知り、自社商品を把握することがそのままスキルアップになるということですね。

そうですね。それに自社商品に対する気持ちが違ってくると思うんです。お店に置いてもらった商品はきちんと売り切ってもらいたい気持ちや責任が生まれるはずですから。

お土産物は賞味期限が切れると、無償返品や交換が当たり前なんですよ。だからその商品が売れなかったとしても、お店(売場)側に直接的な損失はありません。当然、賞味期限を迎えた商品はロスになり捨てなくてはいけない。食べてもらうために丹精込めて作った商品をです。そういうことが長年の慣習だったとしても、弊社の営業にはそれが当たり前だと思ってほしくないわけです。

どうすればロスをなくせるか、お店の人と一緒になって考え、売り切るという意識を持ってもらいたいんです。ただ商品を運んで賞味期限が切れたら交換するだけの御用聞きでは誠意がありませんし、お店との信頼関係も築けないでしょう。現場の社員が大変な思いをして生産した商品をおろそかに扱ってほしくないんです。

そういう慣習があることは知りませんでした。だからこそ、しっかりと意識を持ち、考えて営業をすることが重要なんですね。

営業というのは会社の顔ですからね。商品を真剣に売ってもらえるかは、こちらの誠意をどれだけ理解してもらえるかだと思います。仕入れの数もお店の人に言われるがままではなく、しっかりと売れ行きの状況を考えた上で決める。誠意ある姿勢でお店の人と認識を共有して、ウィンウィンの関係になりましょうと提案をする。もしそれが理解されない売場なら、惰性で関係を続けても双方の利益にはなりません。

お店から信用を得て、何を買おうか迷っているお客様に「それ美味しいですよ」と薦めてもらえること。その積み重ねの先に未来があると思っています。

正確なデータが物語ること

経営状況を見るようになり変わったことや変えなくてはいけないと思ったことはありましたか。

数字を見てはじめて「これはまずい」と思ったことがありました。返品・交換の慣習があることは先ほどお話しました。そういう状況もあり、長い付き合いで関係性が出来上がっているお店とは返品・交換伝票を切っていなかったんです。現場では返品が山のようにあるのに、パソコンの数字と照らし合わせるとあきらかに合わない。慌ててすべての返品・交換で例外なく伝票を切るように営業に指示しました。それから正確なデータを取り始めたことで、さまざまな実態が浮き彫りになってきました。

ロスや損失の正確な数字が把握できないと、改善を的確にすることは難しいですよね。

その結果、取引がなくなったお店もありました。厳しいことを言いますが、食品は食べてもらってこそ価値があるもの。そのお店の売場を飾るためにあるわけではないんです。

ロスを把握した結果、製造をやめた商品もありました。その商品がなくなったことを悲しんでくれるお客様がいたとしても、会社としては利益が出ない商品を作り続けるわけにはいきません。会社がなくなってしまいますからね。お客様への責任を果たすという意味でも、商品は売れなくてはいけないんです。

慣習だからと言って思考を止めてしまうと危険だという事例ですね。

当時の営業も悪気があったり、隠蔽しようとしたわけではないんです。もう大ベテランで、そういう慣習の中で長年お店とやり取りをしていたから、それが普通になっていたんです。私が気づくことができたのも、まったく違う環境に身を置いていたからであり、現場仕事をせずに営業からスタートしていたら、おかしいことだと思わなかったかもしれません。

それからテコ入れを重ねて、商品数や売場は減りましたが、その売上以上にロスと支出が減ったのでトータルではプラスになりました。

次に進むために

会社として未来のことを真剣に考える時期にきているとおっしゃっていました。これからのビジョンをお聞かせください。

次世代につながるブランディングですね。そのためには徹底した自社分析と新しい視点が必要になります。新たに目指すべきターゲット層はどこか、今の時代に求められている戸辺食品の商品はなにか、会社としてどのような方向性に進んでいくべきか。味、価格、原料、売り方、パッケージ、会社自体のあり方、それらすべてを一度考え直し、自社のポテンシャルを上げていかないと、ここから先には進めません。そういう時期に来ているということです。

ただ新しいことをやろうではなく、徹底した分析の元に新しい可能性を洗い出し、正しい道を模索することが必要なんですね。

例えば、売れないからパッケージを変えて改善を試みたとして、それ自体は簡単です。でも売れない原因は本当にパッケージにあるのかどうかを考えることがまず必要ですよね。原料なのかもしれないし、その商品自体が売れない時代なのかもしれない。改善をするなら、良い効果を出さないと意味がありません。

将来は誰にも恥じることのない自信たっぷりに出せる商品だけを売っていきたいという目標があります。そこに到達するためには何を積み重ねていけばいいんだろうと常に考えています。

まだ道半ば、ほんとうの意味で恩返しをするために

営業戦略により売上も上がり、ロスを減らし、他にもさまざまな改善をされています。これ以上はない恩返しだと思います。

いえいえ、自分で成し遂げたことや作り上げたものは未だにないと思っています。恩返しがしたいと帰ってきたものの、まだまだ育ててもらっている段階です。売上が上がったといってもほんの一部ですし。社長のように、自分で経営判断をしていくには経験が浅すぎます。教わらないといけないことがまだ山のようにあるんです。いろいろ考えてやっているようでも、それは全部社長がいてくれるからできることなんですよ。

戸邊さんのなかで社長の存在、背中はとても大きなものなんですね。

先々代の社長、祖父の時代はお土産が飛ぶように売れるイケイケの時代でした。時代が変わり、リーマンショックや東日本大震災もありました。景気がずっと下降している一番つらい時代です。今の社長はたくさんの辛い決断をしてきました。社長が会社を守ってきてくれたから、自分が恩返しできる場所と、新たにスタートを切れる土台があるんです。これは本当にありがたいことです。営業で飛び回れるのも会社に社長がいてくれるからこそ。自分が当代になったら営業まわりはできなくなると思います。

だからいま、社長に支えてもらっているうちにいろんなことを考えて、行動しないといけません。両親が元気なうちに、その成果を見せて恩返しがしたいですね。

現時点での具体的な目標などはありますか。

自社の売場は「とべや銘品館」と言うんですが、ここで「栃木」をもっと発信していきたいと思うんです。栃木県にはいいものがたくさんある。それをここに集めて売っていきたいと考えています。

大量生産の商品が出回り始めた時代、祖父の口癖は「ちゃんとした物を残していかなきゃいけない」でした。それで「とべや与一の里銘品館」と名前をつけて自社商品と地域の名産を扱おうというコンセプトでこのお店が始まったと聞いています。それが時代とともに売上も落ちていき、取り扱い品目も減ってしまいました。でも私はこのコンセプトにすごく共感します。だからこの銘品館を立て直してもう一度形にしたいと思ったんです。

地元や地域への貢献にもつながりますね。

栃木県にはいいものがたくさんある、これは間違いありません。そう思ってからはとにかく「栃木の物」を探し始めました。行く先々で商品の製造ラベルを見たり、益子焼に興味を持ってからは陶器市に通ったりして仕入れの目星をつけていきました。

ここでその商品を買った人が、今度はその製造元へ買いに行くような流れを作っていきたいですね。そういうコンセプトを説明して、共鳴・共感を得て仕入れの許可をいただいたところも多いです。現状はまだまだですが、いつかは実現したいと思っています。 (取材・文/村松隆太)

Information

【漬物、佃煮、手造りの味噌 とべや】

〒324-0058 栃木県大田原市紫塚4-3944

HP: https://tobeya.co.jp/

 

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