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紺碧の将
Interview Blog vol.124

好きなことを仕事にして40年間続けてこられたことが、元気の源。 仕事を通して、日本文化の良さを伝えていきたい。

着付け師中村弘子さん

2022.01.08

 

佐賀県呼子町で生まれ育った中村さんは、京都で約40年間、着付け師をしています。「きつくない」「崩れない」着付けをモットーに、どのようにして技術を身につけてきたのか、またお客さんに選ばれ続ける着付けはどのような着付けかなど、お話を伺いました。

 

着付け師という仕事に出会うまで

ご出身は京都ですか。

いいえ、佐賀県呼子町出身です。イカが有名なところですよ。イカは透明だと思っていましたが、京都に引っ越して来てから見たイカが白くてびっくりしたのを覚えています。

いつ、京都に移住されたのですか。

18歳の時です。

進学や就職が理由ですか。

いいえ、父の仕事の都合で私以外の家族はすでに京都に住んでいて、私は高校卒業後にこちらに来ました。父は建築会社の経営をしていたのですが、高校卒業後は父の仕事を手伝う予定だったのです。

京都は日本文化が根強く残っている地域ですが、京都に来たことをきっかけに着物に興味を持ったのでしょうか。

いいえ、興味を持ったのは着物好きだった母の影響です。着付けをしている母を見て、私も見よう見まねで着物を着ていました。

お父様の仕事を手伝うということから、着付け師になろうと思ったきっかけは何だったのですか。

私は三姉妹の長女なのですが妹が美容室を営んでおりまして、最初は父の仕事を手伝いながら妹の美容室で着物の着付けのお手伝いをしていたんです。昔の美容室は髪の毛に関すること、例えばカット、カラー、パーマ、ヘアアレンジ等はすべてできて当たり前、なおかつ着付けまでできて、やっと美容室と呼べる時代でしたから。美容室の店舗が増えて妹だけでは手が回らなくなった時に、本格的に着付けの仕事に就きました。

 

着付け目的で美容院に来られるお客さんは多くないと思いますが、集客はどのようにされていたのですか。

妹が河原町にも店舗を出したので、その一角を借りてレンタル着物屋を始めたのです。ありがたいことに、もともと美容院に来ていただいたお客さんからの紹介が多かったです。紹介してくれた方にも来てくれた方にも失礼のないような着付けをしなければいけないプレッシャーは大きかったですが、結果として今まで紹介制でやらせてもらっています。自分の着付けは間違っていなかったんだなと思っています。

お客さんは、どのような方が多いですか。

私は正絹着物にこだわっているのですが、より好い着物を着たいという方が多いですね。正絹着物は高額で手入れも大変なことから、なかなか手が出しにくいと思います。

どうして正絹着物にこだわっているのですか。

近年増えつつある化繊の着物はお手入れも簡単にできますが、ゴワつきがあるため身体に馴染まなかったり蒸れやすかったりします。正絹着物は柔らかく滑らかな生地なので、身体に馴染みやすく着心地が良いんですよ。

 

着物への興味を惹きつけるのは、着付け師次第

着付けで意識していることはなんですか。

「きつくないけど崩れない」「お客さんの身体に合った着付け」をしています。ひとりとして同じ体型の人はいないわけですから、まずはそのお客さんを知ろうとすること。基本はどの仕事にも通ずることだと思います。

お客さんの身体に合った着付けというのは、どのような着付けですか。

一目見て、まずはお客さんが一番きれいに見える着付けをイメージします。例えば、首が短い人、長い人、太い人、いかり肩の人、なで肩の人、さまざまですよね。首一つとっても襟の作り方を変えますし、肩の形によって補正の仕方も変えます。皆さん、着物を着て写真も撮りますよね。思い出として残るわけですから、できるだけその人に合った、綺麗な姿で写真に納めてもらいたいです。

 

どのようにして今の技術を身につけたのですか。

私がふだんも着物を着ているというのが、とても仕事に活きていると思います。自分でも「きつくないけど崩れない」着付けを模索しますから。数をこなしてこそ身に付く技術ですから、自分自身を使ってコツを習得してきました。あとは、よくテレビで演歌の番組を見ていましたよ。演歌は着物を着ている方が多いですからね。着付けがきれいかとか、着物と帯の組み合わせが合っているかとか、今でもセンスを磨くためにたくさんの着物を見るようにしています。

正直なところ、着物は「きつくて疲れる」「少し動くと崩れそうで気にしてしまう」というイメージがありましたが、着付け次第なんですね。

着物は崩れないように、きつく着付けをされてしまうことが多いんです。成人式の振袖で初めて着物を着る人も多いと思いますが、振袖を脱いだ瞬間、楽になったと感じた方は少なくないでしょう。

正直、着物を脱いだ時の解放感はありました。

そういった経験から、着物に「疲れる」「堅苦しい」など、良い印象を持てない方もいるのではないでしょうか。初めて着物を着た時の経験がもっと良いものに変われば、着物や日本文化への興味も変わってくるはずです。着付け師は、日本文化への興味を惹きつける役割も担っていると思うんです。

 

和文化をもっと知ってもらいたい

現在も京都河原町で着物レンタルをされているんですか。

いいえ、今は完全出張型でやっています。出張型に切り替える直前まで祇園に店舗があったのですが、コロナ前にたたみました。実は、そのタイミングで仕事も辞めようかと思っていたんです。でも、お客さんから言われたんです、「他の方に着付けをしてもらったら、とても苦しかった」と。

そのようなお声を聞いて、結局続けることにしたのです(笑)。

いつもとちがう人に着付けをしてもらって、初めて気づくことですね。出張型で続けるのはとても大変そうですが、いかがですか。

もともとフットワークは軽い方で、まったく苦ではありません。お客さんは京都が一番多く次いで東京ですが、依頼があれば日本中どこへでもいきますよ。

中村さんの技術を学びたいと思っている方は多いのではないですか。

ありがたいことに、講義をしてほしいという依頼が増えました。このご時世ですから、ZOOMを使ってのオンライン講義が多いですが……。緊急事態宣言も解除されましたので、出張着付け教室も再開しています。

 

ZOOMもお使いになっているんですね。ITに抵抗は感じないですか。

最初は抵抗ありましたよ。SNSもやっていますが、投稿することも怖かったです。今ではインスタグラム、ツイッター、ブログ、BASEなど使いこなしています(笑)。自分より年配の方ができているのに、自分にできないはずはないと思ったのです。基本的に負けず嫌いなんです。

今はSNSで仕事が広がったりする時代ですが、新たな仕事も増えそうですか。

近々ある旅行会社と契約提携して、ホテルに宿泊されるお客さんの着付けをさせてもらえることになりました。このお仕事もお客さんからの紹介です。

具体的にはどんなお仕事内容ですか。

着物を着て、お茶屋さんでお座敷遊びの体験をされるお客さんの着付けです。着物は特別な時に着るというイメージが強いですが、そのような体験を経て着物を身近に感じていただき、より興味を持ってもらえたら嬉しいです。

今後はどのような活動に力を入れていきたいですか。

着付け師として、できる限りお客さんのもとへ足を運ぶこと、あとは着付け教室を通して、日本文化の継承にも携わっていきたいと思います。

一度は引退すると考えたということですが、まだまだ忙しくなりそうですね。

好きなことをやり続けることができることはとても幸せです。私にとって、元気でいられる秘訣は仕事ですね。

 

好きなことを仕事にし、それを40年間続けていらっしゃるのは、だれにでもできることではないと思います。中村さんが、活き活きとされている理由がわかった気がしました。貴重なお話をありがとうございました。

(取材・文/髙久美優)

 

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