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紺碧の将
Interview Blog Vol.104

オペラ歌手としての道を生涯かけて突き詰めたい。

オペラ歌手高田正人さん

2020.08.19

 

髙田正人さんは高校2年のとき、進路相談をした先生に歌を聞いてもらう機会があり、「東京藝大を狙える」と言われ、受験。現役で合格し、オペラ歌手への道に進むことになりました。以後、イタリアとアメリカに留学して研鑽を積み、現在はテノール歌手として国内外で活躍しています。

日本のオペラ界のトップスターで結成されたヴォーカル・ユニット「The JADE」のメンバーで二期会会員。平成音楽大学や洗足音楽大学で後進の指導にも当たっています。

〝がむしゃらに頑張って競争に勝った〟という雰囲気がほとんどない、自由闊達な雰囲気がいかにも現代的です。

高2から始まったオペラ歌手の道

髙田さんは子供の頃からオペラ歌手になりたいと思っていたのですか。

 小学生の頃から合唱団に入っていましたが、将来歌手になりたいとは思っていませんでした。たまたま中学生のときに見たミュージカルに感銘を受けて、父親に「歌手になるのもいいかも」と言ったのですが、みごとに無視されました(笑)。父は県庁職員で、公務員がいちばんいいと思っている人でしたから。

髙田さんは栃木県内で最難関と言われている進学高校を卒業されていますね。どんな進路を希望していたんですか。

 教育学部を経て音楽の教員になるのもいいかもと思ったのですが、最低でもソルフェージュ(音を聞いて写譜すること)ができなければいけないと聞き、その大学の先生に相談に行ったんです。そこで僕の歌を聞いてもらったのですが、「東京藝大を狙えるかもしれない。藝大を受けるつもりなら明日までに決めてきなさい」と言われたのです。じっくり考えたからといっていい結論が出るわけじゃないから早く決めた方がいいと。

その先生は、髙田さんのどういうところに可能性を見出したのでしょうね。

 単純に声だけだと思います。それ以外に専門的な技術があったわけではないですし、絶対音感もなかったですから。

そこで藝大に挑戦しようと思ったのですね。藝大というと、子供の頃から英才教育を受けているというイメージですが、案外軽いノリだったのですね。試験はどんな内容だったのですか。

 センター試験2科目とソルフェージュ、ピアノ、そして歌です。歌は1次と2次があり、1次ではイタリア歌曲、ドイツ歌曲、フランス歌曲、日本歌曲の課題から選んだ曲、2次では自由曲を歌いました。 

高校2年から始めて、現役合格。そういうケースはきわめて稀じゃないんですか。

 女性はかなり倍率が高いですが、男はそれほどでもないんです。僕のように高校から始めた人も多いですし。15人の合格枠のうち、現役合格は4人でした。

とは言いましても全国で4人ですから、やはりすごいことです。

 ただ、現役合格は、そのあと苦労するんです。まだ体ができていないですから。

体ができていないと言いますと?

 横隔膜まわりや声帯のまわりの筋肉が成長途中で、まだ弱いんです。トレーニングでそれらを強化することによって声域を広げたり、強靭でしなやかな声が出るようにします。

大学時代はいかがでしたか。

 大学院に入る前の1浪も含めて8年間ありましたが、ずっと劣等生でした。生徒の間の競争意識が強くて、そういう空気にはなんとなく馴染めませんでしたね。ただ、イタリア語にはハマりました。オペラを生んだ国の言語ですから語感が美しいですし、情感が豊かなんです。ダンス部にも所属していましたが、ダンスも好きでした。

オペラを志す以上、体を使っての表現は欠かせませんからね。

 歌はうまいけど身体表現がへたという人は今はなかなかオペラで使ってもらえないですね。

通常、藝大を出たあとは、どんな進路があるのですか。

 おおまかに分けると、海外へ留学する、プロの団体の研修所に入る、フリーとして活動するの3つでしょうか。僕は前々からイタリアで学びたいと思っていたものですから、イタリア政府給費奨学生、国際ロータリー財団奨学生として留学することにしました。2001年のことです。

オペラというと、日本ではドイツものも人気がありますが、イタリアにこだわっていたのですか。

 そうですね。ドイツ語の語感があまり好きではなかったのと、イタリアという国そのものにも惹かれていました。

イタリアに行った印象はいかがでしたか。

 はじめの3ヶ月くらい、言葉で苦労しました。自分ではそれなりに勉強したと思っていたのですが、現地に行くとまったく通用しないんです。まず、言葉が早くて聞き取れませんでした。半年くらい過ぎると、かなり慣れましたが、やはり言語は現地で生活しないと身につかないですね。

プロフィールを拝見するとニコリーニ国立音楽院に入られたということですが、教え方に関して日本とのちがいはありましたか。

 声についてはとにかくストイックですね。ストライクゾーンが狭くて、そこに至っていないと許してくれない。日本人の感覚では、60点から80点へとレベルを上げていけばいいと思いますが、0か100なんです。イタリアから帰ったあと、アメリカにも留学しますが、アメリカは発声が仮に80点でも、容姿なり芝居なりオーラなり、それを補って余りあるものがあれば許容してくれます。要は、トータルで自分の価値を高めればいい、客が感動してくれればいいと。その点、イタリアは頑固一徹といいますか、絶対的な正解はひとつ、声の道に入っていないと話にならないんです。

声の道、ですか。

 うまく歌えたとき、「それが道だよ(È la strada)」と言います。声に対する誇りといいますか、こだわり方が半端じゃないんです。

なんとなくイタリア人というと、地中海的な明るさをイメージしますが、意外にストイックな面もありますよね。サッカーは伝統的に守備重視で、1―0で勝つことが美しいと信じている国民です。アメリカのように、6―5の大味な試合に興奮するというのとは根本的にちがいますね。

 そうなんです。大きなピザを一人で全部食べてしまうのを見て、民族のちがいを感じました。日本人なら途中で飽きてしまいます。でも、彼らは同じものを黙々と食べ続けます。それとストイックに突きつめることに何か共通項があるような気がします。

なんとなくわかる気がします。だからこそ「これが歌のストライクゾーン」だと信じ、かたくなにそれを目指すことができるのかもしれません。

 その道にはなかなかたどり着けないですが、考え方としては好きですね。それがあるから、一生をかけて道を追求しようという気になります。生涯、求道者です。

イタリアでは舞台に立たれたことはあるのですか。

 いくつかのオペラやコンサートに出演しましたが、『ウェスト・サイド・ストーリー』というミュージカルでトニーを演じ、イタリアのオーケストラと共演したのは思い出深いですね。

2年間、イタリアで学んだのち、帰国して二期会に所属し、3年くらい活動していますね。二期会に入会するのはそう簡単ではないですよね。

 二期会は正会員と準会員合せて約2700人います。予科、本科、マスタークラスを経て年に約15人が正会員として推挙されます。現在、僕は幹事を仰せつかり、自分で本公演のオーディションを受けることもあれば、時に審査にまわることもあります。

え? 審査する側であり、される側でもあるということですか。二期会を通して仕事が来ることもあるのですね。

 はい。『仮面舞踏会』(O・レナルト指揮、粟国淳演出)や『椿姫』(A・アッレマンディ指揮、宮本亜門演出)、『サロメ』(ライフ・ワイケルト指揮、ペーター・コンヴィチュニー演出)などに出演させていただきました。その頃、小澤征爾さんが若手の音楽家を集めてオペラを作るという試みを始めていて、その時の音楽コーチに「今オペラを勉強するならニューヨークだ」と勧められました。

それで2009年から1年間、文化庁新進芸術家在外派遣研修員としてニューヨークに留学されるんですね。「オペラを勉強するならニューヨークだ」と言われるゆえんはなんですか。

 オペラに限らず、ニューヨークはスペシャリストの坩堝(るつぼ)で、さまざまなスペシャリストが軒を連ねているんです。歌の基礎ワーク、語学、ディクション、体づくり、メンタル、なんでもメソッドがあり答えがあるイメージです。自分を売り込む際のメールの書き方まで指導してくれます。

先ほどもおっしゃっていましたが、イタリアとアメリカでは歌に対する価値観がかなりちがうようですね。

 そうなんですよ。セルフ・プロデュースといいますか、とにかくアメリカでは自分がどういうことができてどういう価値があるのか、人に伝え、説得することも含め、総合力を求められます。ただ歌がうまいだけでは仕事になりにくいんです。

ニューヨークのオペラ事情はどんな感じですか。

 案外、演出は保守的で、ドイツのバイロイトのようにとんがったものはほとんどないですね。それに、よく笑います。どうしてここで笑うの? という場面でも笑いますし。オペラといっても、肩肘張らず、みんなで楽しもうという雰囲気です。それから、演奏会のパンフレットにはしばしば「本日、○○がデビューしました」と書かれています。若い人材を育てようという意識は高いですね。

未来への展望

コロナ禍によって大きな打撃を受けていると思います。

 そうですね。あらゆる公演が中止になり、収入の道が途絶えてしまった人がたくさんいます。日本はヨーロッパのように国をあげて芸術家と舞台を支援していこうという動きがまだまだ少ないですから、こういう状況になると大変です。ただ、ようやく公演活動が再開され、少しずつ仕事の機会が増えつつあります。

平成音楽大学や洗足音楽大学で後進の指導もされていますね。若い人たちを指導するのは楽しいですか。

 楽しいですが、学生に歌の歓びと厳しさを同時に伝えていくのは大変です。教えることで自分の演奏に還元されることも多々あります。

昨年から始まった「髙田正人のオペラwhy not?」について教えてください。

 これは二期会が企画して始まったことですが、いわゆるレクチャーコンサートですね。これまでオペラに馴染みのなかった若い人たちにもオペラの魅力を知ってもらいたいという主旨です。

反響はいかがですか。

 来ていただいた方は楽しんでおられるようですが、新しいファンの掘り起こしはまだまだという感じです。これからどうやってオペラファンを開拓していくか、大きな課題ですね。

今度の公演予定をお聞かせください。

 多くの公演が中止になりましたが、11月に二期会の『メリーウィドウ』、2021年4月に京都で『椿姫(ハイライト)』に出演する予定です。

髙田さんファンが、そしてオペラファンが増えることを願っています。

(写真上から『蝶々夫人』出演の時、イタリア留学時代、プロフィール写真、ソプラノ歌手・柴田紗貴子さんとのコンサート、『チャールダーシュの女王』出演時(写真提供/(公財)東京二期会)、『フィガロの結婚』出演時)

(取材・文/髙久多美男)

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