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紺碧の将
Interview Blog Vol.25

世界に対し、あるべき未来をはっきりと語ることのできる若いリーダーを育てたい。

サムライ塾塾頭近藤隆雄さん

2017.10.30

『Japanist』で長期の連載を続ける近藤隆雄さんは、バドワイザー・ジャパン初代社長・会長を務めたという経歴の持ち主。長年、外資系の企業に勤め、40代後半には英国のヨットスクールで航海術をマスター。10年ほどまえから自分の知見をもとに、日本の未来を担う若者たちがグローバル社会の中で生き抜ける力を育てています。

 

限界にきている成長至上主義に対抗できるのは、大きな「和」の精神です。

近藤さんの人生観や世界観は独特ですが、だれかに影響を受けたのですか。

 明治15年生まれの祖母の教えが僕の素地を作ったことは間違いありません。祖母は、人から「右」と言われたら「絶対左へ行け」と言う人でした。出自は薩摩で、親戚筋には徳富蘇峰と蘆花の兄弟や北里柴三郎、日露戦争の功労者、伊集院五郎などがいました。早くに父親を亡くした祖母はそういう人たちの薫陶を受けていたせいか、当時ではめずらしく自立した女性でした。

日本社会とは正反対の、強烈な教えですね。

 そうですね。僕の自立心、独立心は祖母によって養われたと思っています。「自尊心を忘れるな」「有象無象(群衆)のあと追いはするな」「威張ってもいけないし、へりくだってもいけない」「人と違う道を行け」……、祖母がいつも言っていた言葉は今でも脳裏にくっきりと残っています。

 祖母は「いつ死んでもいい」という心構えで生きていた人ですからね。サムライ精神を持った女性だったんです。僕の中にある精神は、彼女から引き継いだものです。そのサムライ精神と、その後に出会った禅が、僕の(人生の)基本です。

近藤さんは本もたくさん読まれますね。

 子供の頃から本をむさぼるように読んでいました。父から、一ヶ月に3冊まではツケで買っていいと言われていました。そんなわけで、少年時代の僕は生家(赤坂)にあった本屋の常連だったのです。本を読むたびに新しい夢が生まれました。

 しかし、1日1冊のペースで読むと、3日で終わってしまう。もっと読みたくて、本屋に行って黙って新しい本を持ち帰ってくることもしばしばありました。すぐバレてしまうのですが。行きつけの本屋だったからできたようなものです。

大学卒業後はどのような進路をとられたのですか。

 広告代理店に就職しました。広告制作をするつもりだったのですが、営業職にまわされました。ところが営業職は性分に合わず、社内にある図書館で本を読んでサボってばかりいました。まわりの先輩から話を聞いても、10年前と同じことをしていると言う。そんな姿に魅力を感じられず、このままここにいても展望は開けないと思ったのです。そして2年半でピリオドを打ち、外資系の会社に入ろうと思いました。

たしかに、お祖母様の教えを生かすには、外資系の方が合っていますね(笑)。

 その後、マーケティングを勉強したくて日本コカ・コーラにいきました。お世話になった人が先に入っていたんです。会って話を聞いてもらうと、新設された広報部なら採用してくれる可能性があると。そんな経緯があって、面接と試験を受けることになったのです。

 その時の試験は、英字の『ジャパンタイムズ』の経済記事を読んで、要点を日本語で書けというテーマでした。単語さえわかれば、けっして難しい問題ではありません。次に広報部長から面接を受けました。『ジャパンタイムズ』の記者をしていた人だったのですが、日本語でも英語でも、彼ほど明快で簡潔、論理的に語れる人を知りません。しかも一人狼の匂いがする。その彼が僕のことを気に入ってくれて、日本コカ・コーラに入ることが決まりました。

コカ・コーラの社風はどうでしたか。

 まったく別天地でした。いくらでも自分を出せますからね。年功序列がないですし、認められれば年齢に関係なくチャンスが与えられて、実績を残せば給料もどんどん上がる。社員が少ないからすぐに社長に会える。意見を言って、それがよければ聞いてもらえますから、何でも自分で考えたい僕みたいな人間には天国です。当初は30歳までにマーケティングの仕事で実績を作り、その後は新しい仕事をしようと5年を目標にしたのですが、結局、10年間働きました。

バドワイザー・ジャパンで社長を務められたのは何年後のことですか。

 7年後です。RJRタバコインターナショナル(の最初の日本人マネージャー)を経て、1986年にバドワイザーを売る世界一のビール会社、アンハイザーブッシュ社に入社しました。

 経営者のオーガスト・ブッシュ会長はとても人間臭い人でね。ある会議の時、誰もが彼の意見を尊重する中、僕だけが彼の意見に「No」と言ったんです。その瞬間、空気が凍りつきました。周りは「こいつはなんてことを言うんだ」と白い目で僕を見ていたけれど、その理由を説明した。バカなことが通るなら、いつ辞めてもいいと思っていた。それがよかった。会議後、同席者たちがよくやったと握手しにきてくれました。なにより、ブッシュ会長が僕のことを信用してくれて、その後もずっと支えてくれました。

日本ではありえないことですよね。

 そうかもしれませんね。ただ、多くの日本人は、アメリカはフェアプレーの国だと思っているかもしれませんが、それは建て前で、本当はゴマすり社会なんです。会長にNoと言う人はほとんどいません。だからこそ、信頼を得られたんだと思います。僕は、信念を持って「No」と言うのはチャンスだと思っています。そうすれば、必ず相手は「Why?」って聞いてきますからね。

そうすれば、自分の意見を言えますし、ビジネスチャンスも与えられるということですね。近藤さんは、そのような信念を持って数々のチャンスを活かしてこられたのですね。40代半ばでバドワイザー・ジャパンの会長職を辞し、第二の人生を歩まれたということですが、それはなぜですか。

 バドワイザー・ジャパンを辞める前、一から学び直そうと思い、休職してスイスのビジネススクール「IMD」に入り、MBA課程で経営や哲学を勉強しました。しかし、そこでも僕の納得のいく答えは見つからなかった。

「何のために経営をするのか」「何のために生きるのか」という根源的な疑問に答えてくれる人は誰もいませんでした。

 ところが、その答えは意外にも身近にあることに気づきました。

それはどういうことですか。

 チベットでのラマ僧との出会いが、それを教えてくれました。僕はずっと、西欧の経営学や論理の世界でその答えを探していたけれど、実は東洋の思想や昔から親しんでいた禅の教え、そして、なにより祖母直伝のサムライ精神が息づく日本人の生き方にこそ、僕が求めていた答えがあったということです。

それが、現在の「サムライ塾」の原点でしょうか。

 僕は、世界に対して新しい生きかたを示せる国は日本をおいて他にないんじゃないかと思っています。ネパールでラマ僧に出会って以来、禅と仏教、東洋思想とサムライ精神を学び直して、それを確信しました。

 ルネサンス以降の個人中心的な思想、アメリカの資本主義や成長至上主義はもう限界にきています。それなのに、未だ多くの人たちが高度成長期の成長ボケの余韻に生きている。グローバル化や金融危機などにどう対応するかということだけに意識が向いて、「どうすべきか」を考えていない。そんな大人たちの意識を変えるのはまず無理だと思いました。それよりも、これからの日本を背負っていく若者たちの力になりたい、と。

 世界に対し、はっきりとあるべき未来を語ることのできる日本のリーダーを育てたい。それが、今後の僕の使命だと思っています。

(写真上:ヨットのライセンスを取るスクールにて。中:奥様の和子さんと。下2枚:サムライ塾講義風景)

 

 

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