日本人として覚えておきたい ちからのある言葉【格言・名言】
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偉人たちの言葉には、いつの時代にも通用する普遍性があります。それぞれの時代を懸命に生き、一事をなした人たちの一言だからこそ、今もなお私たちの心を揺さぶり続けるのです。

“心の栄養”として、活用してください。

Kakugen

どんな人間だって、ある角度から見れば、そいつは主人公だ。
黒澤 明
世界の映画史に残る多くの傑作を残し、名だたる映画監督からの崇敬を一身に集める黒澤明。彼は自作30本のシナリオも手がけているが、そこには「真理の言葉」がきら星のごとく散りばめられている。格言の宝庫といっていい。黒澤の映画は見ても楽しめるし、脚本を読んでも楽しめる。この言葉は、黒澤がさまざまなテーマに取り組んで人物造形を極めたこと、そして、黒澤組と呼ばれる優秀なスタッフたちと仕事をする中で培った哲学だ。人の個性は、人の数だけある。つまり、人の存在価値は、人の数だけあるのである。(120915第46回)…続きを読む
 
人を相手とせず天を相手とせよ。天を相手として己を尽くし、人をとがめず、わが誠の足らざることを尋ぬべし。
西郷隆盛
人としてこの世に生まれた私たちだから、たいていは人を相手にしてその一生を終える。では西郷のいう「天」とは何だろうか。日本人ならば「お天道様」なのだろう。道、である。しかし我が身を振り返れば、「人をとがめず」とは難儀なことであるし、「わが誠の足らざることを尋ぬべし」とは頭ではわかっていても日々実践となると困難を極める。そもそも「人を相手とせず」など、はたして可能なのか。いつの日かそんな境地に達するのであろうかと、今日もまた、もんもんてくてくと小さな歩みを重ねる日々。(120915第45回)…続きを読む
 
民法出て忠孝亡ぶ。
穂積八束
明治の開国によって法整備が急務となった日本は、やむなく西洋の法律を翻訳したインスタントなシステムを受容した。だが西洋の徹底した自由主義、個人主義、合理主義を前提につくられた法律が、多少の修正を加えたところで日本の国柄に易々となじむものではない。この教訓は現代にもそのままあてはまる。合理主義的価値観をとことんまで仕入れた日本がどんな国になりはてたか。心の荒廃は回復不能なところまで進んでいる。「法は最低限の道徳」という言葉がある。法はシステムでありながら、その背後に道徳を宿しているのだ。「米国産憲法」の改正が叫ばれる理由である。(120815第44回)…続きを読む
 
真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。
田中 正造
日本最初の公害と言われているのが、明治時代に起きた「足尾鉱毒事件」である。日光市の足尾銅山で行う採掘作業に伴って、周辺の山や川が荒れ、鉱毒を含んだ水に魚は死に、川が氾濫すれば農作物が全滅するという被害が多発する。これに対する抗議運動を展開したのが、下流にあたる佐野市出身の代議士・田中正造。国策であるとの理由からその訴えは退けられ続けたが、最後には明治天皇への直訴という強行手段にまで及び、住民の窮状を訴えた。冒頭の正造の言葉には、今もってなお、重い響きが感じられるのではないだろうか。震災によって自然と文明の関係、そして人の命の重さを痛感した私たちが、いまいちど反芻し、噛みしめたい言葉だ。(120815第43回)…続きを読む
 
知新の用を離れて古書を読むのは、要はおぼつかなし。温故の為に温故して、其の古びにかぶれ、想も文教もかびくさくなりゆく。気の毒なり。
坪内逍遙
坪内逍遙のこの言葉を目にしたとき、その意図することは十二分に理解しながらも、やはり苦笑せざるをえなかった。なにせ筆者も「温故の為に温故して、其の古びにかぶれ・・・」と坪内の揶揄する読書に耽っていた時期があったからである(いまも怪しいのであるが)。もっとも「知新」のために読書をしなければならないという義務はもちろんなくて、どういう読み方をしようと構わないはずだ。「何かの効用を求めて文章を読むのでは著者の真意を捉えられない」とは小林秀雄の言である。坪内の格言は、温故を目的とするのはともかくも、それに没頭するあまり知新の機会を見逃すのはもったいないぞという忠告と解釈しよう。(120715第42回)…続きを読む
 
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