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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

すごか、鹿児島

2016.05.24

大久保像 幕末と明治時代にもっとも輝いた地、それが鹿児島だ。本州の最南端で、さまざまな面で不遇な面もある。しかし、それだからこそ、中央の目の届かないところで、大きなうねりが起こったとも言える。

 大久保利通像と西郷隆盛像。こういうものを日々、仰ぎ見ながら生活できるというのはなんとも羨ましい。
 大久保利通像は、加治屋町近く、甲突川のほとりに立つ。作者は中村晋也氏。昭和54年、彼の没後100年を記念して製作された。ということは、それまでの間、鹿児島市内に大久保像はなかったのだ。フロックコートを風にひるがえらせて立つ姿は、いかにも明治初期の日本をその双肩に担ったという風格を漂わせている。
 面白いのは、この銅像建設計画がもちあがった時、地元の人たちから反対運動が起こったということ。日本人にとっては維新・明治初期の偉人にちがいないが、鹿児島県人にとっては憎き人でもあるらしい。それもそのはずで、西南戦争のおりは、政府軍の親玉だった。薩摩軍の決起によって戦端は開かれたが、鹿児島県人にとっては自分たちを征服するために大軍を差し向けた「とんでもないヤツ」である。
西郷像 大久保はある時期から、藩意識を捨て、日本のために命を捨てることを覚悟している。その末路が、地元から嫌われることだった。銅像の下に「為政清明」と刻まれた銅版がある。まさに私欲のかけらも持たず、国のために尽くした生涯だった。渡部昇一氏が「政治家の鑑」とする理由はそこにある。
 一方、西郷隆盛像は鶴丸城跡の近くに立つ。製作者は安藤照氏。上野にある西郷さん像とは雰囲気が異なり、軍服姿で直立不動だ。
 大久保のように、見るからに偉そうという雰囲気はないが、その分、人となりが伝わってくる。第一級の人物のお手本として、ずっと愛され続けるだろう。
 こちらは大久保像とはちがって、道路の反対側に撮影用のポイントまで設置されている。それだけを見ても、いかに地元の人たちから愛されているかわかる。

 

 前回も書いたが、西郷と大久保の二人がいなかったら、日本はあの動乱期を乗り越えることはできなかったと私は思っている。そういう偉大な人物を輩出した鹿児島は、「やっぱり、すごか」。
(160524 第638回 写真上は大久保利通像、下は西郷隆盛像)

 

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