日本人として覚えておきたい ちからのある言葉【格言集・名言集】
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偉人たちの言葉には、いつの時代にも通用するメッセージがこめられています。

それぞれの時代を懸命に生き、一事をなした彼らの一言だからこそ、今もなお私たちの心を揺さぶり続けるのです。この格言集は、古今東西の格言・名言をご紹介する不定期コラム。

みなさんの“心の栄養”として、時折ご覧いただければ幸いです。

 

Kakugen

上や下、あるいは行きたい行きたくないということではないのです。どのように在るかということがすべてなのです。私たちは〝ここ〟で光るのです
『神曲』より
 以前も紹介したダンテの『神曲』から抜粋した。後半「天国編」で、主人公ダンテがかつての恋人ベアトリーチェと再会し、光(天使)となった彼女から聞いた言葉である。 禅の言葉「而今」。「いま、ここ」がそうであるように、過去でも未来でもなく、「今」「この場所」でどう在るかが大事だということ。 キリスト教の教えと禅の思想の区別はない。 古典同様、時を経て今に残るものは互いに通じあう普遍性をもつ。 ベアトリーチェはつづける。「光とは一つの視線のようでもあるのです。だから、その照り返しでもある輝きもまた、それを受け止める者の器量次第とも言えるのです。光は、それを受け止める者の喜びによって、自ずとその輝きを増すのです」 わかっているようで、忘れがちになることは多い。 そのひとつがこの「い…続きを読む
 
ファッションとは「モテる」ためだけの道具ではなく、装いによって自分をどう表現するか
田居克人
「エル・ジャポン」などで編集長を歴任した、男性ファッション誌「マリ・クレール・スタイル・ムッシュ」の編集長、田居克人氏の言葉である。某新聞の「顔」のコーナーと言えば、察しも付くだろうか。先日、その欄で紹介されていた。 ファッションのことと侮るなかれ。 この言葉は不変の真理でもある。 人は見た目じゃないと言いながら、最初の第一印象は見た目に左右されるところは大きい。 もちろん、表情や雰囲気、言葉使いなどが加わってこそではあるが、やはり、装いはその人の人となりが表れやすい。 おしゃれかどうかということ以前に、何を選び、どんな装いをしているかが重要。たとえ上等なものでなくても、その人らしさがでていればいい。 装いは着る人の生き方そのものが繁栄される。 ファッションだけではない。…続きを読む
 
賢者を幸福にするにはほとんど何もいらないが、愚者を満足させることは何をもってしてもできない。ほとんどすべての人間がみじめなのはそのためである
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー
 以前にも紹介した、人間性悪説から生まれたロシュフコーの至言集の一文。 どれもこれも、人間の愚かな部分に焦点をあてられているからか、隠れた腫瘍を発見されたかのようにドキリとする言葉が多い。 すべてが当てはまるとは思わないが、必ずや誰の中にも存在する陰の部分を浮き彫りにする。 ガン細胞よろしく、常に一心同体となって内に潜んでいるのは、それによってバランスを保とうとしているからなのか。「賢者」に物質的な貧富の差はない。もちろん「愚者」にも、である。 あるとしたら、精神の強弱、高低だろうか。 論語の「足を知る者は富む」と同じことだ。 ロシュフコーはこうも言う。「自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である」と。 こんなにも物や情報に溢れ、混じり合った時代はかつ…続きを読む
 
上手は下手の手本。下手は上手の手本
『風姿花伝』より
 「秘すれば花」でおなじみ、『風姿花伝』の中の一節である。 『風姿花伝』は亡き父観阿弥の教えをもとに、世阿弥が記し残した能の理論書として広く知れているが、能のような芸事に限らず、生き方の指南書としても十分活用できる。 能についての質問に、世阿弥自ら答えた「問答条々」。その中の問いのひとつにこうあった。「技術の劣っている役者が得意な演技をしたことで、より総合力のある上手な役者に勝ってしまうことがあるのはなぜか」 世阿弥はこう答えた。「能の達人はどんな演技でもできる。しかし、上手な人でも、自分の腕に自惚れていたら、能のレベルは下がってしまう。上手な人も下手な人にも長所と短所はそれぞれあるもの。上下の区別なく、互いに良いところも悪いところも自分の手本として、芸を磨いていくのです…続きを読む
 
この世に〝雑用〟という用はない。用を雑にしたときに、雑用が生まれるのだ
渡辺和子
 ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの言葉である。著書『面倒だから、しよう』から抜粋した。 昭和天皇の「雑草という名の草はない」という言葉にも通じる。 渡辺さんがよく使う言葉に、「時間の使い方は、いのちの使い方」というものがある。 これは、彼女が一人前のシスターになるために過ごした、アメリカでの修練院での体験から得た言葉だ。 その背景にあるのが「この世に〝雑用〟という用はない」という観念。 自ら望んだとはいえ、日々繰り返される修練院での単純作業に嫌気がさしていたころに気づかされた、時間への向き合い方だった。 渡部さんは、続けてこう語る。「生きていく上では、嫌なこと、したくないこと、欲しくないもの、気に入らない相手など、数々の自分にとって〝ありがたくない〟物事に向き合…続きを読む
 
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