多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

新しい世界の扉

2014.03.03

シリトー 前回に続き、読書体験の話を。

 あれは高校1年のときだった。新聞広告で、集英社版・世界の文学シリーズが刊行されることを知った。全36巻、毎月1冊ずつ配本される。ラインナップを見ると、なじみのある名前はミラー、サルトル、カミュくらいで、他は聞いたこともない名前だった。それまで世界の古典ばかり読んでいたので当然だったが、そこに載っていた作家たちは主に近現代の人たちだったのだ。

 さっそく私は母にねだって了解を取り付け、書店に予約した。

 第1回目の配本が右上写真のシリトーだった。シンプルな化粧箱のデザインといい、布の上製本仕様といい、モダンでプレミアムな雰囲気をプンプン匂わせていた。

 シリトーという作家は知らなかった。後に知ったのだが、この作家は日本でいえば中卒くらいで、「怒れる若者たち」の範疇に入れられている。

 名前がしゃれていると思った。その本には『華麗なる門出』と、後に映画にもなった『長距離走者の孤独』が収められていたが、さっそく私は前者を読み始めた。

 なんだ、この文章は! 最初のページでそう感じた。翻訳文とはいえ、文体が鮮烈で遅滞がない。それまで芸術としての文章は厳めしいものと勝手に思っていたが、それは肩の力が抜け、それなのに映像を見ているかのように視覚的でもあった。

 結局、そのときをきっかけに私は近現代の世界文学にのめりこむことになり、40歳になるまで続く。それまでに親しんだ日本の作家は、前回書いたように司馬遼太郎、そして、村上春樹と村上龍、あとはちょぼちょぼという感じだった。特に、湿っぽいのが苦手で、しばらく遠ざけていた。最近は歳のせいか、湿っぽいのも好きで読む。もちろん、過剰なのは困るけど……。

 何回目かの配本で、チェーザレ・パヴェーゼが届いた。イタリア文学の極北と謳われている。それに収められていた『美しい夏』を読み、自分も生涯にひとつだけでいいからこんな作品を書いてみたいなと思ったことがまざまざと甦る。

 ところで、私は創業以来27年間、病気で休んだことがないと威張っているが、じつは、23歳の頃、腎臓を患い、2ヶ月強も入院していたことがあった。痛みもなにもなく、ちょっとだるいくらいで、ひたすら安静を強いられていた。そのときは、片っ端から本を読んだ。大部屋だったが、他の人とはほとんど話もせず、本ばかり相手にしていた。当然、そのなかにはシリトーも含まれていた。『屑屋の娘』『グスマン帰れ』『ノッティンガム物語』『土曜の夜と日曜の朝』『私はどのようにして作家となったのか』等々。あの頃、私は陰鬱な病院のベッドにいたのだが、心は世界を駆け巡っていた。

 今、私は日本人が書いたものばかり読んでいる。しかし、40歳になるまでとことん海外かぶれ(西洋かぶれというより)で、その後、日本の文化に惹かれるようになったというプロセスは、案外自分に合っていると思っている。もし、若い頃から日本一辺倒だったら、国粋主義者になっていたかもしれない。今、日本をテーマにした出版物を編集しながらそうならないのは、西洋など海外の良さも知っているからだと思う。だから、今でも国粋主義者とは肌が合わない。もちろん、自国を貶める思想に染まった人たちは論外だが。

 ところで、2年前、久し振りに『美しい夏』を読んだのだが、高校生のときに感じたような鮮烈な印象がなかった。

 やはり、あの感動は封印していた方がよかったのかも。

(140303 第490回 写真はアラン・シリトー著『華麗なる門出他』(集英社刊))

 

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