多樂スパイス
Home > ブログ【多樂スパイス】 > 水を感じさせたいから水を抜く

What's TarakuSpice?

自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

水を感じさせたいから水を抜く

2012.01.21

 枯山水について、不思議に思ったことはないだろうか。

 私は何度もある。枯山水とは、龍安寺や南禅寺や銀閣寺にある、アレである。砂に引いた流線が水の流れを表すのだという。理由がふるっている。「水を感じさせたいから水を抜く」。ふつう、水を感じさせたいのであれば、そこに水をひく。しかし、あえて水を使わずに水を感じさせたいのだという。

 禅問答のようでわけがわからん、と切り捨てるのは簡単だ。しかし、一考の価値はある。

 

 人は本心からそれを欲し、しかしながらそれが満たされないとき、それを求める心が膨れあがる。反対に、足りていればそのものの価値は下がる場合が多い。つまり、意識することがないという状態。水の中などで酸素がなくなりかけたとき、ようやく人は空気のありがたみがわかる。モノや人に対してもそうだ。当たり前のように自分の周りにいる(ある)とき、人はなかなかその価値に気づかない。なにしろ、人は忘れる動物だから。しかし、身の回りからその存在が消えてなくなったとき、人は失ったものの大きさを初めて知ることになる。

 枯山水はそういうことを教えたいのではないだろうか。今の状況を保つことは、当たり前ではないよ。生きていることも、毎日不自由なく食事をすることができるのも、仲のいいひとが元気なのも、社会が安定しているのも、じつは奇跡的なことの連続なのだよ、と教えたくて、あんなこみいったことをしたのかもしれない。一期一会、なにごとも大切にしなさい、と。

 また、こうして、このブログの原稿を書いている瞬間も、刻一刻死へと向かって進んでいる。残り時間が少しずつ減っていくことを止める手立てはない。そういうことも枯山水は意識させてくれる。

 そう思えば、コワイものはない。破れかぶれになれと言っているのではない。一瞬一瞬を慈しみながら、しみじみ味わうことがいかに大切なことか、おのずとわかる。

 いつになく真面目な私であるが、ときどきそういう真面目なことを考えるクセがある。

 「過ぎ去った時間はけっして取り戻すことはできない。だから、たくさん眠っている場合じゃない。よーし、これからは睡眠時間を7時間にしよう!」、そう決意したことが何度もあるが、睡眠時間に限って決意を実行できたためしはない。仮にできても、その日はエネルギーが半減し、逆効果となることが多い。やっぱり、まだまだダメだなあ。

 えーと、何の話だっけ? そうか、枯山水。

 いにしえの日本人の思考の懐は、じつに深い。

(120121 第312回 写真は京都・南禅寺の方丈)

 

 

 

 

 

TOPICS

ブログ最新記事一覧に戻る
Recommend Contents
このページのトップへ