多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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誕生日の意味

2011.10.24

 いろいろなところで自分の誕生日について書いているので、もしかすると私の誕生日をご存知の方も多いのではないか。とくだん、誕生日のプレゼントを贈ってほしいとか他意があるわけではない。なんとなく書いてみたかったからだ。

小さい頃から、母親に「多美男はお釈迦様と同じ日に生まれたんだよ」と言い聞かされていた。お釈迦様がどんな人なのかわからなかったが、「様」がつくのだから偉い人なのだろうと想像を膨らませていた。

 ある程度もの心つくようになってくると、とんでもない人なのだということがわかってきた。本当にあの通りの人だったかは別として、人間の理想的な姿の一例としてお釈迦様に勝る人はいないとさえ思えるようになった。ただし、崇敬はするが仏教にシンパシーを感じることはない。お寺に行くのは好きだし、雑学としても名だたる仏僧の話はオモシロイ。

 でも、でもである。この世は「四苦八苦」というのがわからない。どうして、あのように厳しい修行を自らに課すのかがわからない。私が唱える「多樂」とは正反対といってもいい。

 ただ、厳しい修行の果てに、えもいわれぬ桃源郷があるのかもしれないという微かな予測はあるものの、だからといって厳しい修行をしたいとはまったく思わない。そもそも、私は正座を15秒くらいしかできないのだ(威張ってどうする?)。ただ、末法思想としての仏教ならわかるような気がする。この世が地獄のように成り果てた後の心の拠り所としてなら、まさに仏教はうってつけだろう。でも、現代はそうじゃない。せっかく、この世に生を受けたのだから、存分に愉しみ、味わい尽くしたいと思っているので、とても仏教の厳しい戒律を守れるような男にはなれない。

 ところで、『Japanist』第12号の巻頭対談は、俳優の柳生博氏に決まった。今、柳生氏の『和暦で暮らそう』という本を読んでいる。

これが滅法おもしろい。つまり、われわれが日本古来の暦法だと思い込んでいた旧暦は、仏教や漢字といっしょに中国から入ってきたもので、それ以前にも日本には長い歴史があった。その時代のご先祖様はどのような季節の測り方をしていたかというテーマの本でもある。

その中に、4月8日のことが書かれていた。現代では仏陀生誕を祝う祭日に化けているが、本来は山の神のもとで聖なる資格を得るための潔斎儀礼の始まりの日だという。

 言うまでもなく、女性は命を創造する性だ。選ばれた女性が山に入って神性を獲得し、神の代わりとして最初の田植えに臨む。つまり、稲作は豊作を願い、とことん神の力を借りることに徹しているのだが、神となった女性を通して田んぼを神の降下地としたのである。今でも京都ではその日に鎮花祭をやっているが、けっして仏陀生誕を祝っているわけではなく、選ばれた女性が山に入っていく日を祝っているのだという。女人禁制の比叡山もその日だけは女性にも開放され、花摘みをするが、そのような意味があるのだという。

このくだりを読んだとき、「これだ!」と思った。

 なんで? と言われると、つらい。だから何? と言われるともっとつらい。特にこれといった意味はないので……。

(111024 第290回 写真は落ち葉。新宿御苑にて)

 

 

 

 

 

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