日本人として覚えておきたい ちからのある言葉【格言・名言】
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偉人たちの言葉には、いつの時代にも通用する普遍性があります。それぞれの時代を懸命に生き、一事をなした人たちの一言だからこそ、今もなお私たちの心を揺さぶり続けるのです。

“心の栄養”として、活用してください。

Kakugen

春になったら芽が出るように、それが光に向かって伸びていくように、魂は成長したがっているのです
梨木香歩
 少し前にも紹介した作家、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』の一節である。 映画にもなっているから内容を知っている人もいるだろう。 学校になじめない中学生の女の子が田舎の祖母の家でしばらく居候することになり、大好きな祖母から生きる術を学んでいくというストーリーだ。自然の中で暮らす知恵は都会人にとって魔法のようなものだと気づく。西の魔女こと少女の祖母が孫に語る言葉は、どれも天からの言葉に聞こえる。 犬も歩けば棒に当たるくらいなのだから、人間、生きていれば壁にぶつかるのはあたりまえだ。 無我夢中で勢いよく走っていればなおさらのこと。ガツンと頭から激突すれば、あまりの痛さにしばらくうずくまってしまうのも当然である。 次は壁があることを確認するだけの余裕をもてればいいのだが……。「壁…続きを読む
 
良く働いた者が良く眠れるのと同じで、良く生きた者が良く死ぬことができる
中川一政
 洋画家の岸田劉生に見出され、画家を志し洋画家となった中川一政は、美術家であり随筆家でもあった。作品に至っては洋画、版画、水墨画、陶芸と幅広く、書も随筆も独学でありながら独特の個性を放つ。 言葉どおり良く生きたのだろう。享年97歳であったが、晩年まで創作活動に励んだという。 ストレス社会と言われる昨今、睡眠不足に悩む人は多い。 一方で、毎日快適な朝をむかえている人もたくさんいる。 その違いはなんだろう。 一つ言えるとすれば、「快眠」は時間の長さに比例しないということ。 睡眠の不足も充足も「質」によるということを、誰もが感じているはずである。 人の一生も同じ。 快適な人生となるのか、不快な人生となるのか。 その目安となるのは「充実した(楽しい)時間」がどれだけあったかという…続きを読む
 
ぼくの自論でいくと「八百屋は野菜を売って生計を立てろ」ということです
浅利慶太
 劇団四季創設者の一人で、演出家の浅利慶太氏の言葉である。浅利氏は学生時代に立ち上げた劇団四季を、それまでの日本演劇にはなかったミュージカルという演出で大劇団にまで育て上げた立役者でもある。「八百屋は野菜を売って生計を立てろ」とは、あたりまえの話じゃないかと思うだろう。 浅利氏はこの言葉についでこう語っている。「この自論でいけば、役者は芝居をして生計を立てなければいけない」 つまり、本来の仕事以外のことで稼ぐのは道理にかなっていないというのだ。 事実、浅利氏はそれまでの「芝居では飯は食えない」という定説を打ち破り、「芝居で飯を食わせる」と断言し、実行した。 浅利氏の自論を持ち出すなら、八百屋や役者と同じように、どんな仕事も本道を貫くのが道理だし、そうでなければ何をやっても…続きを読む
 
教わらなくてできる話が本当の話です
横田南嶺
 鎌倉円覚寺管長、横田南嶺老師の言葉である。横田老師の法話に惹かれて円覚寺を訪れる人も多いという。 老師の法話を少しでも多くの人に伝えたいという思いから、弟子の一人で黄梅院の副住職がブログに掲載したものが法話集としてまとめられている。その中の一節である。 教わらなくてできる話とは、どんな話なのか。 老師はこう語る。 「禅では、毎日の暮らし(朝早く起きて、お経を読んで坐禅をして、お粥を食べて、掃除をして……)すべてが丸ごと修行でありますから、それら自分で体験したことと、感じたことを素直に話をすればいいのです」 つまり、体験談である。 人に何かを伝えようと思ったとき、それが相手に伝わるかどうかは、いかに上手く話すかということ以上に、その話に温度が感じられるかどうかだろう。 体…続きを読む
 
努力には2種類ある。一つは「直接の努力」であり、もう一つは「間接の努力」である
幸田露伴
『五重塔』で知られる明治の文豪、幸田露伴は、博学はもとより、教養の高さにおいても群を抜いていることはよく知られているところである。その露伴が教える努力の仕方が書かれた『努力論』の中の冒頭がこれだ。厳密に言えば、漢語調で書かれた原文を作家の齋藤孝氏が書き下したものから抜粋した。原文はあまりにもむずかしすぎて、現代人には歯が立たないらしい。 「努力」と聞くと、眉間にしわをよせて苦しさに耐えているというイメージがつきまとうが、本来はそうではない。 努力を努力と思うこともなく、淡々とやるべきこととやりたいことをこなすうちに、結果が自ずとついてきた、というものが本当の努力の跡なのだ。 そのことは、露伴も同じことを言っている。「努力を忘れて努力することが真のよいものである」と。 露伴…続きを読む
 
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