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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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夢にデルヴォー

2012.09.24

「夢に、デルヴォー」というオヤジギャグそのまんまのタイトルがつけられた企画展が、府中市美術館で開催されている。ベルギーの画家、ポール・デルヴォーの企画展だ。
 デルヴォーは以前から好きな画家だった。どちらかといえば、シュルレアリスム絵画はあまり好きではないが、デ・キリコとデルヴォーは別格だ。気がつけば、絵の世界が心のなかに忍び寄り、どこか片隅に巣食っているという感じだ。
 デルヴォーの作品の前に立つと、見る者を素通りさせないなんらかの力が働くようだ。だからこそ、「夢にデルヴォー」なのだろう(それにしても、堅いタイトルが多い美術展にあって、このタイトルは笑える)。
 今回の企画展は、デルヴォーの変遷をたどる試みもある。やはり、芸の世界はすべてに共通して言えることだが、自分のスタイルを確立させることがいかに大切なことか、思い知らされる。音楽でも文章でも、はたまたスポーツの世界でもそうだ。
 ところで、若い頃のデルヴォーは、かなりの「真似しん坊」だった。
“これはセザンヌの構図を真似たな” とか、“この表情はモディリアーニだ” とか、“ルノアールの肌の色だ” などと出所がすぐにわかってしまう。当時のデルヴォーの呻吟が伝わってくるような真似しん坊ぶりなのだ。
 ところが、デ・キリコらのシュルレアリスムに邂逅してから一気に作風が変わる。おそらく、デルヴォーが生来もっていた感性が引き出されたのだろう。作品に「芯」ができたのだ。それが裸体の女性やランプ、機関車、骸骨などに象徴される「心の世界」の可視化である。
 右上の作品『エベソスの集い2』には4人の女性が描かれている。全裸が2人、上半身だけ裸が1人、着衣が1人。視線はまったく交わっていない。背景の風景も時代や場所がバラバラだ。機関車と神殿。いったい、どのようなつながりがあるのか。右側の鏡の枠は向こうの風景が透けて見えるが、じつはこの中に薄~く描かれた初老の男性がぼんやり見える。まるで別の世界を彷徨するかのようにうつむき加減で。
 謎解きをしようなどとはいっさい思わない。ただ、デルヴォーの作品の前に立ち、感じるだけ。心の中にもうひとつの部屋ができたような気持ちになる。と同時に、人間とはじつに興味深い生き物だとあらためて思うのである。
 デルヴォーは1994年まで生きた。ということは、ある時期は、同じ時代を生きたことになる。
 ついでながら、前回のこのブログで、日本人の感性について書いたが、ある意味、このデルヴォーは西洋画の典型といえるかもしれない。つまり、「自我」の発露が最上位にあるのだ。なんてったって「自分」のことが最優先なのだ。もちろん、それはそれでオモシロイのだが。
(第369回 写真は、ポール・デルヴォー画『エベソスの集い2』)
付記:右のプロフィール、更新しました。ちょっと書きすぎかなとも思えるけど……。

 

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