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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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大久保公の墓参りをす

2017.07.17

 このくそ暑いさなか、青山霊園にある大久保利通公の墓参りをした。ちょうど今、執筆している原稿に大久保のことをたくさん書いているからだ。一度、挨拶をしておかねば、ということで、炎天下歩いて行ったのである。

 広大な霊園のなか、さすがは大久保公、ひときわ広いスペースをとっている。周りには、奥さんをはじめ、家族の墓がたくさん並んでいた。奥さんの墓は「大久保公令夫人の墓」と墓碑に刻まれていたが、はたしてどっちの奥さんなのだろう? 鹿児島の本妻か、東京の愛妾か。ま、そんなことはどうでもよろしい。
 太陽が真上に昇っていたため不快きわまりないほど暑かったが、少し草が伸びていたので、まずは草取りをした。慣れない作業で要領が悪い。あっという間に、汗が噴き出してきた。

 

 大久保利通は、私が最も尊敬する人物だが、その輝かしい実績のわりに、人気はない。後世の人たちによって不当に貶められた感がある。彼の盟友・西郷に対する思い入れが高じて、相対的に貶められたのだと思う。
 今回、あらためて大久保に関わる書物をたくさん読んだのだが、同時代の人物からの評価は圧倒的である。その一部をここに紹介しよう。

 

 ──とにかく大久保は偉かった。第一その人物骨格が見るからに偉人たることを証明していた。非常に威望があった。一見して人を圧するような容貌であった。それに身躯の権衡が十分に取れていて、すこぶる達者らしいし、西郷のような不細工な身躯でなかった。この骨格、身躯、容貌、これらは大久保に非常な光彩ともなり、特徴ともなっていた。(大隈重信)

 

 ──大久保公は、渾身これ政治家である。凡そ政治家に必要である冷血の多きこと私は未だ公の如き人を見なかったのである。
 公が政治家としては最上の冷血たるに似ず、個人としては、懇切なる温血に富んでいられたことがわかる。(岩倉使節団に随員として加わった福地源一郎)

 

 ──僕の如き人間は、我国においては實に斗升をもって計るくらいである。ただし唯一人大久保甲東という者がある。膽は泰山のごとく、量は大洋のごとく、識見高邁才幹古今に絶している。まことに前代未聞の豪傑である。(副島種臣談。清の実力者・李鴻章から賞賛されたときの返答)

 

 ──我が大久保公の勇気に至りては、実に一世に傑出したるのみでなく、百代に卓越したというても、大なる過言ではあるまい。〜 いわば家をも顧みず、身をも顧みず、名をも顧みず、利をも顧みず、ただ生一本の国家奉仕であった。(徳富蘇峰)

 

 ──大久保以後、日本には大久保なしだ。帝国は大きくなったが、人物は小さくなってる。(池辺三山)

 

 ──古今未曾有の大英雄と申すべし。胆力に至っては世界第一と申すべし。大久保をかくのごとし称賛するは、衆人の称賛とは違へり。維新の功業は大久保を以って第一とするなり。世論もともあれ、大久保の功業は世界第一とするゆえんなり。(越前藩主・松平慶永)

 

 ──大政事家とは、一定の方向と動かすべからざる順序をもって政治を行い、俊偉の観があり、有言実行であり、真面目な人物である。大久保を徳川家康とともに、日本の大政事家に挙げる。(中江兆民)

 

 ──大久保さんは、まことに度量の広い大きな方であった。誰の系統だとか、何藩人とかの区別を設けず、何人に対しても推すべきは心中から之を推し、用うべきは心中から敬して用いておられた。それゆえ大久保さんは人みな心から服し、喜んで力をつくしたのである。ゆえに天下に志ある者は、多くは大久保さんの知遇を得んことを欲したのも、決して偶然ではない。それで、明治の世となって以来、大久保さんほどに国家の難局を処理し、また事業を遂行された方は、維新の諸先輩の中で、他にその類例を見ないほどだ。(伊藤博文)

 

 ──復古すでに成りたる後、維新の創業に至りては、実に内外政治の困難なる事今日においては到底想像の及ばざるところなり。この時に当たり、若し大久保さん無かりせば明治政府は瓦解に終わりたるを確信す。(西園寺公望)

 

 その他にもきりがないほどたくさんの「大久保評」があるが、このへんでやめておこう。とにかく、大久保の人望は群を抜いていた。その人望がいかに厚かったかは、西南戦争の時、兄思いだった西郷従道でさえ、悩んだ末、大久保についていることでわかる。

 世間では「西郷vs大久保」という見方をする人がいるが、私はそういう見方に与しない。ふたりは、まさしく天がこの国に遣わしてくれたペアであった。維新までは革命家の西郷が兄貴分で、維新後は政治家の大久保が兄貴分だった。それぞれに役割があったのだ。
 最大の国難の折、同じ時代に二人が生まれた僥倖をあらためて思うのである。
(170717 第737回 写真上は大久保利通肖像、中は青山霊園にある大久保利通の碑、下は墓所)

 

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