多樂スパイス
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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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戦争の記憶

2015.05.17

作戦参謀室 先月、沖縄へ行った際、「旧海軍司令部壕」を訪れた。

 昭和19年、沖縄戦に備えて造られた司令部壕で、当時、大田海軍少将以下約4000人がこの中にいたという。壕の中には司令官室あり(写真)、作戦室ありで、戦争の生々しい記憶がかなり克明に残されている。幕僚室の壁には、手榴弾で自決した痕跡もくっきりと残されている(写真下)。当時の日本は持久戦を覚悟していたという。
 かまぼこ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、通路は迷路のようになっているが、私の目には、「豪華な壕」という印象だった。
 なぜかと言えば、ベトナムのクチにある地下壕と比べてしまったからだ。これまでエッセイ集などにも書いてきたが、私はベトナム戦争時に造られたその地下壕に2度訪れている。森の中には地下壕に出入りするための入り口があるのだが、小柄なベトナム人がようやく入れるような狭さだ。垂直に降りていく構造で、この段階でかなりの窮屈さである。地下壕は高さもなく、腰を屈めて歩かなければな手榴弾の跡らないほどだ。照明もあまりないので、目が慣れてくるまで動くにも難儀する。ときどき、目の前にコウモリがぶら下がっていて、ギョッとする。生き残り日本兵が手を貸したというその地下壕は延々400キロ近くも延びているらしいが、ベトナム人の逞しさに感銘を受けた記憶が如実に甦る。
 あの地下壕と比べ、高級地下壕と思ってしまったのだ。
 とは言え、あの中で戦っていた兵士たちにとっては地獄のようだったろう。兵士たちがギューヅメになって立ちながら睡眠をとったという部屋もあった。多くの兵士たちはあの中で極限状態におかれ、死んでいった。沖縄戦では一般民間人を含め、20万人以上が命を落としている(米軍側の戦死者は約12000人)。
 憎み合って戦った日米両国が、戦後は長らく同盟国として紐帯を結んでいる。先月米国議会で行われた安倍総理の演説は、まさに歴史的和解といってもいい。
 『Japanist』に連載していただいている近藤隆雄氏にお骨折りいただき、「近藤提案」が安倍総理に届けられたが、あの演説の下敷きに大いに活用されたと信じている。
 人間はさまざまな問題を克服できる、と信じたい。
(150517 第557回)

 

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