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心を裸にする

2013.08.21

ゴジラの木 どうして山に登るのだろう。われながら不思議だ。まして、今回のように非常につらい体験をした後は、二度と登る気になれないとなってもおかしくはない。しかし、早くも来年のリベンジを誓っているのだ。

 おそらく、心を裸にしたいのだと思う。われわれは通常、衣服を着用しているが、心にも衣服を着せている。それは習慣であったり、義務であったり、あるいは見栄や虚栄心であったり。あるいは、「常識」という名のシャツだったり……。

 しかし、それらの着心地が悪いことは、じつは当の本人がいちばんよく知っている。日常の忙しさにかまけて、知らないふりをしているだけだ。

 かくいう私もそうだ。傍からは自由奔放に生きていると見えるだろうし、事実、そうに違いないのだが、それでも着心地が悪いと思う時がある。そういったズレの集積をアジャストするため、年に一度、「神と人間の共有結界」に入り込み、浄化するのではないだろうか。そんな気がしてならない。もちろん、確証はなんにもないのだが……。

 今回も思った。夏でも寒風吹きすさぶ高山の荒れ地に、どうしてこうも可憐な花が咲いているのかと。下界では考えられないことだ。でも、たしかに咲いている。しかも、肉厚の花弁ではない。ちょっと乱暴に扱ったら壊れてしまいそうなくらい頼りなげな花だ。

 「薫風自南来」「白雲自去来」「行雲流水」「無一物中無尽蔵」……。

 いま、私は毎日ひとつずつ禅語を覚えているのだが、山にいるとそれらの言葉がスーッとどこからともなく降りてくる。

 (130821 第447回 写真上は、蝶ヶ岳へ登る途中にある「ゴジラの木」)

 

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