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自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

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日本とフィンランドの相性

2012.11.30

 日本とフィンランド、あまり共通点がないと思う人も多いだろう。

 ひとつ、大きな共通点といえば、第2次世界大戦の敗戦国ということ。

 そう書くと、「えー? 日本、ドイツ、イタリア以外にも敗戦国があったの?」と驚く人もいるのだが、ブルガリアなんかも敗戦国だった。

 フィンランドは常にロシア(当時はソ連)の圧力を受ける国。独ソ線の前にはソ連に領土を奪われていたこともあって、かなり激しい反ロシア感情があるようだ。トルコなどど同様、日露戦争でロシアに勝ったという事実だけをもって日本に敬意を抱く国民が多いという。

 

 最近見た美術展のなかで、『琳派芸術2』(出光美術館・〜12月16日)と『森と湖の国 フィンランド・デザイン』(サントリー美術館・〜1月20日)が印象に残った。

 琳派は言わずと知れた、俵屋宗達〜尾形光琳〜酒井抱一〜鈴木其一と続く一派のこと。今回は特に江戸琳派の双璧、酒井抱一と鈴木其一の作品が多かった。

 『ひらがな日本美術史4』のなかで、橋下治が次のように喝破している。

──俵屋宗達がどれほどの画家かということを一番はっきりさせるのは、『風神雷神図屏風』である。京都の建仁寺にある宗達の描いた二曲一双の屏風(17世紀前半である江戸時代初期)と、後に尾形光琳が模写したもの(18世紀初頭)を比べてみれば、一目瞭然である。宗達のオリジナルは格段にすぐれている。宗達の絵と比べられてしまうと、光琳の絵はただのプリミティブ・アートである。土俗的な題材を「こう描くものだ」と信じて、よく分からないままにちゃんと描いたのが、光琳の『風神雷神図屏風』である。技法はちゃんとしていても、題材が〝土俗〟だから、その出来上がりはプリミティブにしかならない。光琳の模写はさらに後になって、江戸後期の画家・酒井抱一によって模写されるが、光琳の欠点はそのまんま酒井抱一の中で拡大されている。昭和15年(1940)にこの三つのの『風神雷神図屏風』は一緒に並べて展示され、それが大評判になったのだそうだが、そうされてしまえば、宗達の力量は歴然である──。

 

 つまり、尾形光琳の『風神雷神図屏風』は俵屋宗達のそれに比べてはるかに劣り、酒井抱一のそれは光琳の欠点がさらに拡大されている、と。

 今回見たのは、酒井抱一のそれである。たしかに3枚比べたら、そういう評価になるだろう。光琳や抱一なんかお呼びじゃないと言わせるくらい宗達はすごい。

 そうは言っても、酒井抱一の作品群は圧倒的な力をもって迫ってくる。

 それ以上に感嘆したのは、フィンランドのガラス器だった。シンプルで精緻でアバンギャルド。時代を感じさせない普遍性を備えている。と書けば、日本の特質そのものではないか。

 フィンランドデザインのテーマは「Timeless design」なのだという。つまり、時代性のないデザイン。あるいは、時代性を超越したデザイン。いかにも流行嫌いの私好みである。

 写真を掲載したガラスの花器は、1954年制作。中ほどの空洞は、生木を差し込み、その木が発生させた蒸気によって空いたものだという。全体のフォルムと空洞のバランスが絶妙で、とても60年近く前の作品とは思えなかった。

 

 本物、一流のもの、時代を超えて残っているものを見るのは、私の心身にとって最上の妙薬のひとつである。

(121130 第383回)

 

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