自然の懐は限りなく大きい
第36話
風過消物跡
ついにうーにゃんにも専用の部屋があてがわれた。3畳ほどのスペースで、納戸として使われていた部屋だ。うーにゃんが仕事で使う物が増え、みゆの部屋に置ききれなくなっていた。
みゆが外出する前、うーにゃんに声をかけた。
「じゃあ、うーにゃん。出かけるからね。……あれ? なにやってるの?」
うーにゃんは自分の尻尾を持って、半紙に字を書いている。よく見ると、尻尾は墨汁だらけだ。床に黒い斑点ができている。
「やだあ、床汚しているじゃない」
うーにゃんはみゆがなにを言っても聞こえていない。いつもなら、声をかけられるとレーダーのように声の方角へ耳が向くのに、ピクリとも動かない。
ひととおり書き終えて力を抜いたとき、みゆに気がついた。
「あ、みゆ、お出かけ?」
「お出かけじゃないようーにゃん。いったいなにやってるの」
「習字だよ」
「なにも自分の尻尾を使うことないじゃない。筆を買えばいいのに」
「筆より尻尾の方が書きやすいから。ほら見て、案外うまいでしょう?」
みゆは体を乗り出し、まじまじと見る。
「風……、次がわかんない。消える、物、跡……かな」
「風過消物跡。風過ぎて物の跡消えると読むんだよ」
「また禅語?」
「ていうか、うーが考えた言葉なんだけど」
「どういう意味なの?」
「風が通り過ぎて、いろいろな物の跡が消えるという意味だよ」
「……それだけ? なんか、つまんないね」
みゆは電車のなかで、うーにゃんが書いた字句を思い出した。ネコの尻尾を使って書いたとは思えないほど、勢いがある。濃淡のメリハリがあり、かすれ具合もいい味を出している。自分の尻尾を使っているから、自由自在に書けるのか。風が通り過ぎて、いろいろな物の跡が消えるという意味も心に引っかかっていた。得体の知れないモヤモヤが頭の片隅に渦巻いていた。
「あれから考えたんだけどね」
夕食の席でみゆがうーにゃんに言った。
「なにを?」
「うーにゃんが書いた字のこと」
みゆがその話題を出すと、パパが顔をしかめ、うーにゃんはうつむいた。どうやら、床を汚したことでパパからひどく叱られたらしい。
「風が通り過ぎて、いろんな物が消されるって、すごく自然の大きさを感じるよ。地球に生き物が誕生してから、ずっとそうだったのかなって。いろんな生き物が生まれては死んでいく。その跡を風がきれいに消していく。そう考えると、なにも思い残すことはないんだよね。思う存分、やりたいことをやればいいって思う」
じっくり考えたからか、ふだんのみゆからは想像もできないようなことを言う。
「なに言ってるんだ。みゆはずっとやりたいことやってるじゃないか」
みゆはパパの揶揄を無視して言葉を継いだ。
「どこかの砂漠に住んでいる原住民が言ったことを思い出したよ。人が死んで、風がその足跡を消したときがその人の最期だっていう言葉。たしか、パパかママに教えてもらったような気がする」
「それ、カラハリ砂漠に住んでいるサン人の言葉でしょう?」
ママが口をはさんだ。
「すごい死生観だよね。肉体が滅んだときが最期じゃなくて、自分の痕跡を風が消したときが最期だっていうんだから」
そもそも食事をしながらこんなことを語り合う家族がどこにいる?
「ところで、うーにゃんに質問がある。物の跡って書いてあるけど、この『物』ってどういう意味だ?」
パパはうーにゃんにそう訊いた。猫背のうーにゃんは背を伸ばして答える。
「物はこの地球にいるあらゆる生き物だよ。もちろん、ニンゲンも含めて。もともと物には人という意味もあるしね。人のことを人物っていうじゃない?」
「ということは、うーにゃんもオレも物か?」
「そうだよ」
うーにゃんは即座に答えた。当然と言わんばかりに。
「生きている間にいろんなことがあっても、ちゃんと自然が始末をつけてくれるし、いつでも大きな懐に迎えてくれる。そう思ってるんだ、うーは」
「そうかあ、なるほどな……。今度、おまえの書道展を銀座の知り合いの画廊でやってみようか。案外、高値で売れるかもしれないぞ。定価をてきとうにつけて、期間限定で半額セールというのもいいな。今ならうーにゃんの毛をプレゼントするというのもいいかもな。お守りになるとかなんとか言えば、本気にするヤツもけっこういるだろ」
パパはふむふむとうなづき、不敵な笑みをこぼした。
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