夢と妄想は紙一重
第28話
莫妄想
「うーにゃん、今日のスケジュールは?」
朝、パパがうーにゃんに訊いた。その昔、ネコはネズミを捕まえるという仕事があったが、今のネコはただ食っては寝るだけだ。しかし、最近のうーにゃんは講演やらシンポジウムやらサイン会やらでなにかと忙しい。
「今日は空いているよ」
「そうか。じつはな、俺が世話になっている人の弟がうーにゃんに相談があるっていうんだ。聞くところによると、妄想に生きているというか、周りに迷惑をかけているというか……。困った人らしい」
パパは首をかしげながら語る。いつもとちがって歯切れが悪い。
「パパが相談にのるのはどうなの?」
「人にアドバイスされるのが嫌な人らしいんだよ。でも、ネコの言うことなら聞くかもしれないだろう? うーにゃんの話をしたら、弟を行かせるから、ぜひ会ってほしいと言われたんだ」
「うん、わかったよ。とりあえず話を聞いてみるね」
Mさんはその日の午後3時に来ることになった。
「どうだった、うーにゃん?」
Mさんが帰るや、パパがうーにゃんに訊いた。
「うーん……」
そう言ったきり、うーにゃんは考え込んでしまった。うーにゃんは狭いひたいに何本もシワをよせて考えている。
「どうにもならないと思うよ、あの人。だって、はじめから聞く耳がないんだもの」
「でも、耳はついていただろ?」
「うん、でも、心の耳が閉じている。お兄さんから言われてしかたなく来たという感じだし、ずっと腕組みしていて上から目線だし。結局、自分が思い描いていることを相手に伝えて、それで終わりって感じ。いるんだよね、言葉にすることによって自分が思い描いていることが現実になったかのように錯覚してしまう人が」
「じゃあ、夢があるってことじゃないか」
「よく言えばそうなんだけど、あの人の場合は妄想だよ。現実と理想の区別がつかなくなっている。だってさパパ、聞いて」
それからうーにゃんはネコ座りして、言葉を継いだ。
「いろいろ発明しては製品化しているんだけど、さっぱり売れない。モノづくりはあきらめ、こんどは檻のない動物園をつくろうと思って知り合いの雑木林を借りて毎日朝から晩まで林の手入れをしたけど、林がきれいになっただけで動物園はできない。次は何軒もの古民家を安く譲り受けて、それをリフォームして売ろうとしたけど、ひとつも売れない。大きな借金をしていろいろ取り組んだことがまったく実を結ばなかったことを意に介していないんだよ。で、今度は自分の考え方を本にしてベストセラーにするって言ってたよ」
「いいじゃないか、そういう人がいても。世の中、金太郎アメを輪切りにしたような人ばかりなんだから。ところで、関西ではアメにちゃんをつけるって知ってるか?」
「えー、知らなかった。アメを擬人化してるんだね」
うーにゃんは急にアメを舐めたくなった。
「パパ、こんど、アメちゃん買ってくれる?」
「ああ、いいよ。俺も舐めたくなってきた。近くの駄菓子屋に売っているから、あとで買いに行こうか」
「うん。で、Mさん、収入はいっさいないから生活が困窮して奥さんと子供たちは出て行っちゃうし、食べる物にもこと欠く始末で、友人知人からお金を借りては返せないらしいの。それでも自分の夢を実現させたいと言っているんだから、ある意味すごいよね」
「まあ、バランスの問題だよな。夢と妄想は紙一重だ。無農薬リンゴの木村さんだって、ずっと夢を追い続けたけど、夜はスナックの呼び込みなんかもやって日銭を稼いでいた。最低限、家族を食べさせる収入を得ないと、絵に描いた餅になってしまう」
「莫妄想(まくもうぞう)だよね。妄想をするなかれ」
「そういうこと」
「妄想に生きるって、心地いいことでもあるよね。宝くじを買っただけで当選したような気になって無駄遣いしてしまう人がいるように」
「彼の生活を立て直すには、どうすればいいと思う?」
「まずは心のなかにあるこだわりのバケツをからっぽにして、聞く耳をたてることだと思うよ。そして夢を持ちつつ、食べていけるお金を稼ぐ。まずは生活の基盤を整える。仕事は選ばなければいくらでもあるしね」
「ネコのおまえだっていっぱい仕事してるんだからな。それにしても、人の意見を素直に聞くってことは、案外いちばん難しいかもな。まあいいかMさんのことは。いちおう義理ははたしたわけだし」
「そう、どうにもならないよ。行き着くところまでいかないと。パパ、それよりも駄菓子屋へ行こうよ」
「おーし、行こう!」
うーにゃんとパパは、胸踊らせながらアメちゃんを買いに出かけたのである。
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