痛い思いをする前に考えること
第15話
冷暖自知
日曜の午前、遅めのブランチのあと、みゆはママに尋ねた。
「ビットコインとかの仮想通貨って、かなり乱高下しているけど、いま買いどきだと思う?」
「そんなこと知らないわよ。パパに聞いてみたら?」
「パパに聞くと、いろいろ難しい話になるし」
「じゃあ、うーにゃんに聞いたら?」
「なんか、ネコに聞くのは癪にさわる」
会話の最中、パパが現れた。
「なにを聞きたいだって?」
みゆとママは顔を見合わせ、苦笑いする。
みゆの質問を聞いて、パパは「みゆはどう思う?」と言う。
「うーん、わかんない」
「仮想通貨を買う目的はなに? 決済手段として便利だから? あるいは儲かりそうだから?」
「儲かるかもしれないから」
「お金はもともと道具のひとつだから、決済手段として使いやすいのはあるていど持っていてもいいと思うが、投機としてはどうかな」
日曜の朝の話題としてふさわしいとは思えなかったが、パパは咳払いをして話し始めた。
「通貨が投機の対象になっているのは、どうしてだと思う?」
「儲かりそうだとみんなが思っているからじゃない?」
「じゃあ、円もそうだけど、仮想通貨そのものに価値はあるの?」
「ないよね。お札はただの紙だし、仮想通貨は紙でもない」
「なのに、なんで価値が上がるわけ?」
「みんなが価値があると認めているからじゃないの」
「そのとおり。じゃあ、みんなが価値を認めなくなったら?」
「価値はなくなる」
そこでパパは大きな声でうーにゃんを呼んだ。
若い頃なら数秒とたたず現れたが、少し歳を召した今は動きが緩慢だ。
「おっす、うーにゃん。相変わらず眠そうだな」
ムニャムニャ……。
うーにゃんは、言葉にならない言葉で返答する。
「仮想通貨は買いかどうかという話をみゆとしていたんだけど、うーにゃんは、どう思う?」
「うーは1円も持っていないからなんにも買えないけど、もし持っていたとしても買わない」
「なんで?」
「だって、乱高下しているということは投機の対象になっているからでしょう? 弾けないバブルはないもの」
「要は、仮想通貨がバブルのどのへんにあるかということだ」
「円とかドルとかの通貨は国が後ろ盾になっているから、国のファンダメンタルズを反映しているけど、仮想通貨は保証する後ろ盾がないから不安だよね」
「ネコのくせにファンダメンタルズを持ち出してきたか」
そう言われて、うーにゃんは少しむっとした。
「問題はいつ下がるか? チキンレースみたいなもんだ」
うーにゃんが現れてから、パパとうーにゃんの会話になった。
「ところで、バブルはだいたい30年おきに発生すると言われているけど、どうしてだと思う?」
「それは簡単だよ。世代交代する期間がだいたい30年だから」
「さすがはうーにゃん。ネコとは思えない」
うーにゃんは誇らしく胸を張った。
「バブルが弾けるということは、たくさんの人がひどい目に遭うということでしょう? ひどい目に遭った人はもう二度と投機には手を出さないよ」
「要するに、学習効果ということか」
「そのかわり、まだ体験していない人が同じてつを踏む。昭和から平成にかけてのバブルから30年ちょっとだよ」
「それを教訓として禅の言葉で表すとしたら?」
「冷暖自知、かな」
「その心は?」
「実際に体験しないとほんとうのところは理解できない。冷たいのも熱いのも、実際に触ってわかるもの。うーは一度、使い終えたばかりのガスコンロに触ってヤケドしたことがあるよ。それ以来、ガスコンロには近づかないもの」
「経験から学ぶということだな」
「でもね、それだけじゃない気がする。痛い思いをしたら、だれだって手を引くじゃない。でも、そうなる前に結果を予測して、行動できるかどうかが大切なんだと思う。およそ三十年おきにバブルが発生しているというのは、ニンゲンが過去の教訓を活かせていないという証だよね」
「そう。人間は学べない生き物である」
パパはそう言って腕を組んだ。
「そんなわけだから、仮想通貨を買うかどうかは、ひとえにみゆの見識にかかってる。さあ、どうする、みゆ?」
「う〜ん……。高値で売り抜ける自信はないし、せっかく貯めたお金が泡のように消えてなくなるのは悔しいし……」
「それから、もうひとつ重要なことがある。誰だってお金は欲しい。お金を嫌いだという人はほとんどいない。だけど、どういう方法で収入を得るか、その一点に品格のちがいがある」
「品格のちがい?」
「そう。やっぱりいちばん品格があるのは自分の本業、正業で収入を得ることだと俺は思うな。自分の仕事が人の役に立ち、その結果、対価を得る。そういう循環をつくれた人は品格がある。けっして投機行為すべてが悪いと言うわけではないけれど、いつも利殖を考えている人はかっこ悪い。これは人間観の問題だからいちがいに言えないけど、そういう基準で物事を考える必要もあるんじゃないかな」
なるほど、とみゆは思った。一心不乱に仕事に打ち込み、それが人を感動させる。その結果としてなんらかの見返りがある。そういうことを自然体でしている人は美しい。そして、1円も持っていないのに文化的な暮らしができるうーにゃんこそ、人生の達人だと思った。