すべては自分の心がつくっている
第13話
一切唯心造也
今日は、みゆの元同僚が訪ねてくる。うーにゃんが、みゆのメンターだと聞き、相談にのってほしいというのだ。
「なんか、気が重いなあ」
うーにゃんは、みゆに言った。
「会って話を聞いて、ちょっとアドバイスするだけだから」
「でも……」
「〝少しだけ、だから贅沢〟のモンプチ、ごちそうするから」
「それ、いつも食べてるよ」
♪ピンポ〜ン
玄関のチャイムが鳴り、みゆが出迎える。入ってきたのは、長身の若い女性だ。みゆがうーにゃんに紹介すると、女性ははにかみながらペコンと頭を下げた。
「はじめまして、ユイといいます。うーにゃん先生ですね。お噂はお聞きしています」
風貌に似合わず、物言いがしっかりしている。
「はいはい、わたしがうーにゃんですよ」
うーにゃんは、わざとイジワルばあさん風に答える。
すると、女性の態度が豹変した。
「うそうそ! ネコがしゃべった。みゆが言ったこと、うそじゃなかったんだ」
うそうそと言いながら、うそじゃなかったんだという。
「だから言ったじゃない。人間の言葉を話すって」
「えー、ほんとう? ありえな〜い」
ありえなくはない。現実に起きていることである。はしゃぎぶりを見ていると悩みがあるとは思えないが、うーにゃんは話を聞くことにした。
ユイが言うには、職場にとても意地悪な先輩がいて、その人のことを考えるだけで息が苦しくなってしまうという。
「よくあることだよね」
うーにゃんは、ため息をつきながら言った。
「どの職場にもそういう人はいるよ。職場に限らず、人がたくさん集まっているところは社会の縮図だから。ニンゲン以外の自然界なら、食うか食われるか。意地悪されるくらい、なんてことないと思うけど」
みゆも相槌を打つ。
「でもさあ、ほんっとにひどいんだから。みゆが辞めてから転勤してきたんだけど、そのオバサン、ずっと結婚できなかった理由がわかる」
「で、うーにどうしてほしいの?」
「折れそうな心がシャキッとするようなアドバイスをしてほしいの」
「そんな、魔法みたいなことできないよ」
「でも、みゆは、うーにゃん先生の言葉で何度も救われたって言っていますよ」
うーにゃんの表情が少し緩んだ。そう言われれば、嬉しくないはずがない。
「しかたないな〜」
うーにゃんは、きちんとネコ座りして瞑目し、低い声でつぶやいた。
「一切唯心造也(いっさいただこころのつくるなり)」
「え? なになに。わかんな〜い」
女性のキャピキャピ声が裏返った。
「この世に、意地悪な人という存在はないの。あなた、唯識論って知っている?」
「ユイシキロン? 知らな〜い」
やたら語尾を伸ばす。
「この世にあるものはすべて自分の心がつくりだした仮のもので、心のほかに事物的存在はないということ。唯物論と対極をなす考え方だよ」
「なんか、よけいわからないわ」
「つまりね、あなたの心が意地悪な人をつくりだしているということ。その人は意地悪な面ももっているけど、あなたはそこしか見ていないから、その人がそう見えるだけ。ほんとうは、あなたにだって意地悪な心があるのよ」
「まあ、そう言われてみればそうかなあ」
「あなたも意地悪な心を持っているから、ほかの人の意地悪な面が見えてくる。だからね、この人、意地悪だって思ったら、少し深呼吸して息を整え、それは自分の心がつくっているって思ってごらんなさい。その人に対する印象が少しずつ変わっていくから」
「そうかぁ! こんど、やってみるよ」
ユイは素直な性格だ。だからこそみゆと仲がいいのだろうとうーにゃんは思った。
「それと、ひとつお願いがあるんだけど、うーにゃん先生、わたしのメンターにもなってください。だって、みゆを見ていると、いつも気持ちが平らっていうか、うちの会社にいた頃、毎日仕事でミスして上司から叱られていたのに、なにくわぬ顔でしれーっとしていたんだもの。ぜったい、うーにゃん先生のおかげだよ」
「毎日叱られていたの?」
うーにゃんは、みゆに向かってそうつぶやいた。
「……うん」
みゆはバツの悪そうな表情をする。
「うーを評価してくれるのはうれしいけど……」
うーにゃんが言い終わらないうちに、部屋のドアが開いて、パパが顔を出した。瞬間、ユイはのけぞって大声をあげた。
パパは満面の笑みで、「きみがマユミちゃんだね。はなしはみゆから聞いているよ」と言った。
「あのぉ……、ユイといいますが」
「そうそう、ユイちゃんだったね」
パパは照れ隠しに大声で笑った。
またぁ?
みゆとうーにゃんは呆れ果てた。みゆの友だちが来ると、パパはいつも嬉々として割り込んでくる。
「ネコに小判、ネコの耳に念仏、ネコのひたい、ネコの手も借りたい、ネコも木から落ちる、ネコも歩けば棒に当たる、ネコババとかいうだろう? なにか困ったことがあったら、ネコに頼るより私に相談しなさい」
そう言ってパパは胸をドンと叩いた。実際、ドンという音がした。
ユイはわけがわからず目を白黒させている。
「パパ、またママに注意されるよ」
みゆのひとことでパパは急に神妙な顔になり、黙り込んでしまった。