無用のものはなにもない
第6話
無余無欠
「うーにゃん、ありがとね」
うーにゃんは毎朝、掃除の手伝いをしている。しっぽを巧妙に使って、ベッドの下など人間の手では届かないところの埃をはらう。掃除を終えたあと、ママにしっぽを洗ってもらうのが至福のときだ。役に立っていると実感できるからだ。
飼いネコが掃除をしているというのに、みゆはまだゴロゴロしている。
「ねえ、早く起きてよ、みゆ」
うーにゃんはみゆの耳元で大きな声を出した。
「うるさいなあ、もう……」
「最近、ゴロゴロしてばかりじゃない。仕事、行かなくていいの?」
「いいの。がんばったって、どうせ同じだもん」
「あんなにはりきってたのに。なにかあったの?」
「う〜ん……」
みゆはベッドの上に座り、ぽつぽつと話し始めた。
どうやら仕事で失敗が続き、自信をなくしてしまったようだ。最後に大きくため息をついて、こう言った。
「わたしなんか存在価値ゼロ。ひきこもりたい人の気持ちがわかるよ」
「存在価値がない人なんて、世の中にいないよ」
「そんな、うーにゃんはきれいごとばっかり言って。まわりを見てごらんよ。うまくいっている人とそうじゃない人のちがいがはっきりしているじゃない。だれも価値があるなんてことは、世の中を知らない証拠だよ」
「そうかなあ……」
うーにゃんは、そう言ってまじめな表情をし、ネコ座りした。
「無余無欠。この言葉をしっかりと頭のかたすみに入れておいて」
「ムヨムケツ?」
みゆはうろんな目でうーにゃんを見た。
「この世には余分なものもないし、欠けているものもない。すべてが合わさって完璧に調和が保たれているってことだよ」
「また難しいこと言っちゃって。だから、そういうことはきれいごとだって。そもそもそれがほんとうなら、どうして出来のいい人とそうじゃない人がいるのよ」
うーにゃんは、いったん身づくろいをしたあと、みゆの目をしっかりと見ながら話し始める。
「全員がヴァイオリンを弾いているオーケストラってある? みんながピッチャーの野球チームってある? 全部が同じ形のパズルってある? みんなが同じ形の魚だったらわざわざ水族館に行く? どんなものでもそうだけど、みんなちがってあたりまえなんじゃない?」
「それはそうだけど……」
「動物界を見てみて。百獣の王と言われているライオンだけが存在価値があるの? 生態系をたどっていくとわかるけど、目に見えないバクテリアとかがいなかったらライオンだって存在できないんだよ」
「それはそうだけど……」
「みんなそれぞれに役割があるの。この宇宙をつくったのがだれかわからないけど、ひとつもむだなものがないからこそ、はるか昔から絶妙なバランスがとれているのよ」
「そうはいっても、だめなものはだめじゃん。現にわたしはどんなにがんばったって、人に迷惑かけるだけだもの。それならなんにもしない方が世の中のためだよ」
「それは自分がどういうことをすればいいか、まだ見えていないからだよ。かならずその人に合った役割がある。それを真剣に求めれば、かならず見つかる。でもね、それまでは時間がかかるの。パパも言っているでしょ? すぐに得たものはすぐに失われるって」
「その言葉は聞き飽きたよ。じゃあ、いつまで待てばいいの。パパなんて、好きなことして好きなこと言っているだけじゃない。ずるいよ」
「そうなるまでは案外努力したかもよ。ああ見えて」
「じゃあ、百歩譲って、わたしはいつになったらそれが見つかるのよ」
「それはわからない。それも個性、一人ひとりのちがいだから。考えてみて。結果がすぐに出ないからこそ、それまでのプロセスが楽しいんじゃない」
「じゃあ、うーにゃんの役割って、なんなのよ」
言われて、うーにゃんは腕組みをして、しばらく考え込んだ。
「うーの役割はみゆやママやパパの心を和ませること。ほんの一瞬でもいい。ニンゲンはいろいろわずらわしいことが多くてたいへんだから。なごめる時間があるかないかで、心持ちが変わってくるでしょう? だから、そのお手伝いをする。あとは、みゆがきちんとした社会人になれるよう、導いてあげることかな」
「なによ、上から目線でえらそうに。先生ぶっちゃって」
「てへ」
そう言って、うーにゃんは後ろ足で耳を掻いた。
「やだあ、ネコみたいな真似はやめて」
みゆはくすんと笑った。
「たしかに、うーにゃんの気楽そうな顔を見ていたら少しずつ気持ちが楽になってきたわ。この世に余分なものも足りないものもない。たしかにそのとおりかも。あらためて思い出すと、自分がやったことで喜ばれたことがたくさんあったし、そういうときはわたしも嬉しかった。わたしも自分がなにをすればいいのか、きちんと考えてみるよ」
扉のすきまからふたりの会話を聞いていたママは、にっこり微笑んだ。
「じゃあ、明日からいっしょに掃除をしようよ。うーの体、埃だらけになるけど、みゆが洗ってくれる?」
「ママの仕事を奪ってしまうよ」
「ううん。うーはみゆに洗ってもらいたい。だって、みゆは命の恩人だもの」
「いつまであの日のことを憶えているの。もうずいぶん昔の話じゃない」
「ずっと憶えているよ。むしろ、そのときの記憶がどんどん鮮かになっている。みゆの小さな手で持ち上げられたときの感触がはっきり残っているんだもの」
うーにゃんはみゆの顔に頬ずりし、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「やだあ、ネコみたい」
うーにゃんがネコであることをすっかり忘れているみゆであった。