「おもてなし」の入り口
先週、半年ぶりにお茶のお稽古に行ってきた。前回は12月、年が明けたあとは自粛規制で休みになったり、再開しても仕事の都合で行けなかったりと、ずいぶん無沙汰をしてしまった。
茶室の姿も冬の装いから夏の装いへ、炉から風炉へとすっかり様変わりしており、おかげで点前稽古はさんざんだった。覚えていた作法はすっぽりと抜け落ち、座る位置から帛紗のあしらい、茶筅とおじ、茶筅すすぎと、なにからなにまで失敗の連続だった。
いつものように先生は客席の生徒さんたちに向き合い会話を楽しんでおられる。ところが、わたしの手が止まったり間違ったりするたびに「違う」「そうじゃない」「そこはこうです」などと言葉が飛んでくる。どうやら背中にもうひとつ目がついているらしく、先生にはおたおたするわたしの一部始終がすべて見えていたようだ。
「仕方ありませんね、あなたの前回のお稽古は炉でしたから」
と、呆れながら苦笑いする先生。
つられて他の生徒さんたちもぎこちなく笑う。
「どうもすみません」と縮こまるわたしの体は、すっかり冷たい汗で冷え切ってしまった。
とほほほ…と、これまた情けなくも痺れた足でよたよたと客席へ戻る始末。
日々の稽古というものの大切さを、あらためて思い知らされた一幕であった。
そもそもわたしがお茶を習いたいと思ったのは、「おもてなし」の心を学べたらいいなと思ったからだ。人への心配りというものを、お茶を習って身につけたいと思ったからだが、そんなことはお茶を習わなくとも、心がけ一つでどこでも学べる。正直、ちょっと背伸びしたい気持ちもあったのだ。むしろ、そっちの気持ちのほうが大きかった。
「学びたい」という強い熱意があったわけではない。単なる見栄だ。「お茶を習ってますの。ほほほ」などと、言ってみたかっただけである。
まったく動機が不純なのだから、稽古にも身が入るわけがない。もちろん日常的にお茶を点てることもない。
その一件で、目が覚めた。
なんのために高い月謝を払って、電車に乗って習いに行くのか。
身の丈に合わない習い事をして、なんの意味があるというのか。もともと自分には合っていないんだ。
もうやめようか……。
やめるなら1日も早いほうがいい。
あれこれと頭は「やめる」理由を探している。
ぐるぐると意味のない思考を巡らせていると、ふと先生の姿が浮かんだ。お年を召された丸い背中でキビキビと茶室の室礼や道具の準備をされる姿や、問わず語りに昔話を聞かせてくださる姿がぼんやりと思い出され、「おもてなし」というものに、なんとなく触れた気がした。
――ああ、申し訳ないことをしてしまった……。
なんの稽古もせず、心の準備もしないまま久しぶりの稽古に出向いた自分の浅はかさに、顔から火を噴く思いがした。
人から何かを習い学ぶということは、その人がそれまでの人生で培ってきたものを分けていただくということではないか。そんな大事なものを授けてくださるというのに、わたしの身勝手な気持ちや行動で、無駄な労力を使わせてしまうというのは、これほど無礼なことはない。
しかも、この教室を紹介してくださり、先生と引き合わせくださった方がいる。その人に対しても申し訳が立たない。礼儀知らずな人間を紹介したとあれば、その人の信用にもかかわる。
だとすると、身が入らない稽古なら一刻も早くやめたほうがいいのかもしれない。それがせめてもの礼儀なのかもしれない……。
それから一週間後。わたしは、ふたたび練習道具を提げて茶の稽古に向かった。その日はいつもより生徒さんが多く、6畳の茶室は満席。隣のロビーでの立礼式の稽古に参加した。これまで2回ほどしかやったことがない。一瞬、不安がよぎる。前回同様、先生や先輩方の誘導に従いながら茶を点てることになった。つまずいては教えてもらう。間違いもいっぱいあった。
ところが、前回のように慌てて冷や汗をかくことはなかった。つまずたり間違えはしたものの、不思議と動作はスムーズだった。(と思う)
前回と何が違ったのか。毎日ではないが、何回か自己練習もした。でも、それが理由ではないと思う。
「おもてなし」の第一歩は、きっと「気づく」ことなのだ。
そしてそれは、学ぶことで得られる「気づき」なのだ。
相手の存在、懸命に生きてきた命の存在、優しさや思いやりに気づくことができから、敬意が生まれたのだと思う。失敗して冷や汗をかいたのは、うまくやってやろうと自分のことしか考えなかったからだ。だから慌てた。
でも、今回はできない自分を偽らなかった。ダメなところをさらけ出し、頭を下げる思いで教えに従い点前をした。だからか、間違いだらけでも楽しかった。
「この時間は人も多いから、来られるなら時間をずらしてはどうですか? そのほうがもう少し稽古ができますよ」
先生付きの先輩が、そう言ってくださった。わたしが何かに気づいたことを察したのだろうか。
単純なわたしは、その一言で救われたような気がした。
――もう少し、つづけてみようかな……。
稽古を終えて外へ出ると、梅雨晴れの空が広がっていた。
今回は「彩雨」を紹介。 画家の造語でしょうか、川合玉堂の代表作に『彩雨(さいう)』という雨にけぶる紅葉の風景を描いた作品があります。続きは……。