日々是食日 体と心が喜ぶ食の話

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ココロバエ
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ちからのある言葉
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黄昏の幸福

2021.03.08

 ある日の夕暮れどき。買い物から帰る途中に、幸福を絵に描いたような光景をみた。まだ3歳くらいだろうか。「ちびっこ」という言葉がぴったりな三つ子ちゃんたちが、小さなリュックを背負い母親のうしろを横並びに歩いていた。おそらく保育園からの帰り道だろう。揃いのリュックと母親のビジネスバックがそれを物語っていた。母親の手から伸びる白い紐が3つにわかれて子供たちとつながっている。まるで3びきの子犬を散歩させているかのように。
 

 それが残酷に見えなかったのは、黄昏の黄金の光のなかにいたからだろうか。子供たちを気遣い微笑みを返しながら振り向く母親の姿の、あまりに美しいこと。ぴょこぴょこ楽しそうに歩くちびっこたちも愛らしく、思わず頬がゆるんだ。
 
 子供の歩くスピードに合わせて、ゆっくりゆっくり進んでゆく母子4人。こちらもつられて歩幅が縮む。ちびっこたちは立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩き、母親はそのたびに笑みを返す。
 4人の歩行に合わせてゆっくり歩いていても、こちらとの距離はしだいに縮まってゆく。通りすがりに、こっそりちびっこたちを盗み見た。母親とつながった白い紐が、子供たちの前で動きに合わせてゆらゆらとゆれている。
 
―― あぁ、お母さんと赤ちゃんは、こうやってつながっているんだなあ。
 
 母親のお腹の中でへその緒につながり、安心しきってすやすや眠る3人の赤ん坊が浮かんだ。
 母の胸に抱かれる子供たちの、一幅の母子像の絵が目の前に現れたようだった。それはもう神々しいばかりで、黄金の光に包まれたような幸福感を味わった。
 
 彼らから遠ざかっても、その黄金の幸福感は、しばらくの間わたしの中でやわらかい光を放っていた。
 コロナ禍によって人間関係が壊れそうな不穏な世の中にあっても、愛情という一条の光は、日常のあちこちにも失われずにあるのだということを、あの母子に教えられたような気がした。
 ふと一首うかんだ。 
 
 ――  母のひく緒につながれし三つの玉(霊)
    夕げの町に聖母子の影
 

 彼らが大人になったとき、この世の中はどう変わっているのだろう。

 黄昏どきの、あの幸福なひとときが、彼らの人生を支えてくれることを願うばかりだ。

 

 ところで別の日にまた彼らに出会った。同じ夕暮れどき。ちびっこのひとりが道端で座り込んで駄々をこねていた。母親とあとのふたりがその前にしゃがんで、理由をたずねているようだった。どうやらあの子は歩くのに疲れたようだ。言葉こそ聞こえなかったが、母親がやさしく声をかけ、ちびっこふたりも一丁前にかわいらしく励ましていた。ふたたびわたしの中で、やわらかい黄金の光が瞬いた。

(画:ラファエロ『ヒワの聖母』)

 

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 今回は「美人」を紹介。美人=姿形の整った見目麗しい美しい女性。これが一般的な「美人」のイメージでしょうか。続きは……。

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