日々是食日 体と心が喜ぶ食の話

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ココロバエ
魂の伝承

ルーティンの醍醐味

2021.02.06

 自分が飽き性だと思っていたのは、どうやら勘違いだったようだ。
 いや、正しくは、ある部分においては飽きっぽく、ある部分ではかなりしつこい。
 これと思ったら、ずっとそれ。食べ物も洋服も、選ぶものはたいてい同じ。冒険はほとんどしない。日常においては。
 それで飽きないの? と言われることもあるが、飽きることはあまりない。
 
 ―― つまらないでしょ? 
 ―― つまる。わたしはね。でも、いっしょにいるとつまらないかもね。
 
 何がつまらないのか、何をつめこみたいのか。どこかに空洞でもあるのだろうか。
 
 もともと新しいことにそれほど関心があるわけじゃないし、SNSのたぐいもまったく皆無だから、流行にも疎い。当然、人との会話にもなかなかついていけない。といって、とくに問題はない。
 以前、フェイスブックもインスタグラムもやっていないと言ったら「今時そんな人がいるの?!」と驚かれ、逆にこっちが驚いたことがあった。そうなのか、そういうものなのかと。
 
 そもそもわたしは自分が弱いことを十分知っている。そんな人間がSNSのような情報の海に飛び込んだら、たまったものじゃない。パニックを起こすのが目に見えている。泳ぐにはあまりに大海すぎるし、サーファーのようにうまく波には乗れないから溺れて沈むのがオチ。それならクラゲのように浅瀬でぷかぷか浮いている方がまだいい。
 
 そんなわけで、わたしの日常はいたってシンプル。
 朝は何年も前からトルトゥリエ演奏のバッハの無伴奏チェロ組曲ではじまり、トイレ掃除、玄関掃除、般若心経の読経という一連の流れのルーティンワーク。ヨガやストレッチなどの軽い運動は高校生の頃からやっている、唯一自慢できることだ。他にも、マイルールに則って、なんとなく続けているものがある。
 この「なんとなく」というのがミソ。「絶対やるぞ!」と決め込むと、なぜかわたしは挫折する。長年の経験である。
 
 前回のコラムでドアーズにハマっていると書いたが、それもいまもって継続中。今はドアーズ以外の音楽をすすんで聴きたいとは思わない。
 好きになったら一直線、一途に想い続ける乙女なのである。ただ乙女は気まぐれだから、この先どうなるかはわからない。
 突然電池が切れて、ドアーズはクローズするかもしれない。そうなるのは、次のドアが開く時だろう。
 
 続けるというのは、案外むずかしい。結果を出す人の多くが口を揃えて言うように「才能とは継続する力」なんだろうと、最近つくづくそう思う。だとすれば、続けられるものや、続けてきたことがその人のほんとうの能力で、オリジナリティーじゃないだろうか。
 
 わたしはずっと昔からそういうものを求めていた。自分にはこれしかないというもの。これだけは、というもの。これがわたしの生きる証、というものを。
 簡単にいえば、生まれてきた理由が知りたかったのだ。なぜ生まれてきたのか。なんのために生きるのか。その理由が知りたくて、飽きずに続けられるものを見つけようとあちこち彷徨っていたんだと思う。つまんでは次、つまんでは次と、食品売り場の試食品を食べ歩くように。
 
 それがそもそもの間違いだったと気づいたのは、ここ数年のこと。もの書きになることを決めた10年前に、これまでの自分をリセットし、教えられるまますべてを受け入れているうちに、探し物はどこか知らない場所にあるんじゃないということに思い至った。
 
 自分という殻を脱ぎ、別の誰かの皮を被る。そうすると、違う景色が見えてくる。これまで見えなかったものが見え、聞こえなかった音が聞こえてくる。
 知らなかった世界を知り、知っていた世界を遠くから眺めてみる。するとまったく新しい世界が見えてくる。

 ウィリアム・ブレイクの詩の一節、ジム・モリソンがバンド名に「ザ・ドアーズ」と命名するきっかけになったあの詩のように。

 

「知覚の扉が浄められるならば 万物は人に有るがままに 無限に現れる」

If the doors of the perceptions were cleansed everything would appear to man as it is, infinite.

 

 そうやって知覚の扉が開かれると、ある日突然、殻を脱ぎ捨てた素っ裸の、何者でもないちっぽけな自分が、ぽつんと立っていることに気づくのだ。

「あぁ、あれが本当のわたしだ」と。

 そこからが新しい自分のはじまりである。

 
 なにかに同化し、自分から離れれば離れるほど本当の自分へ近づいていくというのもおかしなことだけれど、それはきっと当たらずとも遠からずだと思う。
 もちろん、その過程には辛いことも苦しいこともたくさんある。(それまでの友人知人を失ったり)
 だとしても、「続ける」という行為のなかにこそ探し求めている自分はいて、生まれてきた理由、生きる意味は自分で作り上げていくものなんだと、なんとなくでもわかったのは、本当によかった。

 この10年という歳月には、感謝してもし足りない。
 
 ドアーズ三昧の日々を送っていると、ふと耳にした音楽がとても新鮮に聴こえる。たとえ聴き慣れた音楽だとしても。
 ルーティンの日常に変化があれば、それは非日常というより、まったく新しい世界への扉が開いたような、覚醒した気分にもなる。
 そういうささやかな発見が楽しいし、わたしは飽きない。

 

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●神谷真理子(本コラム執筆者)公式サイト「ma」

 

●「美しい日本のことば」連載中

 今回は「空薫」を紹介。香道の世界ではよく知られている言葉でしょう。空が薫ると書いて「空薫(そらた(だ)き)」。香を焚いて室内に香りをゆきわたらせることです。続きは……。

 

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