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ちからのある言葉
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ハートに火をつけて

2021.01.14

 それまでたいして気にもとめなかったことが、ある日突然、気になって仕方がないということがある。いつも側にあってよく触れていたものなのに、ある時ふと、それが特別な輝きを放つ宝石になってしまうというような。まるで肌をなでてゆく風の中にかすかな甘い香りを感じた時のように、ふと立ち止まってその存在を確認し、「みーつけた」とほくそ笑む。そんな瞬間が、日常には時々起こるものだ。最近、わたしにもそんな瞬間があった。
 
 1960年代後半から’70年代前半にかけて活躍したロックバンド「ドアーズ」に、突如メロメロになってしまったのだ。ずっと前に知人からiPodに入れてもらってよく聴いていたし、初めて聴いたときも「かっこいいなあ」とは思っていたのだけれど、だからといってとくにお気に入りというわけでもなかった。そもそもわたしはドアーズというバンドをよく知らなかったのだ。数年前に、仕事でボーカルのジム・モリソンの名前を拝命したというアーティストのモリソン小林さんにお会いした時、初めてその存在を知ったというくらいなのだから。

 

 それが昨年の後半ごろ、突然ジム・モリソンの歌声が耳につくようになった。最初は「なんか気になる」というくらいだったが、たまたま買った中古の『ベスト・オブ・ドアーズ』のC Dを繰り返し聴いているうちに、胸の奥がざわざわと騒いで、気がつけばiPodも日常の音楽もドアーズ一色になっていたというわけだ。なんというか、じりじりと燻っていた火種にぽっと火がついたような。ジム・モリソンが歌うように、ハートに火をつけられてしまったという感じ(「Light My Fire (ハートに火をつけて)」という歌がある)。
 その後『L.A.ウーマン』と『太陽を待ちながら』を購入。ひたすら聴いて、どうしても他のも欲しくなって残りの4枚をまとめて買った(彼らのオリジナルアルバムは6枚だけ)。それを今、何度も何度も聴いている。お気に入りの曲は、「ハートに火をつけて」「ムーンライト・ドライブ」「ロードハウス・ブルース」「ファイブ・トゥ・ワン」「アラバマ・ソング」、「バック・ドア・マン」もかっこいい。「ミュージック・オーバー」も「ジ・エンド」も、ダークだけれどそこがいい。「L.A.ウーマン」を聴いたときはチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」のリズムに似ていることが気になったけれど、ジム・モリソンのあのジャンキーな気の抜けた歌声を聴いていると、そんなことはどうでもよくなった。
 
 なんだろう。ドアーズの曲を聴くと、オブラートに包まれたような嘘っぽい世界から解放されるような、丸裸にされたような気分になるのだ。プラスティックや機械ではない本物の生の躍動。内包する動物的本能。感情の放射。そういうものが生身の人間には必要なんだと思い出させてくれる。体が自然に音楽に反応して、踊り出してしまう。なぜだろう?
 
 昔から音楽が日常にあったとはいえ、特に音楽に詳しいわけではないし専門的なこともなにひとつわからない。もちろん楽器も弾けない。たいていの人はそうだと思う。聴きたいか、聴きたくないか。気持ちいいかどうか。それが基準。だから今回「なぜ今ドアーズ?」と、自分でも不思議だった。
 
 わたしはジム・モリソンが急逝した次の年に生まれたから当時の社会情勢など知らないし、洋楽を聴くようになったのも中学生のころでポップ・ミュージックがほとんどだった。
 ドアーズが一世を風靡したころはベトナム戦争や公民権運動などが起こり社会的にも混沌とした世の中で、血なまぐさい話題が多かったという。だから彼らの音楽を聴くと、当時のことが思い出されて嫌な気分になるという人もいるらしい。
『ベスト・オブ・ドアーズ』のライナーノート(解説冊子)に、「村上龍の小説で『ぼくらは27歳を過ぎてもうドアーズを一晩中聴くこともなくなった』というようなフレーズを読んで、そういうものなのか、と思っていた」と書いてあるのも、もしかすると同時代を生きた人たちの正直な気持ちなんだろうな、と思う。
 
 でも、たとえ血なまぐさい記憶を呼び起こされたり、ほとばしる情動に陰りが出てきたとしても、朝がきて夜がくることに変わりはなく、一日一日を懸命に生きることも当時とそう変わりはないはずだ。
 そんなことを考えていたら、ドアーズ、とくにジム・モリソンの社会に対する反発や、生と死の間でゆれうごく激情、昏迷しながらも必死でなにかを掴もうともがき苦しみ、本当の自分を取り戻そうとする姿が、手に届くところにあるような気がした。
 そうか。表面的にはまったく違うけれど、当時の混沌とした世の中と、現在の状況はどこか共通するところがあるなあと。
 
 ネット社会の情報の垂れ流しによるさまざまな社会問題、それを取りしまろうとする病的に細かいルール、排他的なコミュニティの増加、血は流さなくともそれ以上に悪質な殺人的言動、加え、コロナ禍による孤立化など、もしかすると、ジムの生きていた時代よりも酷いんじゃないかと思うほどに。それが大抵の場合、中高年の素行だったりするものだからいけない。同じ世代のひとりとして、なんとも恥ずかしい。
 
 そういう反動からか、小器用で正しい若者もたくさん増えた。正しすぎるくらいに。正しすぎる若者って、どうなんだろう。あまりにも若者が物分かりがいいのも、ちょっと怖い気がする。
 わたしの視界が狭くなったのか(たぶんそうだろう)、あるいはオバサン化しているのか(きっとそうだろう)、きちんと正しく整備制御されたクローン人間のような若者が増えているんじゃないかなあ、と最近とくにそう思う。それもこれもザンネンな大人たちのせいだと思えば、申し訳ない気もするのだが……。
 
 そういうわけで、わたしの今の気分はドアーズなのだ。
 ビクビクしたり、しかめつらしい顔なんかしないで、とにかく踊ろう。

 巣の中でも気分はよくなる。
 ほら、Light your fire!

 

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●「美しい日本のことば」連載中

 今回は「うつし世」を紹介。うつし世とは、生きている世界、現世のことです。周知の通り「現」とは「うつつ」、夢と現実を対比した「ゆめかうつつか」という表現はよく知られています。続きは……。

●「日日是食日」連載中

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