日々是食日 体と心が喜ぶ食の話
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ちからのある言葉
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真鯛の言うことには・・・。

2020.12.13

 ある日の午後、わが家にイキのいい真鯛がやってきた。初秋だったろうか。ようやく樹々も色づきはじめたころだった。
 玄関口で真鯛はぎょろりと眼を剥き、こちらを上から下から舐めるように観察すると、「ふっ」と鼻で笑ってそっぽを向いた。そっぽを向きながら、ずかずかと押し入ってくる。

 

 ――え? マダイ? ふ? ふってなに、ふっ…て。 えぇーっ?!
 

 ギョギョっと驚くわたしを横目に、真鯛はでっぷりと腹を出して横になった。
「あぁ〜もう、へんなとこに来てもた。あかん、ここはあかん……」
 なにやらぶつぶつ言っている。真鯛がなぜに?
 なんだかよくわからないが、混乱する頭をふって、ぶつぶつ文句を言う真鯛に恐る恐る訊ねてみる。
「あのぉ……マダイさん、すみませんが、どこかのお宅と間違えていませんかね? あ、いえ、どこかの海に帰るはずだったのじゃ…」
「は? 海? アホか。どこの海に帰るねん。ワシは釣られて頭どつかれてから気ぃうしのうて、もうなんにも覚えてへんねん。目ぇ覚したら、ここに行けゆわれてん。行くとこないし、しゃあないからここにきたんや。あんた〇〇言うんやろ?」
「え、あ、はい…そうです。そうですけど…でも…。ここに来られた理由がいまひとつ…」
「ごちゃごちゃうるさいなあ。理由なんかええねん。ホンマ、さっきから、ワシら魚も言わへんしょーもないギャグ言いよるし。ぎょぎょ!って、なんや。そんなん言うか! あかん、ほんま、えらいとこ来てもたわ」
 真鯛は眼を白黒させながら、パタパタと尾ひれをふった。尾ひれをふられても、わたしにはどうすることもできないので、仕方なくぬるめの白湯を出した。
「何もないですけど、お白湯でもどうぞ。よかったらこれも…」
 と、お茶請けならぬ白湯請けに〝えびせん〟を添えた。真鯛はぎょろっと視線をえびせんにうつし、「はぁ〜」とため息をひとつついて白湯をすすった。
「エビでタイを釣るってか。ふん。笑わせよんなぁ。それでワシの気ぃ引いたつもりか。まぁ、ええわ。たいしたもんなさそうやし、ゆるしたるわ」
 真鯛は横になったまま、えびせんをぼりぼり食べた。

 

 なんだか偉そうな真鯛に、さすがのわたしもちょっと腹が立った。少しこらしめてやろうと、こっそり白湯に熱湯を注ぐ。
 真鯛はえびせんを食べながらテレビに夢中で、白湯が熱湯に変わっていることに気づいていない。よそ見したまま湯呑みにヒレを伸ばすと、
「ギョッ!!」
 しょーもないギャグを飛ばして白眼を剥いた。
「言いましたね、いま。ギョって」
 わたしは勝ち誇ったように真鯛を見下ろした。
「あっつ、あっつぅ! なにしてくれてんねん! あついやろ!」
 真鯛は真っ赤になって、ぴょんぴょん跳ねた。跳ねた瞬間、湯呑みが倒れ、熱々の白湯が真鯛の体の上にかかった。ところどころ剥がれた鱗が、ぴんぴん飛び散る。
 あまりに跳ね回るものだから、わたしも悪いことしたなあと、冷凍庫から氷を取り出し、真っ赤になった真鯛の体を冷やしてあげた。
「すみません、熱すぎましたか。まあ、でも、だらしなかった体もちょっと引き締まったようだし、体臭も和らいだかと…」
 飛び散った鱗をかき集めながら、わたしは真鯛を盗み見した。真鯛は口をぱくぱくさせて、息も絶え絶えのようだ。
「あ…あ…、あつ…あっつ…、し…し…」
「し? なんですか? マダイさん」と、わたしは真鯛の口元に耳を寄せた。
 真鯛は大きく息をついて、
「し…死ぬかと…おも…おも…おもたぁ」と、ほぉっと胸をなでおろした。

 

 心底驚いたのだろう。真鯛の大きな黒眼がうるんでいる。心なしか、翳りも見える。
「あのぉ、マダイさん。それで結局、どういうわけで、ここへ?」
 うるんだ真鯛の眼を覗き込みながら、わたしはもう一度訊ねた。
 真鯛は口をぱくぱくさせ、絞り出すように言った。
「し、しらん! ワ、ワシもしらんのや! なんで…なんで、こないな目にあわなあかんのか、ワシにもようわからん…」
 それだけ言って、真鯛はぷいっと横を向いた。横を向いたまま、イキのいい真鯛は、それ以上もう何も言わなかった。
 
 
「やっぱり、イキのいい鯛の刺身はうまいねえ。身が引き締まって。それで、残りのアラはどうするの?」
 息子が不揃いに切られた刺身をペロリと平らげて訊ねる。
「どうしようねえ。あら汁か、それとも生姜とネギで甘辛く煮るか。すぐに冷凍したから美味しいよ、きっと」
 噛み砕いた刺身をごくんと飲み込み、わたしは応えた。真鯛のうるんだ黒目を思い出す。最後にポツリと呟いた言葉も。
 
 ―― 煮るなり焼くなり、どうにでもせぇ。
 
 真鯛さん、ほんまにえらいとこ来てしまいましたね。痛かったでしょう? 上手にさばけなくて、ごめんなさいね。ええ、最後はお望みどおり、出汁にして骨の髄までいただきましたから、どうぞ安心して成仏してください。

 

 

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 今回は「たなごころ」を紹介。手と手を合わせる合掌の「掌」が「たなごころ」。手のひらのことです。続きは……。

 

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