静かにこわい野生のいきもの
「おいしいキノコ料理、ごちそうするよ」
去年の11月ごろだったろうか。知人のSさんから連絡があった。
Sさんはキノコ採りの名人で、毎年、シーズンになると仲間と一緒に山に入る。収穫した大量のキノコは持ち帰って下処理をし、冷凍保存しているらしい。それを、季節問わず友人知人に振る舞うのだ。ありがたいことに、わたしもその恩恵に預かったというわけだ。
天然のキノコなど、そうめったに食べられるものじゃないから胸が踊った。
当日、共通の友人と連れ立ってSさんの工場へ出向くと、すでに宴の準備は整っていた。テーブルの上には土鍋セットが2つ。生野菜にジビエ肉や魚などの燻製。それに、何種類かの半調理した材料もあった。もちろん酒もたんまり用意されている。
中でもとりわけ異彩を放っていたのは、やっぱりというか、野生のキノコ群である。
エノキダケやナメタケ、ヒラタケなど、素人目には判然としないキノコたちが、解凍されてぬめりと光を放ちながらこんもり山をつくっていた。
こ、これが天然の風格ってやつか…。ちょっとグロいな…。
気を取り直して、まずはビールで乾杯。ジビエの燻製に手を伸ばす。
―― やっぱりおいしいなあ…、〇〇さんの燻製は。
と、Sさんがおもむろに立ち上がりコンロへ向かった。フライパンを手に取り、火にかける。オリーブオイルを流し、フライパンを回しながら半調理したベーコンとキノコを放り込んだ。ジャーっという音とともにニンニクの香りが立ち上がる。
「おー!!」
一同の歓声があがる。ジャッジャッと慣れた手つきで鍋を数回振り上げて、すぐさま火を止めるSさん。一人ひとりの皿には、ベビーリーフなどの生野菜がわさわさ敷かれていた。その上にベーコンとキノコのソテーをたっぷりのせる。ハーブ塩をひとつまみ、パラリとかける。黒胡椒もガリガリと。チーズを削り、最後にオリーブオイルを回しかけて、
「どうぞ。うまいよ」
なんてダンディなSさん。これぞ男の料理です。
そのキノコソテーの美味しいこと。噛みしめるたび、じゅわじゅわと出るわ出るわ。ベーコンとニンニクの風味を吸い込んだ天然キノコの肉汁が。赤唐辛子のピリリと辛い刺激も後を引いた。これだけでもう、ノックアウトである。
ボリュームもたっぷりで、わたしのお腹は6分目ほど埋まってしまった。
しかし、これはSさんにとっては軽い前菜。メインのキノコ鍋も待っている。他にも、Sさんはあれこれと手早く調理していく。その間も、わたしはワインと燻製を勧められるまま口にしていた。
キノコ鍋も文句なしだった。白菜やネギと一緒に鳥手羽もごろりと入って、キノコと抜群のハーモニーを醸していた。この出汁が美味しくないわけがない。すでに腹8分目を越そうというのに、わたしは食い意地はってずびずびと何杯も飲んでしまった。
会話もはずめば酒もすすむ。そんなもんだから、お腹はもう破裂寸前。限界値を超えていた。
あと一匙でも入ろうものなら…。そこへ、野性味あふれる鍋の残り香がぷんと鼻先をかすめた。あぁ…もうダメだ…。
結論を言ってしまえば、キノコもなにもかもすべてトイレの中へ逆流してしまったのである。
そんな失態にもSさんは優しかった。
しばらくしてふたたび会った時、こう言ったのだ。
「新年会やろうよ。こんどはもう少し量を減らすからさ、またキノコごちそうするよ」
―― え! キ、キノコ……。
お腹がきゅっと縮んだ。
ぬめぬめと光る大量のキノコ。もわもわと鍋から立ち上る野生の匂い。思わず腹を抱える。
「これってヒラタケ? めちゃくちゃ美味しい! ずっと食べたかったんだ」
と言って、味噌汁をおかわりする息子。
新年会で残ったキノコをいただき、味噌汁にした。
「美味しいでしょう? 野生だからね」
わたしは、おずおずと汁をすする。
Sさんは宣言どおり、かなり控えめに手料理をふるまってくれた。
今回の料理もすべて文句なしで美味しかったし、前回のような失態もなかった。
けれど、わたしの体は哀しくも怯えてしまったのである。
野生の生き物にひそむ凶暴さに。
火にかけられた野生のキノコたちは、芳しい香りを放ちながらも恐ろしい匂いを放つ。スーパーで買ってきたキノコとは明らかに違う強烈な匂い。旨味とは違う、なにか。
くれぐれも食べ過ぎにはご用心。うっかりその味に魅せられると、彼らは必ず牙を剥きますよ。