日々是食日 体と心が喜ぶ食の話

食パンは日曜日

2020.01.03

「あんな食パン、今まで食べたことがない。めちゃくちゃ美味しいよ」
 その人は、今にもよだれを垂らさんばかりに興奮気味でそう言った。

 どういう風に美味しいのか、やわらかさ、もちもちした食感、素材のうま味、トーストにしてもそのまま食べても抜群に美味しい、説明するのももどかしそうに、とにかくやみつきになる味だと声を裏返しながら話してくれた。

 

 彼を虜にした食パンは、銀座に本店を構える『銀座に志かわ』の高級食パン。水にこだわり、食パンだけに特化しているという。1本(二斤分)864円という価格は、たしかに安くはない。それでも人気があるらしく、店頭販売も早々に売り切れるらしい。
「とにかく、食べてみればわかるよ」
 拷問のような殺し文句に、あふれてくる生唾をごくんと喉の奥へ追いやった。
 
 食パンは日曜日。それが、子供の頃の我が家の暗黙のルールだった。父の仕事の都合上、月曜日から土曜日までは朝食はご飯食と決まっていたため、食パンを食べられるのは休日の日曜の朝と限られていたのだ。

 

 活動的でせわしない平日の朝とは違い、日曜の朝は村全体が呼吸を忘れたように静かで、物ごとがゆるやかに過ぎてゆく。ゆるゆるとやわらかい空気にまぶたも重い。休みというだけで誰もが寝坊を許されるような気配があった。

 

 学校や仕事に合わせて朝食を急ぐ必要もない。母もこのときばかりは手を抜いて、卵をゆでるか、フライパンにポンと3つ4つ目玉を落とすだけでよかった。あとは、めいめいが好きなように、食パンを食べた。こんがり焼いてバターをたっぷり塗るもよし、その上に蜂蜜をたらすのもよし、イチゴジャムやマーマレード、ブルーベリージャムが用意されていれば、ちょっと贅沢な気分を味わった。

 とりわけ、トーストしたパンにマヨネーズを塗ってハムをのせただけの簡単おかずパンは人気だった。他にも、食パンにマヨネーズとケチャップを塗ってトーストする、具なしチーズなしの〝なんちゃってピザトースト〟というのもあった。

 

 そんなわけで、家族5人、5枚切りの食パン3斤は創意工夫によってものの見事に食べつくされた。と言っても、ほとんど子供たちの食欲によってである。ふだんの真面目な食事の鬱憤を晴らすかのように、これでもかと食パンをむさぼった。食パンをむさぼりながら、私は、おだやかでゆるやかな時間をむさぼっていた。

 あの頃の日曜日は、子供たちにとって食パン祝祭日であり、のんびり屋の私にとっては早すぎる時と体内時計を調整する日でもあったのだ。
 
「あの子だけずるい。あたしも、おばあさんとこで食べたい」
 言っても無駄だと思いながら、私は母につめよった。
「なんで、あの子ばっかり。ずるいわ」

 

〝食パンは日曜日〟。そう信じて疑わなかったのに、平日も平然とパン食を堪能していた裏切り者がいた。妹である。
 当時、階下に住んでいた祖父母は、ハイカラな生活を好む一面があり、朝食はほぼ毎日パン食だった。そこに妹が潜り込んでいたのだ。甘え上手で、なにかにつけ祖父母のもとへ逃げてゆく彼女を、そうできなかった私は恨めしく思っていた。
 妹はというと、まったく悪びれる様子もない。
「下、いってくる」
 ケロリと好きなように振る舞う彼女に、こちらもバカバカしくなって、どろりとした感情を持て余すしかなかった。不憫に思ったのだろうか。休日になると、ときどき祖父が喫茶店に誘ってくれた。

 

「モーニング、食べにいこか」

〝モーニング〟とは、モーニングセットの略である。今でこそ、飲食店ではモーニングセットは当たり前にあるし、飲み物と一緒にセット価格で提供されているが、私の田舎では、ずいぶん昔から「モーニング」は無料で飲み物に付いてくる〝おまけ〟だった。サンドウィッチかトースト、サラダ、卵、ヨーグルトなど、店によって種類も量もまちまちで、モーニングメニューの良し悪しが店の良し悪しにつながるほど「モーニング」というのは重要なメニューだった。
 
 行きつけの喫茶店で、祖父は必ず「いつもの」を頼んだ。
 コーヒーにトースト、サラダ、ゆで卵、オレンジ。コーヒーにはミルクと砂糖を入れて。そして「いつもの」食べ方をする。
 こんがり焼いた食パンにバターを塗り、半分に割ってコーヒーに浸す。パンがひたひたにならない程度に、さっとくぐらせ口へ運ぶ。また浸す。食べる。片割れを食べ終え、コーヒーをひとくち。ほんのりバター風味のコーヒーをすすり、残りの片割れに手を伸ばす。
 新聞を片手に、うつむき加減でコーヒー色のトーストを味わう祖父の一部始終に、子供の私は釘づけになった。

 

 ―― おとなやなぁ……。

 

 クリームソーダのクリームをスプーンでぐるぐる混ぜながら、上目づかいで祖父を見やり、パチパチとはじける若葉色のソーダ水を、ずずずーっとできるだけ長く音をたてて飲んだ。祖父の静かな大人のぬくもりに、ずっとひたっていたいと思いながら。
 休日はモーニング。いつからかそれが我が家の定番になり、食パンは行きつけの喫茶店で買うようになった。
 
〝朝、7時半に駅に着くよ〟
 夜行バスの到着時刻を、息子が父に知らせる。
 実家から40分ほど車を走らせ、駅で待っていてくれる父と母。
 久しぶりに会う孫たちに、二人は決まってこう言うのだ。
「モーニング、食べにいこか」
 
 モーニングと祖父。祖父とトースト。トーストと食パン。食パンと家族。家族で過ごした、ゆるやかな休日の朝。私の中で、それらはいつも連想ゲームのようにひとつづきに連なる。

 コーヒーが飲めるようになってから、祖父の「いつもの食べ方」を真似るようになった。けれど、祖父のような大人のやさしさは身についていない。
 クリームソーダを嬉しそうに食べる子供たちを横目に、私は誰にも気づかれないよう、そっとためらいながらトーストをコーヒーに浸した。
 
 あのとき祖父が食べたトーストは、高級食パンではなかったが、子供にはけっして口にできない、やさしいジェントルマンだけに許された極上のパンだったように思うのだ。

 

*「銀座に志かわ」

https://www.ginza-nishikawa.co.jp

Profile

神谷 真理子

神谷 真理子

もの書き。兵庫県生まれ。

詩、童話創作、聞き書き、取材文など、幅広い分野で活躍。著書に詩集『たったひとつが美しい』。『Japanist』にて「宇宙と人をむすぶ言の葉」を連載。本サイト「力のあることば」や「美し人」公式サイト「美しい日本のことば」を連載

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

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