日々是食日 体と心が喜ぶ食の話

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美し人
ココロバエ

チキンなわたし

2019.12.15

 運ばれてきたローストチキンを、二人は無言で食べ続けた。肉汁がしたたり落ちるのもかまわず、骨までしゃぶりついて、あっという間に一羽まるごとたいらげた。それでもまだ物足りないというように、チキン風味の指をしゃぶる。顔を上げて見つめ合う二人の目は恍惚として、言葉も出ない。油でぎとぎとになった口元をナプキンでぬぐい、シャンパンで喉をうるおす。椅子の背にもたれ、ほおーっとため息をついた。

「美味しい・・・」と女。
「うん、美味しい」男が相槌をうった。
 
 12月の冷たい夜の街を歩いていると、あのときの光景を思い出す。たぶん、季節は冬だった。ずいぶん昔のことで、どんな会話をしたのかはもう覚えていない。ただ、あのとき食べたローストチキンの美味しさは忘れられない。ハーブと塩と胡椒だけのシンプルな味付け。こんがりとローストされたチキンの皮の芳ばしさが、食欲をそそった。ジューシーで弾力のある肉質は、人も所詮、獣なんだと教えてくれた。
 激しく空腹だったこともある。恋人どうしであっても、美味しいものの前には言葉をなくす。寒さに震えていた体は、チキンとシャンパンのおかげで温もりをとりもどし、二人の顔はふたたび熱をおびて、会話もはずんだ。
 
 食事は美味しいにかぎる。「美味しい」は、味だけじゃない。誰と、どんな会話をするのか。それが最高の隠し味になる。集う仲間や友人によって話す内容はさまざまだが、とりわけ「美味」と感じるのは、相手の意外な一面を覗いたときだろうか。もちろん、いい意味での意外性だ。ふだん真面目な人が、くだらないジョークを言ったり、意外な趣味を持っていたり。あるいは、チャラそうに見える人が、本の虫だったり、武道の達人だったり。一見そうは思えないからこそ、彼らの口から飛び出す話はおもしろい。フォンダンショコラのように、見た目と中身のギャップがあればあるほど魅了される。気の合う仲間同士、美味しい食事を囲んで楽しい話題で盛り上がるのは、私にとっての「ハレ」の食事だ。
 
 12月は、どんなに空が曇っていても「ハレ」の気配に満ちている。なんでもなくても、そわそわしてしまうのは、そのせいだろうか。日常の「ケ」の食事が静かであればあるほど、人のぬくもりが恋しくなって、友人たちと約束した「ハレ」の会食が待ち遠しくなる。寒さが追い討ちをかけるのも癪に触る。仲間や友人たちがいてくれてありがたいと、こういうときほど身に沁みて感じることはない。まったく彼らには感謝するばかりだ。

 

―― 私って、寂しがり屋なんだな。

 

 この歳になって、ようやくその事実を受け止めた。ひとり遊びが好きなくせに、すっかり一人なのも、これまた寂しい。なんともわがままな性格でめんどくさい。とくに食事時は寂しさがいや増す。料理をするのも、家族がいるからなんとかやっているが、一人なら料理らしい料理もしないし、残り物で事足りる。食べてくれる相手がいるのは幸せだと思う。毎日料理をしなければいけないという大変さはあるけれど、おかげで、だらしない食事にならないですむのだから。
 
〝今月はいつ帰ってくるの?〟
 月に一度、家に帰ってくる娘にラインを送る。

 

〝26日かな〟
〝チキンとケーキ、どうする?〟
〝食べたい。クリスマス終わってるけど〟
〝了解〟
 
 肉食獣の我が子のために、クリスマスは毎年ローストチキンを作る。ソテーしたポテトとマッシュルームとオニオン、ローズマリーをたっぷり詰め込み、きつね色になるまでこんがり焼く。芳ばしい香りが漂うころ、親子は牙をむいた獣に変わる。
 

 ひとりの寂しさを味わったあとの、ジューシーで味わい深い家族団欒の「ハレ」の食事。ほこほこと体の奥が暖かくなる。

 丸裸にされた一羽の鳥に牙を立てながら、私はようやく、虎でも狼でもない、ただの弱々しいちっぽけな一個の人間なんだということに気づくのだ。

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Profile

神谷 真理子

神谷 真理子

もの書き。兵庫県生まれ。

詩、童話創作、聞き書き、取材文など、幅広い分野で活躍。著書に詩集『たったひとつが美しい』。『Japanist』にて「宇宙と人をむすぶ言の葉」を連載。本サイト「力のあることば」や「美し人」公式サイト「美しい日本のことば」を連載

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

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