日々是食日 体と心が喜ぶ食の話

おでんの伝

2019.11.15

 祖母が死んだ。10月もあと数時間で終わるという頃だった。亡くなってから1時間ほど経って、父からのメールに気がついた。
 数日前に母から祖母の容態が急変したことを聞いていたし、その日の夕方に「今夜がヤマだろう」との報告を受けていたから、驚きはさほどなかった。しかし、遠く離れているため急には帰れない。仕事もある。心づもりをしていても、身内の不幸に急ぎ向かえないのはやはり心苦しい。帰れないことを祖母に詫びた。
 
 享年88歳。今年の夏前に米寿を祝ったばかりだった。認知症を発症してから十数年。介護施設に入居して8年。長い介護の末の、往生である。
 64歳という若さで他界した祖父の時とはちがい、身内の誰もが納得のいく最期だった。記憶をなくした以外、特段、病気らしい病気もなかった祖母は、動物が自然の懐に還るように静かに息を引きとったという。眠っている時間が長くなり、やがて食べ物を受けつけなくなり、そのうち水分もとらなくなって、しだいに出るものも出なくなっていったそうだ。亡くなる2日ほど前には、右足先から壊死がはじまっていた。
 本来、生き物はそうやって、ゆっくりと体の機能を停止させてゆくのだろう。場所が病院なら、おそらく祖母はいろんな延命治療を施されていたにちがいない。苦しんで死んでいった祖父のことを思うと、余計な治療をされずにすんだだけでも幸いだったと思う。
 延命治療という意味では、施設に入居した時点で祖母はすでに延命を約束されていたようなものだったのだから。
 
「介護士さんが、最後におばあさんの好きなものを食べさせてあげたいって言ってくれてなあ。それで、〝みつ豆〟のことを思い出したんよ。おばあさん、好きやったやろ? よう作り置きして食べとったし。作っては、みんなに『みつ豆作ったから、食べるか?』って。あんたも食べたことあるやろ? おばあさんのみつ豆」
 
 おばあさんのみつ豆? いっつも作ってた? 知らない。そんな話、一度も聞いたことはない。
 「え? そうなん? 知らんかった。おばあさん、みつ豆好きやったん? 食べたことないよ、あたし」

 

〝みつ豆〟のことをコラムに書いたことを思い出した。今年の夏、「寒天」にハマり、作り置きして毎日のようにみつ豆を食べていた。しかし、祖母がみつ豆を好きだったとは知らなかったし、私と同じように作り置きしていたことも初耳だった。

 

「それでな、おばあさん、みつ豆の寒天を一口食べさせてもらったら、ぽろっと涙こぼしたんやで。みんな、びっくりしてなあ。なんにもわからんのに、みつ豆の味は、わかったんかなあ…って」
 
 記憶が何と結びついているのかはわからない。だけど、たしかにその瞬間、祖母の記憶はもどった。寒天の舌触りと黒蜜の味に刺激され、眠っていた海馬が「ビクンッ」と震えたのだ。深い眠りに落ちてゆこうとしていたその時に、懐かしいものが海馬の背を撫でてゆき、一瞬だけ目を覚ましたのだろう。ほんの束の間の目覚めであった。
 
「明日明後日と、仕事で遅くなるから、おでん作ってるよ」
 最後の練りモノを入れ終え、一煮立ちするのを待っていた。
「いいねえ。寒くなってきたし、おでんならバイトで遅く帰ってきてもすぐ食べられる。味も沁みてるだろうし、生姜醤油もあるよね?」
 わが家では、おでんは生姜醤油で食べる。私の実家がそうだった。

 

 

「もちろん、あるよ。明日は大きいばあちゃんのお葬式だね」
 祖母のことを、息子たちひ孫は「大きいばあちゃん」と呼んでいた。

「そうだね…って、ちょっと! 鍋、噴きこぼれてるよ! 何ぼーっとしてんの!」

 

 息子の声に、はたと気がつき鍋に目をやると、ちくわやはんぺんが汁をすってグツグツと鍋の蓋を押し上げている。慌てて火を消し、飛び散った汁の始末をしているうちに視界がぼんやり霞んできた。火は消したはずなのに、拭いても拭いてもガスコンロは飛び散った雫で濡れていた。
 
 初七日を終え、落ち着いたころに母に連絡した。
「落ち着いた? 帰れへんかって、ごめんな。いろいろ大変やったやろ?」
「まあ、でも、身内だけやし、みんな手伝ってくれたから助かったよ。葬式の日の晩ご飯も、ほんまはお肉は食べたらあかんのやけど、〝おでん〟にしたんや。それやったら手間もかからんし、みんなも気兼ねなく食べられるやろ? お父さんもそれでええって言うてくれたしね」
 
 思わずのけぞった。あの日、おでんを作ったのは単なる思いつきだった。しかし、まさか同じ日に、しかも葬儀のあったその日の夜におでんが供されるとは……。祖母のしわざだろうか。
 
 ―― おばあさん、ごめんな、帰れんくて。おばあさん、みつ豆、好きやってんなあ。もしかして、おでんも好きやったん? 

Profile

神谷 真理子

神谷 真理子

もの書き。兵庫県生まれ。

詩、童話創作、聞き書き、取材文など、幅広い分野で活躍。著書に詩集『たったひとつが美しい』。『Japanist』にて「宇宙と人をむすぶ言の葉」を連載。本サイト「力のあることば」や「美し人」公式サイト「美しい日本のことば」を連載

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

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