日々是食日 体と心が喜ぶ食の話
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花の香りの甘い誘惑

2019.11.01

 この季節、街を歩いていると、ときどきあまい香りが鼻先をくすぐっていく。「おや?」と思った先には、かならずキンモクセイが緑の間からオレンジ色の顔をのぞかせている。

 

―― ああ、今年も会えたね。
 

 毎年、キンモクセイの香りに出くわすたびにそう思う。懐かしい記憶が蘇ってきて、しばしうっとりしてしまうのだ。
 香りと記憶がセットになっていることを、このときほど強く感じることはない。
 

 キンモクセイの香りが呼び覚ますのは、子供の頃。当時、住んでいた家は祖父の会社の社屋の3階で、ちょうど子供部屋の窓の真下にキンモクセイの樹があった。夏が終わり涼しさが増してくると、ふわっとキンモクセイのあまい香りが3階の子供部屋まで立ち上ってくる。その香りがたまらなく好きで、秋が来るのを心待ちにしていた。部屋いっぱいにキンモクセイが香って、恍惚と時を過ごしていたことを覚えている。

 

 秋が待ち遠しかったのには、もうひとつ理由がある。秋の味覚だ。さつまいも、栗、柿、かぼちゃ。どれもこれも、キンモクセイよろしくオレンジ色でねっとり甘く、私の好物である。
 さつまいもを蒸した”ふかし芋”や茹で栗には目がなかったし、柿は樹から直接もいでかぶりついた。祖母から「柿を食べすぎると便秘になる」と聞かされていたが、一個では物足りず、2つ3つはぺろりである。案の定、そのあとはお腹を抱えて苦しんだ。それでも毎年、柿が色づきはじめるのを、カラスに負けじと今か今かと待っていた。たわわに実った柿の樹を見ると、今でも思わず手が伸びそうになる。
 かぼちゃはもちろん煮付けである。それが我が家のかぼちゃ料理の定番で、夕飯にかぼちゃの煮付けが出ると、子供の私はじいちゃんばあちゃんと一緒になって喜んだ。

 

 秋というより冬のものではあるが、干し芋や干し柿などは私にとって最高級のおやつだった。ねっとりした甘さは干されてますます濃厚になり、もっちゃもっちゃと口の中でとろけてゆくのが子供心に贅沢な気がして、じいちゃんばあちゃんの隣にすわって茶をすすりながら苦いのと甘いのとを味わった。兄妹だれも好まぬとあって、安心して食べられたというのも極上のおやつの理由である。
 

 そんなわけで、まん丸な顔はさらにまあるくなり、体は冬眠前の動物なみにぽってり脂肪で着膨れした。秋の味覚はわたしの満腹中枢を狂わせ、視覚も臭覚も野生性を蘇らせて冬支度をさせたのである。
 
「今日のかぼちゃの煮付け、いつもと違っておいしいね」と息子。
「でしょ。洋風仕立てにしてみた」
「こっちの方が好きだな」
 
 どうやら男性の多くは、かぼちゃや芋類をあまり好まないらしく、ましてや煮付けなどは好んで食べようとは思わないそうだ。知人の男性もそう言っていた。かぼちゃ料理でもスープは好きだとか、さつまいものデザートなら好んで食べるという。
 
 息子も例にもれず、かぼちゃの煮付けはあまり好きではない。
 だからこのときは、ちょっと趣向を変えて洋風仕立てにしたのである。
 野菜のブイヨンでかぼちゃを煮、甘みにレーズンを少し加え、最後に塩とレモン汁で味を整える。
 

 我ながらいい具合にできたと自画自賛していたところへ、思わぬ息子の高評価。
 なるほど男性陣は素朴な田舎娘より、おしゃれな都会の娘に惚れるのか。
 

 プラントハンターの西畠清純さんも、花は生殖器で満開なときは性交をしているときだと言っていたことだし、キンモクセイの香りは雄を虜にする甘い誘惑だったようだ。
 それと知らず、郷愁に酔いしれる秋の夜長なのであった。

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