日々是食日 体と心が喜ぶ食の話
HOME > 日々是食日 体と心が喜ぶ食の話 > 〝残りモノ〟今昔モノガタリ

〝残りモノ〟今昔モノガタリ

2019.06.02

 ふと思い立って「断捨離」を始めた。といって、大そうなものではない。毎日、最低ひとつは何かを捨てることを自分に課したのだ。もともとモノが捨てられない性分。ほおっておけば、どんどんモノが増えてしまう。
 中でも本は場所をとる。もの書きを始めてから急速に増えていった本は、リビングの本棚も、仕事部屋兼寝室の本棚もすでに容量を超えてしまい部屋のあちこちで山積している。
 好き嫌いに限らず、資料として取り置いているものも多い。本を捨てるのは忍びないが、ここは意を決して処分しようと、「古本屋行き」と「処分行き」を少しずつ選別している。
 とりあえず、一日一個。意識的に何かを手放すことにした。
 
 知人から房付きのそら豆や赤そら豆、グリンピースが届けられた。畑直送の採れたてである。豆好きの身としては何ともありがたい。椅子に座り、ひとつひとつ房を開いて豆を取り出す作業に没頭する。土の香りと緑の青い匂いが鼻をつく。ザルの中の翡翠色と赤珊瑚色の豆にしばし見惚れる。グリーンピースはとりあえず冷凍庫へ。大きなそら豆は塩茹でと網焼きに。赤そら豆がどうも気になる。
 
 キッチンに立ち、いつものように調理に向かった。どうしても「赤そら豆」が食べたい。ミネストローネにしようと棚をあけてトマト缶を探してみるも、あいにく切らしていた。買い物に出る時間もない。
 冷蔵庫を物色し、あるもので何ができるだろうと考える。この時間が楽しい。

 2日前の夕飯の〝鶏肉のグリル〟が少し、人参、たまねぎ、ピーマン、ナス、セロリの葉など、残り野菜が少しずつ、瓶詰めにした玉ねぎのピクルスもある。生姜、ニンニク……。

 

―― ビーンズカレーにしよう。

 スパイスは常備してある。焼き野菜と目玉焼きを添えればボリュームも出るし、食欲旺盛な息子も、それなら満足だろう。赤そら豆を茹でようと、雪平鍋を取り出した。
 

 茹でたり煮詰めたりと、何かと出番の多いわが家の雪平鍋は、かなり使い古されていて、すでに取っ手はない。買ってから15年以上、取っ手が取れて10年は経つ。たいして高価な代物でもないし、不便きわまりないのだが、なぜか捨てられなくて、ずっと使い続けている。買い換えようかと店で同じようなものを手にしても、イマイチしっくりとこず、何年も、何軒もの店を通り過ごした。取っ手がとれたこの雪平鍋が、やっぱり深さ大きさともに申し分なく心地いいのだ。
 
 雪平鍋だけじゃない。わが家のキッチンには、壊れた道具や捨てられなくて長年使い続けている道具がいくつかある。両手持ちの、これまた片側の取っ手が壊れた圧力鍋、上部のつなぎ目がほころび歪んだ金ザル、高台が欠けた茶碗、変な音がする電動ホイッパー、年代物のキッチン秤…探せばもっとあるかもしれない。壊れたものも使い続けていると愛着がわいてくる。「一日一個」の処分を決め込んでも、そういうものはなかなか捨てられない。

 

 断捨離を始めてから意識的にモノを見るようになったからか、モノが歩んできた時間の重みを感じるようになった。人間と同じように、モノにも古傷があり、静かに耐えてきた痛々しい傷跡がところどころに残っているのを見ると、〝ゴミ〟扱いはしたくない。
 どんなに愛着を持ち、丁寧に使い続けていても、彼らは傷つき、壊れた体に鞭打たねばならない現実がある。それを思うと、そろそろ引退させてあげたいとは思うのの、もう少し一緒にいたいと手放すことができないでいる。
 
 中でも一番の古株は、キッチン秤。今はデジタルのものが主流だが、これは昭和レトロな〝クボタ”製〟手動秤である。1960年代後半から70年代にかけて、トラクターで有名な「クボタ」が工業用につぎ家庭用にと出した秤だ。祖母か母のどちらかが買い求めたのだろう。物心ついたときには、すでに家にあったように思う。菓子作りが好きなこともあって、上京するときに持ってきた。以来、なにくれとなく世話になっている。
 とはいえ、「キッチンスケール」と洒落た名前で呼ばれているデジタルの秤もあるし、ときどき使ってもいる。けれど、昭和レトロな秤にはかなわない(と私は思っている)。
 正確さにおいては、手動でメモリを調整できるレトロな秤の方が、デジタルより優っているように思う。デジタルのものは、電池が切れかかると重さが一定にならないのだ。きちんと分量を計りたいときに、それでは困る。なんとなく信用しきれず、結局、古老の秤にお願いすることになる。
 

「お! 美味しそうじゃん。今日はカレー?」
「そう。豆をいただいたから、ビーンズカレーにしたの。どう?」
「うまい! これ好きかも。焼いた肉がまたいいね」
「この前の鶏肉のグリルの残りだよ」
「また作ってよ」
 
 ガツガツと平らげ、流しに皿を運びながらカレーの残りを確認する息子。明日の分もあると知って、満足そうである。残りモノのさらに残りまで、きれいに食べ尽くしてくれるのがありがたい。
 

 食べ物にしろ、なんにしろ、手をかけた「モノ」だけがもつ味わいは、時間の経過とともに深まってゆく。
 簡単にモノを捨てられない性分だから、とりあえず、この先も一緒にいたいと思う味わい深いモノだけを、じっくり選んでみようと思う。

SPONSORED LINK

Recommend

Topics

記事一覧に戻る
Recommend Contents
このページのトップへ