日々是食日 体と心が喜ぶ食の話
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祖父と息子と〝とろろ飯〟

2019.05.17

 長芋をいただいた。7、80センチはあるだろうか。〝これぞ長芋!〟という立派な長芋、まるまる一本である。スーパーに売っているような、密封パックされた行儀よい姿ではない。土にまみれ、ヒゲは伸び放題。ごつごつとたくましく、ずしりと重い。大地の栄養がたっぷり詰まっているのだろう。見るからに精が出そうだ。
 出先だったため、これを担いで電車に乗るのは難儀だと思い、ちょっと残念な気もしたが、ぽきぽきと3つに折った。とたん、ねばーっと糸を引いた。

 

「おお! 生きてる生きてる」
 ねばねばと長芋の血潮があふれてくる。
〝痛かろうに、ごめんよ〟と思いつつ、ゴクリと喉が鳴る。
 
 さっそく、晩ごはんは〝とろろ飯〟とあいなった。ぜいたくに、3分の1をすりおろす。すり鉢で、ごりごりとすりながら祖父を思った。「とろろ」という言葉に、脳内シナプスが反応する。私の頭の中で、とろろと祖父はセットになっているのだ。
 
 祖父が存命だった子供の頃、とろろを作るのは祖父の担当だった。いい自然薯が手に入ると、祖父は「今日は、とろろ飯や! これはうまいで〜」と、嬉しそうに台所に立ったものだ。
 
 母が出汁を準備し、祖父が自然薯を擦る。私はすり鉢をおさえる担当。子供の手には大きすぎる、特大サイズのすり鉢である。抱きかかえるのも一苦労で、祖父のすりこぎ棒のいきおいに気圧される。

 

「ちゃんとおさえんかい!」
 子供とて容赦はない。
 がっしとしがみつき、すりこぎ棒に合わせて小さな体はぐらんぐらん揺れる。
 かつお出汁の合いの手が入るごとに、ひと呼吸つく。
「ええ具合や! うまそうやろ」
 祖父につられ、鼻先に長芋の香りと出汁を嗅ぐ。ねばねばがとろとろに変わる頃、ようやくすり鉢から解放される。
 見上げると、そこにもとろとろに崩れた祖父の顔があった。
 
 祖父が好きだったのは、山野に自生する日本原産の自然薯。秋から冬にかけてが食べごろで、祖父ととろろの記憶にかすかな冬の気配があったのを覚えている。
 一方、いただいた長芋は長野県産の春堀りのもの。年一回しか手に入らない自然薯とは違い、長芋は年2回、春と秋に収穫されるそうだ。
 一冬越した春堀りの長芋は、ねっとりと味濃く甘みもコクも申し分ない。あっさり出汁醤油より、濃口醤油がほどよく合う。わさびの刺激や、もみ海苔の磯の香りにも負けぬ粘り強い濃厚な味に、ズルズルと箸が止まらない。
 
「今日は、とろろご飯やで」
 バイトから遅く帰ってきた息子に、いきおい関西弁で出迎える。
「マジ!? どうしたの?」
 疲れた顔が、とたんに破顔した。
 祖父と食の好みが似ている息子。期待を裏切らない反応に、思わず「うまいで〜」と、これまた関西弁で祖父と同じ言葉を返す。
  
 長芋、自然薯、大和芋。日本人は、ねばねばが好きなのだろうか。里芋しかり納豆しかり、オクラしかり。

 

 物の本によると、
「山より出るを自然生と云う、味最も良し 腎を補い脾胃を益す、虚人久しく服すべし」
(山から掘り出される芋を自然生と言い、味は最高級、腎臓機能を補い、脾臓、胃の調子を整える。体の弱い人は長期的に食べるように)

 とある。
 

 自然の脅威に怯え、畏敬の念の堪えない日本人である。腎脾を強化し、精がつく食材がこの土壌に根付いたのは必然だったのだろう。
 春には春の、夏には夏の、秋、冬と、四季それぞれの味を求める体の、なんと正直なこと。
 
 年に一度しか採れない自然薯を手にしたときの祖父の嬉しそうな顔と、疲れた体にとろろ飯を喜ぶ息子の顔が重なった。
 そうか……。
 旬のものに反応する体を、もっと信用してもいいんだな。

 長芋はまだ2本もある。梅雨が来る前に、体に精気をあげようか。

 

 

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