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マメに生きのびた豆の遺伝子

2019.04.30

 あちこちで草花がにぎわう陽春から初夏にかけて、いつもの道も様変わりして歩くのが楽しい。こんなところに空き地があったのかと、人知れず咲く草花を見てそのことを知り、ふらりと寄り道してしまう。

 蔓をのばし、赤紫の小さな花を風にゆらしながら群生するのはカラスノエンドウ。そばにはハルジオンやタンポポもいる。緑の間からシロツメグサやアカツメグサが丸い頭を出しているのは、なんとも愛らしい。すっくと背筋をのばし、ゆっくりとオレンジの頭をもたげるナガミヒナゲシには、道中なんども会った。以前、うちに連れ帰ってプランターに植えかえてみたことがあったが、お気に召さなかったようでぐったりと息絶えてしまったのには、かわいそうなことをした。

 

 通りの花壇に目をやると、そこにも触手をのばしながら、ひらひらとむれ咲く蝶のような赤い花がいた。スイートピーである。

〝は〜るい〜ろの汽車にの〜って、海につ〜れ〜てい〜ってよ〜……〟

 この花を見るたび、少女のような初々しい松田聖子の顔が浮かぶ。まだ小学生だったあの頃、元祖ぶりっ子アイドルの「せいこちゃん」は好きではなかった。だからだろうか、ひらひらとスカートの裾を翻したようなスイートピーの花にも、まったく心惹かれなかった。

 ところが最近、この花に見惚れてしまった。いけばなの機会に恵まれたときのこと。手渡された花束の中に、たよりなげなスイートピーを見た。が、オアシスに立ちあがった姿に目をみはった。金盞花やレンギョウ、コデマリ、スターチスが陣取る裾野に、ひらりとやわらかいピンクのスイートピーが見事に咲き誇ったのである。可憐でありながら華やかで、さりとて仰々しさはつゆほども見せない。女性的なゆるやかな肢体は甘い恋心を思わせた。「ぶりっ子のせいこちゃん」も悪くはないな、と思った。

 

 可憐で甘いスイートピー。その名は甘い豆。スイートピーの「スイート」は甘い、「ピー」は豆という意味がある。「甘い香りを漂わせる豆」との名前らしい。「麝香(じゃこう)エンドウ」や「匂いエンドウ」の異名もあるという。なるほど花弁はエンドウのそれと似ている。カラスノエンドウも同じような花をつけていた。

 

 豆と聞いては捨て置けない。私は豆がことのほか好きなのだ。

「好きな食べ物はなに?」と聞かれれば、すかさず「豆」と答える。豆そのものはもちろん、豆製品にも目がない。大豆、小豆、黒豆の王道から、枝豆、エンドウ、そら豆、うずら豆、金時、手亡、花豆、ひよこ豆、レンズ豆と、豆ならなんでも。

 とりわけ好きなのは黒豆だろうか。大粒の黒豆が練りこんだ豆大福など、見た目から福を呼び込みそうではないか。一口ほおばれば、なお幸せ。大きな甘い福をごくんと飲み込み、ニンマリとする。

 黒豆といえば、正月にかかせない黒豆の煮豆。ふっくらと炊きあがった黒豆はオニキスのようにつややかで、白磁の小鉢にも赤漆の皿にも品よくおさまる。甘いのは苦手という人はあまり興味を示さないだろうが、色とりどりの料理をきりりと引き締めてくれる、あの深淵な佇まいの美しいこと。食さずとも見目麗しいこと、このうえない。

 

 甘い黒豆も捨てがたいが、一等好きなのは黒豆おこわである。祭りや法事に出される、ほんのり紫に色づいた黒豆おこわがめっぽう好きだ。もちろん甘くはない。赤飯よりも、断然、黒豆おこわ。子供の頃からそうだった。近所で法事があると聞けば、黒豆おこわが食べられるとワクワクしたものだ。好きなものはとことん好きになる性分、同じものを食べ続けても飽きはこない。祖母や母が作った黒豆おこわも、ほとんど一人で食べていた。

 

 豆好きは遺伝するのだろうか。息子も豆好きである。

 お腹が空いたといっては、納豆を食べる。節分の豆など、幼い頃から年の数以上も食べていた。

「鬼は外、福は内」と言わぬそばから手にした豆をポリポリと食べる。豆ご飯も好物である。

 硬い揚げそら豆を買って食べていたのには驚いた。

 

「うまいんだよ〜、あれ」と、息子。

「うん、おいしいよね。大きいじーちゃんも好きだったよ」

 

“大きいじーちゃん”とは私の祖父、息子にとっては曽祖父にあたる。今は亡き祖父の食の好みと息子の食の好みがあまりにそっくりなのには驚きを通り越して、血脈は食にまで及ぶものかと恐ろしくなる。一方娘は豆嫌い。豆の粒の存在感が嫌だという。味噌汁は大好きなのに。

 

 日本の豆の起源は縄文時代にまで遡る。エジプトのツタンカーメンの墓からも豆が発見された。

 そう言えば、植物学者のグレゴール・ヨハン・メンデルが発見した遺伝の法則は、エンドウを使った実験だった。

 ひょろひょろと蔓をのばし、側にあるものにつかまりながら姿を変え、形を変えて子々孫々に命をつないできた豆。

 きっと豆好きは遺伝するのだろう。豆好きな息子。豆は食べなくとも父親からマメさを受け継いだ娘。姿形は違えど、どちらもエンドウのように蔓をのばしながら、新しい時代をたくましく生きている。

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