香りなくして味はなし
人の頭ふたつ分ほどもある漬物石を持ち上げようとしたその時である。腹に激痛が走った。ぱんぱんに膨れた臨月の腹を抱え込み、その場にしゃがみ込んだ。急ぎ運ばれた病院で、緊急の出産となった。幸い母子ともに無事とのこと。玉のような男の子が生まれた。
45年以上前の、母の初めての出産体験である。
漬け物の作り方を聞いたとき、「そんなこともあった」と笑いながら話してくれた。そのとき生まれた兄は、はたしてそのことを知っているのだろうか。
ご飯に味噌汁とくれば、漬物。漬物といえば梅干し、といきたいところだが、私の記憶にある漬物は、目にあざやかな黄色いたくあん、「こうこ」である。
「こうこ」は「香々」と書く。平安時代の女房たちが「香の物」を短く呼んだのが由来だそうだ。
だから、白菜漬けもなす漬けも、漬物はすべて「こうこ」と呼ぶ。ところが、わが家では「こうこ」は大根漬けの「たくあん」と決まっていた。
「おこうこ」と上品に呼ぶところもあるらしいが、香々だのお新香だの、主でもなく従でもない漬物を「香の物」とした古人のなんと風流なこと。
なるほど、香りなくして味はない。おなじ食事も漬物なしでは味気ない。ご飯、味噌汁、香の物の黄金比は、日本人の食事の原点だろう。
塩気の多い漬物も、母の手にかかれば甘くなる。母手製のこうこは、とにかく甘い。なぜかと問うた。
「そう? おばあさんのはもっと甘かったけど」
答えにならない答えが帰ってきて、ふと思った。
「おばあさん、作ってたっけ?」
「作ってたよ、大根や白菜のぬか漬け。でも、どれも味が濃かった。たくあんも甘すぎるし、白菜も味が濃くてね。お父さんは、あんまり味が濃いのは好きじゃないから」
父は水なすの浅漬けが好物だった。濃紫と淡い緑の濃淡は目に美しいが、あの食感だけは私は馴染めなかった。
きゅっきゅっと歯にきしむ音といい、真中のわたのぼそっと沈むたよりなさといい、あげく、あるのだかないのだかわからないような、それでいてさりげなく塩気を醸す奥ゆかしげな存在感が若年の私には許せなかった。雅なだけで、中身は大したことないじゃないかと見向きもしなかった。
ところがどうだろう。年かさが増すにつれ、ナス漬けの妙味に舌鼓を打つことが多くなった。今さらながら、「年の功」の目利き舌利き(?)には頭がさがる。
さて、なぜ母のこうこは甘いのか。
材料を聞くと、塩、酢、砂糖、色付けにウコン、そこに薬草の甘草が入るという。ぬか漬けにはしない。以前は樽でぬか漬けにしていたが、家族の人数が減ったことと、糠の手入れや匂いなど、いろいろ理由があるとのこと。ぬか漬けが食卓に並ぶことはなくなった。
もともと、父も母もぬか漬けをそれほど好んでいたわけではない。ぬか漬けが体にいいことは母も承知である。それでも、体にいいというだけで食べたくもないものを食べることはしない。肉でも魚でも揚げ物でも、その時々に体が求めるものを、ふたりはいとも美味しげにいただく。毎晩、酒も酌み交わす。
古希の体には、「体が欲すもの」を「美味しくいただく」ことほど健康にいいことはないらしい。仕事に遊びに日々謳歌する両親を見ていると、なるほどそうかと考えもあらたまる。
地理的な関係か、関西の料理は甘口である。関東以北の料理が塩気が多いのに対し、関西以南の料理は舌に甘い。「塩は体を温め、砂糖は体を冷やす」というもっともな理論。先人たちの知恵には驚くばかりである。
それ以上に、人間の体の不思議。動物的味覚の不思議を思う。
「今日の料理、ちょっと甘くない?」
ほおばりながら首をかしげる息子。
「そう?」
ふと箸が止まる。
母もときどき、ふだん以上に甘い味付けになっていたことを思い出す。母は疲れているとき、決まって甘い味付けになっていた。
「疲れてるのかな」
あのときの母と同じ言葉を、息子に返す。
甘かったりしょっぱ辛かったり、母の料理は日々味付けが変わる。
苦労の多い母だった。母の手料理を食べると、心と体の状態が手に取るようにわかった。
私たち家族はずっと、母の思いも一緒に食べていたのだ。
毎年、年の瀬に甘いこうこが届く。甘さを堪能したあとは、細かく刻んで鰹節と醤油をからめ、しんこ巻きに。甘辛いこうこと酢飯の相性のいいことこの上ない。
子供の頃、母の作るしんこ巻きが、ことのほか大好きだった。