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本物の真髄(電子版)

秋の夜長に哲学はいかが?

2021.11.19

 秋の夕日に、山も街もすっかり紅葉が照り映える今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか。コラムもすっかりご無沙汰してしまいました。

 というのも、ひとつの仕事にかかりきりになる性分がいかんなく発揮され、丸々1ヶ月、美術家紹介の執筆に費やしておりました。

 今回ご紹介したのは、画家の松原賢さん。美術教育を受けず、模写という独学で絵の技術を身につけられた異才の画家です。松原さんのあっぱれな来し方は、日本美術工芸協会「美し人」サイトで、どうぞごゆっくりご覧ください。(右は松原さん作『景』)

 

 ご覧いただけるとわかると思いますが、まったくもって、人というのは計り知れない力を持ち、バラエティに富んだ稀に見る自由な生き物だなあと、つくづく思います。

 こんな生き方もあり、あんな生き方もあり、どんな生き方であろうと、生きる意思さえあれば場所や環境をもろともせずに生きていける。そして、それぞれのオンリーワンの物語を人知れず紡いでいくことになるのですね。この仕事を始めて、世の中のあれやこれやを知るにつけ、そんな当たり前のことを、最近しみじみ感じています。感じながら、これまでいかに小さな世界で生きてきたかを思い知らされているところです。

 

 それが良いとか悪いとかではなく、小さな世界は小さいなりに、大きな世界は大きいなりに意味があって構築され、全体世界を埋め尽くしている。大きさや形によらず、どれも全体を構成するためには、なくてはならない部分世界なのですね。
 体ひとつとっても、腕には腕の世界があるし、脚にも脛や足首やらとうまく折り合いをつけていかねばならない複雑な世界がある。目や鼻や口だって、本当はもっと居心地いい場所でひっそり存在していたかったかもしれないのに、やれ「小さい(大きい)から嫌い」だの「二重が良かった」だの「もっと鼻筋が通っていれば」だのと、ぶつぶつ文句を言われてしまう。体内の臓器や細胞に至っては、目に見えないがために、意識の外に放り出されて気づいた時には汚染が進み壊れそうになっていた・・・なんてこともあると思います。となると、もっとその役割の大きさや重要性に気づいてあげなければいけないなあと思うわけです。
 
 数学者の岡潔さんを尊敬し、その著書も出されている独立研究家の森田真生さんは、同じく在野で数学を研究されているとてもユニークな方ですが、彼は数学からこの世界を見下ろしているからか、普通の人には見えないところまで見通していらっしゃいます。

 心眼がそのまま表面の2つの目玉に通じているのではないかと思うくらいに。たとえばこんなことをおっしゃっている。
  

――人が生きる営みは、いつも人間でないものたちに深く支えられているのだ。
  自分でないものたちと分かちがたく混じり合っているからこそ、人は自分であり続けることができる。

  人間の腸管には100兆個を超える微生物がいる。それはまるでサンゴ礁のように生態系を形成している。これらを全て失ってしまえば、人は食べ物をまともに消化することすらできないのである。

  太陽から降り注ぐニュートリノは毎秒100兆個のペースで人間の体を通過していく。今朝食べた野菜たちの栄養は、土中の豊かな根菌類のネットワークの活発な働きの賜物である。

  人は、いつも人でないものたちと、分かちがったく交雑している。だから、自分だけの中に「純粋」に、「清潔」に、閉じこもることなどできないのである。(森田真生公式サイトより)――
 
 森田さんは、はっきり、確信をもって言います。
 「人はみな、自分でないものたちと混じり合い、響き合う生命の綱の一部である。そこにはすべてを無傷なまま見晴らせるような、清潔な安全圏はどこを探してもない」と。
 
 彼はこのことを数学の研究をしていて気づいたそうです。(雑誌「eAERA」2012年10月号)
 1、3、3、4・・・と果てしなく続く数の直線は、一見、計算という方式で導き出せる数字の羅列だけれど、1と2の間、2と3の間というように、数と数との間には計算では割り出せない計算不可能数というものがあり、すべての計算可能数は、その計算不可能数に支えられて存在していると森田さんは言います。
 つまり、目に見える数は、目に見えない、誰も見たこともない数があることによって存在していて、それはこの世界の仕組みも同じではないかと言うのです。
 
「僕らに見えているもの、意味がわかるもの、実態を持っているものって無数にあるように見えるけれど、それらの背後に一切アクセスできないものがあって、それらが世界を支えているのではないか」
 
 森田さんの数学的見解は、現在わたしたちが直面している問題、コロナウィルスや環境問題、あるいは一人ひとりの生き方に対する解決の糸口になるような気がします。

 自分ごととして引き寄せて考えてみても、見えないものを見ようとする、聴こえないもの聴こうとする、他者の声はもちろん、人間以外の声を聴こうとすることが、今一番求められ、生きるうえで必要なことではないかと思うのです。
 今回「美し人」でご紹介した松原賢さんも、森田さん同様、見えないものを見、聴こえない音を聴くお一人。そのことも取り上げていますので、ぜひぜひご一読を。
 

 見えないから、聞こえないから、ないのではない。無の中には有があり、有の中にもまた、無はたしかにある。だとすると、無の中にある有に気づくことが、「わたし」も「あなた」も確かな存在として生かされるのかもしれませんね。
 なにはともあれ、全体を構成する部分というのは広く奥深いわりに(だかだこそ)、見えない聴こえない、わからないことが多すぎる。つまるところそれは、「ニンゲン」という摩訶不思議な部分的生き物に生まれついてしまったがための永遠の苦悩であり、生を思うままに謳歌できる特権なのかもしれないなぁ・・・な〜んて、秋の夜長にしみじみ哲学を愉しんでいます。

 

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