メンターとしての中国古典

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ちからのある言葉
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六言の六蔽

2021.02.02

 子曰わく、由(ゆう)よ、女(なんじ)六言(りくげん)の六蔽(りくへい)を聞けるか。

 これは、論語の一説で、以下に続きます。

 

 居(お)れ、吾(われ)女(なんじ)に語(つ)げん。

 仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。

 知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。

 信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊(ぞく)。

 直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞(こ)。

 勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。

 剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。

 

 現代語に訳すると、以下のようになります。

 孔子は言いました、「子路(しろ)よ、お前に6つの言葉の6つの弊害について教える。

 仁を好んでも学問を好まないと、愚か者になる。

 知を好んでも学問を好まないと、どうしたら良いか解らなくなる。

 信頼を好んでも学問を好まないと、盲信してしまう事になる。

 正直さを好んでも学問を好まないと、窮屈になる。

 勇気を好んでも学問を好まないと、乱暴者になる。

 強さを好んでも学問を好まないと、狂乱に陥ってしまう。」

 

学問とは

 

 では、学問とはどういうことなのでしょうか。

 現代における学問とは、一定の理論に基づいて体系化された知識と方法であり、哲学や歴史学、心理学や言語学などの人文科学、政治学や法律学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学などの総称です。

 一方、孔子の時代における学問とは、人格を修養する手段としての学問、つまり徳性を磨くための人間学や社会学という感じでしょうか。

 学問の定義は時代によって違えども、以下の特徴があります。

 1)問題の設定(与えられた問題に答えるのではなく、自ら問題を設定する)

 2)真理の探求(設定した問題に対し、研ぎ澄ました研究により真理を見出す)

 3)創造性の発揮(独自の視点で新たなものを見出す)

 つまり、現実の何かに焦点をあて、仮説と検証を繰り返しながら、何か創造的なものを見出していく研究活動が学問と言えるのでしょう。

 

「六言六蔽」の再解釈

 

 再度、学問の意味を踏まえ、六言の六蔽を私なりに解釈を加えてみたいと思います。

 

 仁(優しさ)は人として一番大切なことであるが、そればかりだと人を甘やかして堕落させる危険がある。知(知識)は大切だが、情報が多すぎると迷うし、意志や決断力が伴わないと行動できない。信頼(信用すること)は大切であるが、疑うことを知らないと偏った考えになったり、騙されたりする。正直(裏がない)ことは大切だが、馬鹿正直で洞察力に欠ければ、物事はうまくいかない。勇気(恐れず行動する)は大切だが、リスクや正当性の判断が欠ければ単なる無謀・乱暴者にすぎない。強さ(戦う力)は大切だが、相手の立場を慮り自制する心がないと狂人のように暴力的になってしまう。

 これらは社会の中で生きる上でとても大切なことだと思います。

 

複眼思考のススメ

 

 論語のこの一節は、どんな良い話でも鵜呑みにしない。物事の一面だけを見ないことの大切を説いているのだと考えます。

例えば、仕事は業務を処理する能力と人間性の両面があってはじめて成り立つものです。つまり、誠実で約束を守るから信頼され良い人間関係性ができ、専門的な知識や能力があるからこそ業務を適切にでき判断し処理することができます。つまり、仕事は人間的信頼と能力的信頼で成り立っている。どちらか一方だけではうまくいかない。

 また、物事には、定量的なもの(量)と定性的なもの(質)とがあります。「見える化・数値化」と言われるように極力定量化(数値化)して行くことは大事です。しかし、定量化できないものを切り捨てるのは間違っています。例えば、会社の価値はバランスシートで表現されます。バランスシートの総資産額が同じ会社でも、会社の可能性によって株価は何倍、何十倍にもなります。そこには数値化できない無形の知的資産(ブランド、技術、経営力、戦略など無形の価値や市場の成長性など)に加え、人気度といった数値化できない曖昧な要素が反映されています。

 見えないものもを見る複眼思考があった初めて物事の本当の姿が見えてきます。

 

人間性と利益

 

 最近、1万円紙幣に渋沢栄一の肖像画が採用されることで、密かに渋沢栄一ブームが起こっているように思います。

その著書『論語と算盤』には、「道徳経済合一説」(人間性を基本とした経済性・豊かさの追及)が説かれています。つまり、論理や経済合理性と人間性の両立を図ることの重要さを説いているのです。

 今の世の中、経済力(お金や利益)があるから人や社会を豊かにできるということは真理です。しかし、利益追及一辺倒で、人間性を軽視していると人が疲弊し、モチベーションが上がらず利益も出せません。一方、人間性を重視しても利益の出ない非効率な事業では、結果的に人を幸せにできません。人の持ち味や可能性を活かし、創造的な活動でより大きな利益を生み出す。このあたりも現実主義者の孔子の言いたいことなのではないでしょうか。

 

近を好みて学を好まざれば、其の蔽や倒

 

 私も一つ考えてみました。「近を好みて学を好まざれば、其の蔽や倒。」この意味は、目の前のことに集中することは大切だが、足元ばかり見ていると前のめりになり、何かに躓くと直ぐに転倒してしまう。いかがでしょうか。

 お金や時間を目の前のことに使うことを消費、未来のことのために使うのを投資と言います。例えば、経営におけるお金と時間の使い方の問題です。企業で行われる社員教育は、実施状況もまちまちです。教育はまったくせずに、成果だけを求める会社。業務に直結する教育だけをスポットで行う会社。年齢や役職を勘案し定期的に教育を行う会社。知識スキルと人間性の両面を高めるべく、持続的な学びの場をもうける会社など、かなり格差があります。その背景には社員教育に使うお金や時間を消費と見るか投資と見るかの視点の違いがあるようです。会社の置かれている状況によって一概に言えませんが、投資がなけれればリターンがないのは真理でしょう。

 

我々はみんな哲学者

 

 今話題のリベラルアーツ(教養・現代における学問)を身につけることで、世の中の真理を理解すると同時に人としての厚みや深みが増します。それは我々の世界観や美学の形成を手助けしてくれるものであり、働き方、マネジメントのあり方、組織の文化形成、そして会社の成長に大きな影響を及ぼします。つまり教養を身につけることは、単なる知識習得ではなく、人生への投資と言えるのでしょう。

 また、世の中の真理を解き明かす学問の究極は哲学です。仕事をする上でも、人生哲学や経営哲学がとても重要な役割を果たします。哲学を学ぶには大学などで哲学論を学ぶことも良いのですが、日常生活の中での自問自答も哲学を学ぶことになるでしょう。禅仏教で言われる修行も、寺に籠って座禅を組むなどで修行をしなくても、日常生活の中で自分を見つめることも修行だと言われています。

 このように仕事やプライベートの生活を通じて、問題の設定、真理の追及、創造性の発揮をしていけば、十分学問をしていると言えるのではないでしょうか。我々はみんな哲学者なのですから。

 

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