メンターとしての中国古典
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紺碧の将

益者三友 損者三友

2019.05.28

 益者(えきしゃ)三友。損者(そんしゃ)三友。

 

 直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。

 

誰を友とするか

 

 この一節は、論語に登場するものです。その意味は、良い友人には3種類ある。悪い友人にも3種類ある。素直で正直な友、偽りがなく誠実な友、博識な友は良い友人。媚びへつらう友、表面は柔和で内心は不誠実な友、口先が達者な友は悪い友人。

 つまり、善い友は助け合って成功し、悪い友は誘い合って堕落する。例えば、高い志を持った仲間が集まってベンチャーを起こすのが良い友。悪知恵の働く仲間が集まってオレオレ詐欺を働くのが悪い友。どちらも頭のいい人たちでしょうが、社会に貢献する友人関係もあれば、人を不幸にする友人関係もあります。

 

いい選択がいい人生をつくる

 

 この一節は孔子が我々に、人や物事の鑑定眼を鍛え、より良い選択をする力を養うことの大切さを説いていると思います。

 コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は名著『選択の科学』で以下のように述べています。「人生は運命・偶然・選択の3つから成り立っている。この中で、自分の意思でコントロールできるのは選択だけ。従って、人生をより良く生きようと思えば、選択の質を高めることが大切になる」と。

 

判断基準を整理する

 

 友人以外にも、人生を左右する師、同僚、仕事、お客様、会社など、人生を左右するものがあります。ではそれらをどう選ぶか、私なりの考え方を整理してみました。

良い師の3種

 ・教養があり良い生き方を示してくれる人

 ・幾つになっても柔軟で若々しい人

 ・ダメなことはこっ酷く叱ってくれる人

悪い師の3種(そもそも師とは言えないが……)

 ・謙虚さがなく傲慢で品がない人

 ・教養がなく薄っぺらな人

 ・過去の栄光にすがり老害を撒き散らしている

 

良い同僚の3種

 ・志があって刺激をくれる人

 ・自分にない持ち味を持っている人

 ・視野が広く刺激をくれる人

悪い同僚の3種

 ・人間性と能力が劣る人

 ・マイペースが過ぎて自己中心的な人

 ・仕事も人生も諦めている人

 

良い仕事

 ・好奇心を刺激する仕事

 ・いい仲間がいる仕事

 ・儲かる仕事(笑)

悪い仕事

 ・マンネリ化した仕事

 ・自由度のない仕事

 ・メンバーが悪い仕事

 

良いお客樣の3種

 ・形のないものの価値を認める人

 ・長期思考、本質思考で一貫性のある人

 ・ケチでない人(笑)

悪いお客様の3種

 ・無形のものの価値を認めないコンサル嫌いな人(笑)

 ・拝金主義の人

 ・短期志向、表層思考の人(以上の人はそもそも私のお客様になりませんが)

 

良い会社の3種

 ・自由で闊達な企業文化のある会社

 ・管理が少なく自由度の大きい会社

 ・ニッチ市場で高付加価値志向の会社

悪い会社の3種

 ・人を大切にしない会社

 ・形式的保守的で縛りのキツイ会社

 ・軸のない会社

 

良い働き方

 ・自分の持ち味を活かして働く

 ・好きを楽しく没頭して働く

 ・人として成長し続ける

悪い働き方

 ・受け身で納期やノルマに追われて働く

 ・人や仕事にいい加減で不誠実

 ・金のためだけに働く

 

 これらの選択基準は、長年の経験より見出した視点であり、私の価値観を反映した極めて抽象的で主観的なものと言えるでしょう。

 

論理より直感

 

 人は正しい選択を行う為に、分析的に考えようとします。例えば、大切な要素を抽出し評価表を作る。そして複数案を比較・評価し合計点数を算出する。そして最高点をとった案を選択します。この方法は論理的でありますが、本当に正しい選択ができるのか疑問です。

 例えば、こんな評価表を使って生涯の伴侶を選んだ人はいるでしょうか? 一生続ける仕事を選んだ人はいるのでしょうか? 人生を左右する大事な決断は、好きや嫌いといった極めて主観的で曖昧な基準で決めているのであり、分析的論理的に考えるというよりは包括的な直感力に従っているのではないでしょうか。

 前述の『選択の科学』では、「幸福は多様で定義出来ない。幸せになる選択を阻害する要因として、数値化して判断することや自分が何が欲しいかが分からないことがあげられる。そして直感は今欲しいものを教え、理性は将来欲しいものを教える。人生は選択であり、選択は芸術である」と述べています。

 藤原正彦氏は『国家と教養』の中で次のように述べられています。

「論理などと言うものは風が吹けば飛ぶようなもの。状況や視点によっていくらでも変わりうる。変幻自在な論理などに頼らず、一刀両断で真偽、善悪、美醜を判断できる座標軸が是非とも必要。教養という座標軸のない論理は自己正当化にすぎず、判断は根無し草のように頼りない」と喝破されています。

 

教養は正しい選択をする力を養う

 

 ではどうすれば、より良い選択肢を設定し、より良いものを選べるのでしょうか。前述の藤原正彦氏は、教養の大切さについて次のように述べられています。

「教養とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力である」

 教養(リベラルアーツ)の起源は、古代ギリシャ時代に奴隷(≒アメリカ的奴隷)が自由人になるための技術として身につけたもので、音楽(文芸、詩歌、音楽)、算術(計算法や数論)、幾何学(平面図形)、天文からなる数学四科と文法、修辞、言語系の三科を指しました。

 そして現代の教養はと言えば、

1)人文的教養:哲学や古典など

2)社会的教養:政治、経済、地政学、歴史など 

3)科学教養:化学、物理、医学など 

4)大衆文化教養:大衆文芸、芸術、古典芸能、芸道、映画、漫画、アニメなどが対象となるのでしょう。

 このような利益に直結しない幅広い教養が、大局的な視点からの選択(決断)の根拠になります。また教養は人間的な厚みと魅力を引出し、良い人間関係をも築く土台にもなります。

 

誰かの良い友人になる

 

 引き寄せの法則と言われるように、類は友を呼びます。誠実な人には誠実な人が。向上心のある人には向上心のある人が。教養のある人には教養のある人が。そして人の悪口を言う人には悪口を言う人が。

 孔子の益者を友としようと思えば、まず自分が益者になるよう、教養を身につけ人間性を磨いて行く必要があるのでしょう。

 自分自身が誰かにとっての良い友人になり、そして一生の宝となる友を得たいものです。

 

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