メンターとしての中国古典
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紺碧の将

足るを知る者は富む

2019.05.14

「満足することを知っている人間が本当に豊かな人間である」という意味です。この一節は「老子」に書かれており、飽食の現代社会で賢く生きるために必須の考え方と言えるでしょう。

 

「欲」は成長の源泉

 

 人間は、「もっともっと」と何かを欲することで、そこに努力や創意工夫が生まれ、人として成長したり、社会が発展したりします。特に、科学文明の発展は目覚ましいものがあります。利益を追求することで、そこに競争が生まれ、より良いものが生まれ、陳腐化したものは淘汰され、新陳代謝によって社会が健全な形に保たれていると言えるでしょう。

 

マズローの欲求5段階

 

 人間の欲求については、マズローの欲求5段階説が有名です。5つの欲求とは、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、尊敬欲求、自己実現欲求です。

①生理的欲求は、生きていくために必要な基本的・本能的な欲求を指し、「食欲」「排泄欲」「睡眠欲」「性欲」などです。

②安全欲求は、安心・安全な暮らしへの欲求を指し、会社で毎月給料が得られ、衣食住の生活が安定するなどは代表的なものでしょう。

③社会的欲求は、友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求を指し、集団への帰属や愛情を求める欲求です。

④承認欲求(尊厳欲求)は、他者から認められたい、尊敬されたいと願う欲求を指し、能力や業績を評価されたい、有名な学校や会社など社会的地位の高さ認められたい(名声)などです。

⑤自己実現欲求は、自分の可能性の探求、創造性の発揮などを指し、自分の世界観・人生観に基づいて「あるべき自分」になりたいと願う欲求です。

 加えて、マズロー欲求5段階説には6番目の欲求があるとのことです。

⑥それは、「自己超越」の欲求です。言い換えると「無私」「無我」あるいは、あらゆる欲求にとらわれない「悟り」の境地と言えるのでしょう。利他の精神は人の為に働くことこそ喜びであり、それ自体が報酬であるというのです。

 

貪りはNG

 

 現代社会は、物質にあふれた飽食の時代です。お金の追求にはキリがありません。経済的物質的な豊かさを享受する反面、心を病んだ人や自殺者が増えており、人は本当に幸せになっていると言えるのでしょうか。

 欲は人を成長させるエネルギーになると同時に、悩みのタネともなります。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う言葉があるように、何ごとも度を越す、つまり、貪(むさぼ)りは良くありません。

 マズローの説く欲求について再考して見えると、食欲が強過ぎで食べすぎると胃腸の不調や肥満で健康を害することになります。性欲が強すぎると道徳的な問題を引き起こすことになります。安定欲求が強すぎるとリスクを避けて、変化やチャレンジを避け、保守的で柔軟性がなく時代の流れについて行けなくなります。社会的欲求が強すぎると、個人主義の現代社会では孤独感を必要以上に感じ、鬱になるかもしれません。承認欲求が強すぎると傲慢になり、人を押しのけたり、名声や権力のために不正を引き起こしかねません。自己実現欲求が強すぎると自己中心的になる危険性があります。

 

貧乏人とは

 

「世界でいちばん貧しい大統領」として有名になったウルグアイのホセ・ムヒカ氏は、「貧しい人間というのは、いつもお金ばかり追いかけ、それに囚われている人間を言うのである」 と喝破しています。 お金がらみのスキャンダルが絶えない日本の政界を見るにつけ、ホセ氏の言っていることは妙に得心できます。彼は現代社会の拝金主義・物質主義に対して、身をもって警鐘を鳴らしているのです。

 また、幕末の儒学の大家である佐藤一斎は『言志四録』で、「富を欲するの心は即ち貧なり。貧に安んずるの心即ち富なり。貴は心に在りて、物に在らず」と言っています。

 世の中にはお金持ちと貧乏人がいます。貧乏人はたいていもっとお金が欲しいと思っています。反対にお金持ちはお金に困っていないからもう十分と思っています。つまり、貧乏人は足りないと思い、金持ちは足りていると考える。だから、いくらお金を持っていても、もっともっとお金がほしいと思う人は貧乏人と同じと言えます。心が貧しい人、これが貧乏人です。

 仕事の話は金のことばかり、社員の幸せをまったく考えないブラック経営者。金や権力を私物化し次の選挙ばかりを気にしている政治家。業界の利益だけを考えている経済団体のリーダーなど、社会的に高い地位に就いても、心の貧しさを感じさせる人も少なくありません。  

 地位や権力、そして金を持つことで当初の志を失い、やがて傲慢になって心貧しい人間に成り下がってしまう弱さがあるということを肝に銘じておく必要があるのです。

 

吾唯足知

 

 スティーブ・ジョブズも生前訪れたという京都龍安寺の庭には、徳川光圀(水戸黄門)の寄進といわれる蹲(つくばい)が置かれています。中央の水穴が「口」の字で、それを囲むように「五・隹・疋・矢」の4字が刻まれています。これは、「吾唯足知 (われ ただたるを 知る)」と読むことができます。この意味は「金持ちでも満足できない人はできないし、貧乏でも感謝の心を持てば満足できる」ということなのだそうです。※蹲とは、日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。

 また、中国古典の大学に、「富(とみ)は屋(おく)を潤(うるお)し、徳は身を潤す」(原文は富潤屋、徳潤身)という一節があります。財産があれば、その家を立派にすることができる。徳(優れた人間性)があれば、自然とその人の身を立派にするということです。

 欲は腹八分目、人間性を磨き何ごとにも誠実に、欲を貪ることなく、心を広く豊かに、身体もゆったりとして落ち着いた態度で毎日を送りたいものです。

 

参考文献 拙著「豊かな働き方 貧しい働き方」(フーガブックス)

 

 

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