メンターとしての中国古典
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ココロバエ
禅ねこうーにゃんのちょっとした助言

大なるも不肖に似たり

2021.08.13

偉大なものは愚かに見える

 

「天下皆我れを大なるも不肖(ふしょう)に似たりと謂(い)う。それ唯(ただ)大なり、故に不肖(ふしょう)に似たり。若(も)し肖(に)ならば、久しいかなその細なるや」と言う老子の一節を取り上げます。

 その意味は「世の人々は私の説く道(谷や母のような根源的存在)を『偉大だけれど、愚か者のようだ』と言う。大きいから完璧でなく欠陥や欠落があるようで、世の常識や損得に合致せず愚かに思うのだ。もし道が世の常識や損得に合致していたら、もっとちっぽけで取るに足らない存在になっていただろう」となります。いかにも老子らしい、我々の固定概念にガツンと一撃を喰らわす一節です。

 

3つ宝とは

 

 さらに、「我れに三宝(さんぼう)有り、持(じ)してこれを保つ。一に曰(いわ)く慈(じ)、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢えて天下の先(さき)と為(な)らず。慈なるが故に能(よ)く勇(ゆう)、倹なるが故に能く広く、敢えて天下の先と為らざるが故に能く器(き)の長(ちょう)を成す。

 今慈を舎(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を舎てて且に広からんとし、後なるを舎てて且に先ならんとすれば、死せん。それ慈は、以(も)って戦えば則(すなわ)ち勝ち、以って守れば則ち固し。天将(まさ)にこれを救わんとし、慈を以ってこれを衛(まも)る」と続きます。

 

 その意味は、「私には三つの宝物があって、それを常に大切に守っている。第一に慈しみの心、第二に倹(つま)しく暮らす事、第三に人に先んじようとしないことである。慈しみの心があれば、人々のために勇敢になれる。倹しく暮らしているから、心が広々とし気持ちが豊かになる。人に先んじようとしないから、人々を上手く用いる指導者となれるのだ。

 もしも今、慈しみの心なくして勇敢であろうとし、倹ましく暮らさずに豊かになろうとし、人々を押しのけて先んじようとすれば、死あるのみだ。だが慈しみの心があれば人々を団結させて戦えば必ず勝ち、守りを固めれば敗れることはない。天もそんな人々を救おうとし、慈しみの心によって守ってくれるのだ」となります。

 

いいリーダー  VS 駄目リーダー

 

 上記の内容を整理すると、いいリーダーと駄目なリーダーの違いが明らかになります。

 慈しみの心(思いやり)があるからこそ、人のために勇敢になれる。つまり優しさと強さを兼ね備えているのがいいリーダー。

 慈しむ心はないが勇敢さはある。つまり自分勝手で傲慢で度を超えて大胆に振る舞うのが駄目リーダー。

 自分は倹約して質素に暮らし余裕を作り、人に広く施す豊かな気持ちを持ってるのがいいリーダー。

 自分は倹約せず贅沢に暮らし、人への施しは考えず自分の利益を優先し心貧しいのが駄目リーダー。

 人を押しのけて前に出ようとせず、後方から皆をよく観察して全体を良い方向に促すのがいいリーダー。

 人を押しのけ前に出て自分を誇示し、周囲への気配りもせず、無理やりに人を動かそうとするのが駄目リーダー。

 いいリーダーは人々を団結させ、組織的な攻撃力と守備力を兼ね備えた強いチームを作ることができる。そんな人徳のあるリーダーは天も味方して好運に恵まれる。人徳のない駄目リーダーはチームをバラバラにして弱体化させ、天も見放すことになる、と言うのです。

 

世の中の駄目リーダー

 

 現実の社会でいいリーダーを見つけることはなかなか難しいのですが、駄目なリーダーは容易に見つけることができると思います。最近目を覆いたくなるのが政治がらみの醜態です。原稿を読むだけで自分の言葉を持たない国家のトップとそんなリーダーを選んだ与党。金メダルを自分のパフォマンスのためにかじって偉大な選手の栄誉を汚した某市長。パワハラと贈賄を繰り返した元法務大臣。「不愉快な気持ちにさせたのならば謝ります」など、失言を平気で取り消して誠実さも反省の色もない面々。スポーツの祭典と引き換えにコロナウイルス感染爆発と医療の崩壊を誘発し、国民を危険にさらした政府と国際スポーツ機構。はぐらかし答弁や黒塗り文書で責任を回避し官邸に取り入り出世していく高級官僚。他にも不正改竄を知りながら何十年と黙認していた有名大企業の経営者など枚挙にいとまがありません。

 このような駄目リーダーに共通するのは、孔子や孟子が説く「仁」と「義」つまり人を慈しむ「惻隠の心」と不正を恥じ悪を憎む「羞悪の心」の欠如でしょう。この人格の問題は法律で裁くことが出来ないので厄介です。

 これはマスコミが作った虚像であり、我々庶民(愚民)には理解できない気高い世界があり、本当は偉大なのだが愚かに見えてしまうと言うのでしょうか。問題の根本はこのような政治家を選んだのは国民であり、政治に関心が薄く投票にも行かない国民の愚かさということなのでしょう。

 

「愚」と「賢」

 

 愚かとは、鈍い、考えが足りない、損をする、つまりバカであるということです。

「愚鈍」と言うと、知性や理性がない、理解力や判断力の欠如をさします。知性とは物事を知り、考え判断する能力であり、明確な価値基準を持つことが肝要です。理性とは知性と同様に物事を正しく判断する力ですが、真と偽、善と悪を識別する能力。美と醜を識別する働きであり、人間を人間たらしめ、動物との境界線となるものです。

 しかし、「愚直」と言うと、愚かなほど真っ直ぐである。明確な軸があってブレない。目先の損得や世間の常識に惑わされない。手間を惜しまずコツコツとプロセスに手抜きがない。途中で投げたり逃げたりしない。成功するまで諦めない。一貫性があって信頼性が高い。こんなポジティブな意味を持ちます。

 一方、「愚か」の反意語は「賢い」であり、頭の働きが鋭く、知能にすぐれている。利口で賢明、抜け目がない。要領が良く失敗しない方法を選択すると言う意味です。しかし、それが行き過ぎると、人間的に正しいかどうかではなく、損か得か、利益になるか否かだけで判断してしまう事態になり、不正や隠蔽、問題を力で捻り潰すことになります。

 愚を突き詰めると偉大になり、行き過ぎた賢は愚に至る。私たちは本当の「賢」とは何か、「愚」とは何か、その分水嶺を見極め取り返しのつかない選択をしないよう十分注意せねばなりません。

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