文筆ウーマンの子育て奮闘記
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習いごと問題と、親の影響

2019.05.19

Episode 7

 

5月も後半に入り、ようやく初夏の陽気が日本列島を覆っているようです。

こんなにも心地よい風が街をすり抜けているというのに、5月と言えば、5月病という、ありがたくもない言葉を連想する人もいることでしょう。

とくに今年のゴールデンウィークは10連休。いつもよりも長く、のんびりと過ごしたり、楽しい現実逃避をした人の中には、「いつもの日常」に戻ることに拒否反応がでる方もいるようです。

 

さて、ある日の学校での会議で、母親たちの座談会が始まりました。

「うちの子、部活やめるってよ」じゃなくて(笑)、

「連休が明けた途端に、うちの子学校辞めたいって言っていた」

というお母さんがいました。理由は、連休中、家でのんびりしていた幸せ感をずっと味わいたい、という小学1年生らしい可愛いものでした。

そのとき、このお母さんはどうしたか。

「そっか、お家にいるとラクだもんね。でも学校に行ったらお家ではできないお友だちとの遊びができて、楽しいかもしれないよ」

そう語りかけて、毎日学校の校門まで、一緒に通ったそうです。担任の先生にも事情を説明してのことでしたので、先生が校門までそのお子さんを迎えに来てくれて、何とか数日通ったそうです。

理由が理由なだけに、3日もすれば「連休ののんびりの幸福感」よりも、お母さんが言っていた「学校で友だちと遊ぶ楽しさ」の方が上回り、何ごともなかったかのように学校生活を楽しんでいるそう。

お母さんが「無理しなくていいよ、学校休もうか」と言っていたら、未だに学校に行きたくないと言っていたかもしれません。

今回のケースは、友だちや先生からのいじめなど、深刻な理由でなかったことを母親がわかっていたこと、お子さんの性格を理解していたために、「とにかく学校に行かせれば元に戻る」という確信があったことが良かったのでしょう。

「辞めたい」と子供が話したとき、親の対応が子供の未来を左右することはままあります。

 

学校は簡単に辞めることはできませんが、習いごとは少し訳が違います。

習うのも、辞めるのも自由。そこがまた難しいところです。

私が子供のころの時代と違って、現代っ子は習いごとが多いですね。

わが子は、公文(算数・英語)に週2回、空手とヨットにそれぞれ週1回で、1週間のうち、4日間習いごとに通っています。

週末に行うヨットの場合は、2日間にわたって行われるレースがあることもあるので、最大週5日間。

春から小学2年生になったとは言え、なかなかに大変そうです。

 

しかし、周りを見回せば、他のお友だちも同じようなハードさです。

空手、水泳、サッカー、英語。というほとんどスポーツ系の子もいれば、

ヨット、水泳、そろばんという、水にしょっちゅう入る子。

ピアノ、英語、公文という文化系の子。

どの子もたいてい3つか4つの習いごとを掛け持ちしています。

 

習いごとが多いのが良いのか悪いのか。それはわかりません。

ただ、大切なのは「子供にとって魅力的な習いごとなのか」という視点が大切だと私は感じています。

これを抜きにして、親が「将来のため」「進学のため」「内申点のため」という決めつけによって続けさせていたとしたら、習いごとを減らすという選択肢もあるかもしれません。

 

一方で、親の決めつけで、子供の成長の機会を奪うこともあるのではないか…、と感じることもあります。

 

ある日のヨットレース。

「○○くん、辞めたんだって」

同じクラブに子供を通わせているお母さんが教えてくれました。

「また?」
素晴らしい活動をしている(と私は思っている)クラブなのに、辞める人(とくに低学年)が多いのです。

彼女といろいろ話して
「結局、親がクラブにいろいろ求めすぎるんだよね」と、共通の意見が出ました。

オリンピック競技に使われていないカテゴリーのヨットだから辞めさせた、とか、コーチに怒られるのはいいけど、先輩に言われるのは納得いかない、とか
緩すぎる、組織が未熟、コーチが未熟などの理由で辞めた子が何人かいます。

一方、私や彼女は、親がさせてあげられない体験をさせてくれることに対して、感謝の念があります。

専門的なことを、しかも安全を管理してのことをやるのは本当に大変なこと。
先輩に怒られるのは嫌だというけれど、社会に出たら、そんなものではないし、
海の活動は命に関わるのだから、多少の厳しさは当たり前、というか、むしろ絶対に必要。
小さいころから親以外の先輩やコーチが叱ってくれて、指導してくれて、こんなに良い経験はないと思うのです。

 

以前、2日間の一人乗りレースに初出場をした最年少の長男がビリになったときのこと。

海上のクルーザーに戻ると、コーチと先輩たちは頭を撫でてくれ、泣きそうなときにはハグまでしてくれていました。

双眼鏡でそれを見ていた私は、なんて素敵な子供やコーチの集まる「ハコ」(=組織)だろうと思いました。

そして、わが子もあの優しくかっこいい先輩たちみたいに、年下の子を思いやれる子に成長してほしい、と願っています。

親の高望みも結構ですが、「ハコ」にクオリティーを求める前に、自分の子供に、もっと大切なことを教えるほうが子供のためになるのではないか、と思わずにいられません。

家庭それぞれの理由があるとは思いますが、

「ヨットクラブのせい」

「コーチ(先生)のせい」
「先輩のせい」
「学校のせい」
「塾のせい」
親が理想通りにいかなかったときに、いつもそうやって子供と接していたら、

いつか子供は、

「あいつのせい」
「会社のせい」
「社会のせい」
「世の中が悪いんだ」

…「自分は変わらないけどね、自分は悪くないけどね」

という思考回路になりはしないか、と心配になります。

案の定、先述した辞めてしまった子のお母さんは、通っている私立校についても、いつも不満があるそうで、親自身が周囲に不満をまき散らしているだけでなく、子供も、友だちとのけんかが絶えないそうです。

「自分は悪くない」という思考からスタートすると、必ず周囲とトラブルになるし、何より当人は他者から何も学ぶことができません。挙句の果てに、当人の心につねに不満が残り、些細なことで社会に苛立ちを覚える人になりかねません。

もちろん、そのような人は、その苛立ちを自分で解決しようとはせず、誰かがやってくれる、誰かがやってくれないから悪い、と苛立ちのスパイラルに陥ります。

 

先述したレースで、規定の時間までにゴールできなかった長男は、完走したものの、失格扱いになりました。
2日間も朝早くから頑張って、最後に失格。さぞ悔しかっただろうと思いますが、それも大事な経験。時間は誰にでも平等にあって、非情にも、時間はけっして待ってはくれない。そういう基本を学んだに違いありません。

長男は、海上のクルーザーで大粒の悔し涙を流しきったのでしょう。
先輩やコーチに、結果ではなく、失格になっても諦めずに完走したという頑張りを認めてもらえて、海から帰ってきたときには、さっぱりとした顔をしていました。

あのレースの後の、達成感に満ちた彼の顔を忘れることはできません。

コーチ、先輩たち、そして長男のような新人。その一人ひとりが、ただの「ハコ」を「素敵なハコ」にしていくのだと信じています。
そして長男もいつか、その大事な役割を担う一人になっていく。

どんな組織にでも、いろいろと文句を言う人はいるものです。

けれども、クラブのコーチ、先輩の少年少女、暖かく活動を見守るご父兄の方々に、私は感謝の言葉しか浮かびません。

 

習い始めた空手は、今年の1月に入門しました。

空手にはさまざまな流派があり、道場や師範によっても大きく違いがありますが、いくつか道場に行き、体験させてもらったなかで選んだのが、現在通っている道場です。

この空手の師範が素晴らしい人でした。

世界大会覇者だったということもあり、経験や視野の広さはもちろんですが、親しみやすくもあり、厳しくもあり、そのバランスが絶妙で、子供たちへの空手以外のことへの教え方も、見習うものがある方でした。

 

あるとき、少年部の上級生同士を戦わせたときのこと。

負けた少年に師範が語りかけます。

「おまえは始める前から負けるような気がしていただろ」

するとその子は答えます。

「押忍(おす)!」

師範はすかさずにこう言ったのです。

「おめでとう」

 

見ていた私も、子供たちも、もちろん言われた当人も「???」という顔。

師範はこう説明します。

「今、君は自分が思い描いたとおりの未来を、自分でたぐりよせた。“負ける”。君が信じたとおりになったんだ。おめでとう。

負けると思った試合には必ず負ける。絶対に勝つんだという気持ちがなければ、勝つことはできない。空手だけじゃないぞ。人生とはそういうものだ」

 

空手の型や技術を教える合間に、師範はいつもこのようなたとえを使って、子供たちに前向きにチャレンジすることの大切さを伝えます。

武道で師範と言えば、親より怖い相手。その相手が、厳しく優しくこうして語りかけるこの道場は、必ず子供のためになると確信しました。

 

無料体験を3回も4回も通わせ、それでも悩みに悩んだ長男。

道着姿のカッコよさ、色つきの帯の先輩たちのキビキビした姿。

そして上長を敬い、格下を可愛がるという雰囲気のおかげで、ようやく入門を決意しました。

最初は空手の基本の返事、「押忍(おす)!」も恥ずかしくて言えずに、蚊の鳴くような声しかで出なかった長男。

今にも泣きだしそうな表情で、ふにゃふにゃの手つきだった彼も、始めてから4か月経った今、嬉々として通っています。

今、彼の目下の目標は6月に行われる昇級試験。先輩たちのように色の付いた帯がほしくてたまりません。

少しずつ段階を経て、違う色の帯に変化していくことで、自身の成長が可視化できる。

このシステムも長男には向いていたようです。

 

自らの意志で選んで、自らの意志で続けさせる。

これが習いごとをさせるために、私がこだわっている部分です。

親にできることは、選択肢と必要な情報を与えてあげること。

最初は一緒に行って、体験して、先生や師範の人間性を確認すること。

試験や受験のためという短期的なゴールでもなく、将来のためという曖昧なイメージだけでなく、これを続けたら、君はこんな力が身について、こんなときに役立つはずだと、親が自信をもって伝えられることが大切です。

 

けれどもまだ甘えん坊の長男は、

二言目には「ママならどうしてほしい? やったほうがいいと思う?」と、聞いてきます。

でも、それに私は回答しません。

「ママの意見はさっき言ったね(習うことのメリットやデメリット)。

それを踏まえて君がどうするかは、君が決めなさい。小さなことから自分で決める。自分で選ぶ。それを訓練していかないと、あなたはいつか、誰かの奴隷となってしまうよ」

 

「自分に命令しない者は、いつまで経っても、しもべに留まる」

 

私の好きな文豪ゲーテは、そう断じました。

この言葉をすべてひらがなで書いたメモを、私は長男が小学校に入る前に、渡しています。

それでも「ねえ、ママならさぁ……」と聞いてくる癖は治りません。

ここでいつも、ボクとママの攻防戦。やるのはママじゃない。君の人生だよ。と何度も言って聞かせます。

 

そして必ず、こう付け加えます。

「ママは君が何かをやって失敗しても、けっして怒らないよ。だからその心配はしなくていいから」

 

自分で選んだ習いごとであっても、ときに泣き言を言う時もあるでしょう。

面倒くさいとさぼってしまう時もあるでしょう。

そして先生からお叱りを受けたり、仲間と意思疎通ができなくて悩むこともあるでしょう。

それは大人であっても、社会に出ても同じこと。

だからこそ、いつでもやり直せる時間が豊富にある子供のうちに、こうした訓練を重ねていくことが、強い心を作る土台になるのだと思います。

 

大きな木へと成長するには、見えない地中で下へ横へとたくさんの根っこをはやさなければなりません。

子供時代はその大切な根っこが、まだまだ、か細い時期でもあります。

子供たちが、親の見解や世間の常識を飛び越えてのびのびと思考し、好奇心と希望と、自分の可能性を信じる強い心を育てるために、親自身も学び続け、試行し続けなければなりません。

 

子供の可能性を生かすも殺すも大人次第。

親だけで抱えるのではなく、習いごとで指導する「その道のプロ」たちの力も借りて、大切な宝物を育てていかなければなりません。

社会経験も豊富な習いごとのコーチや師範の姿勢から、学ぶことの多い今日この頃です。

 

つねに学ぶ側だという気持ちを持てば、

何からでも学ぶべきことはあるという姿勢を持てば、

いくつになっても、心はいつもフレッシュな気持ちでいられます。

 

梅雨空前のこの爽やかな気候のように、清々しい毎日を送れますように。

 

schoenen Tag noch!

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