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紺碧の将
Interview Blog vol.83

自分なりの“食”の道を、瓶詰め加工で表現していく。

瓶詰工房 ファンキーパイン松島宏直さん

2019.08.25

松島さん

 

瓶詰加工業を中心にオリジナル商品(ジャム・ソース・ドレッシングなど)の販売・農家を対象にした商品開発プロデュース・教室(講座)の三本柱で幅広く展開をするファンキーパインの松島さん。料理の世界に憧れ食の道へ進むも、待ち受けていたのは苦難の連続でした。しかしその苦難こそが、今の松島さんの礎となっていると言っても過言ではありません。やがてたどり着いた瓶詰め加工業という道。何事も継続をすることが一番なのだと、松島さんは語ります。

料理の道を目指して

松島さんは調理科のある高校に進学していらっしゃいますね。中学生の段階でもう食の道へ進むことを決意するほど料理に興味があったのでしょうか。

 料理系のマンガやドラマ、それに当時は「料理の鉄人」という番組が流行っていて、そういうものに影響を受けた面もありますが、手に職をつけたいと思ったのが一番の理由ですね。

 勉強は苦手ではありませんでしたが、高校の普通科に進学して、大学に行って、その先に何があるのかまったく見えなくて。ずば抜けていい成績ならともかく、中途半端な学力で進学するくらいなら、思い切って料理の道へ舵を切ろうと思ったんです。

中学生のときにそこまで将来を考えていたんですね。

 実際はそんなに立派な考えではなくて(笑)。料理の世界は楽しいだろうとか、手に職さえつけば人生なんとかなるだろうとか、そんな甘い考えでした。今は結果的にこれでよかったと思えますけど、大学に進学しておけばよかったって、そう思った時期もありましたよ。

松島さん高校卒業後の進路はどのようなものでしたか。

 ホテルに就職をしました。そこで現場の厳しさを目の当たりにし、早速挫折しました。料理がすごく嫌いになり、支配人に辞めたいと言ったんです。でもその支配人は「ここはホテルなんだから料理以外にも仕事はある。俺が持ち場を回してやるから、いろいろな仕事を経験してみろ」と言ってくれて……。フロントや客室清掃、冬の間は系列のスキー場で雪道の中、お客様の送迎をしたり、いろいろな仕事をさせてもらいました。このときに料理以外の仕事に触れることができたのはいい経験でしたし、やはり自分は料理の道でやっていきたいんだと、改めて思うことができました。

他の仕事を経験した上で料理に対して前向きになれたことは大きな財産でしたね。その後はレストランに勤めていらっしゃいます。

 中華レストランに勤めましたが、お店の経営が芳しくなく1年ほどで辞めることになりました。

 料理の仕事をしたい気持ちはあれど、何をやっても上手くいかない。なんだか料理の神様に「お前は違う道に進んだ方がいい」と言われているように感じました。

 その後、派遣で工場勤務を1ヶ月ほどしましたが、全然おもしろくなくて……。そんなとき友達が病院給食の仕事に誘ってくれたんです。

それも一つの食の道、料理の仕事ですね。

 レストランやホテルで経験した料理の世界とはまったく違いました。今までは料理の技術を高めて評価を得ることこそが料理人の道だと思っていました。でもここではそうじゃなくて、もちろん技術を高めることは必要ですが、病院食は健康ではない人に作ることが基本なので、栄養面や衛生面、食べやすさなど技術以上に大切なことがあるわけです。こういう料理の仕事もあるんだなと思いました。

 ここでの経験と、このあとの学校給食の仕事が料理に対する考え方を大きく変えてくれました。大切なことに気付かせてくれた、大きな転機でしたね。

たどり着いた“食の真理”

大切なことに気づいたとは、どんなことだったのでしょうか。

 病院給食の後、定時制高校の学校給食を作る仕事に就きました。定時制の高校は給食を付けることが法律で決まっているんです。生徒は昼間働いて、学校に来て給食を食べてから勉強をします。いろいろな事情を持つ生徒に給食を作り、美味しそうに食べている姿をこの目で見る。「美味しかったよ」、「おかわりちょうだい」と言ってくれる。上手に言葉にできませんが、「こういうことなんだな」と実感したんです。

 毎日食べる“普通の食事”がどれほど大切なことか。そういう食事を提供する料理人も社会には必要なんだと思いました。たくさんの経験をして、たくさん辛い思いもして、いろいろな世界を覗いて、ようやくたどり着いた僕なりの“食の真理”でした。

料理人とはこうあるべきと思っていたことが、実はそれだけではなかった。料理という大きなカテゴリの中のひとつにすぎなかったということですね。

 ホテルに勤めていたときから一流の料理人になれと言われ続け、それこそ「料理の鉄人」に出るような高い技術を持った料理人を目指し続けて、でもやっぱりなれなくて……。劣等感しかありませんでした。でもこのときの経験で、料理ってもっと自由でいいんだと思えたんです。

料理の神様は松島さんにあえて遠回りをさせて、その考えにたどり着いてもらいたかったのかもしれませんね。学校給食の後、独立に向けて動き出したのですか。

 学校給食の仕事は契約期間が決まっていて、いずれ辞めないといけませんでした。先のことを考えたとき、自分の食を目指したい、自分のレストランを持ちたいと思い、それに向けて動き出しました。

 純粋なレストラン業からはしばらく遠ざかっていたので、勘を取り戻すために、再びレストランで働くことにしました。

松島さん最初は瓶詰め工房ではなく、レストランでの独立を目指していたのですね。

 もともと保存食はただの趣味で、20代前半の頃からジャムや燻製、乾物を作ることが純粋に楽しくてずっと続けていたんです。このときはこれで商売をしようと思っていませんでした(笑)。

 起業のため、創業塾という講座に通いました。ビジネスプランを書いて卒業なんですが、これがまったく書けなくて……。例えばどのくらいの敷地で、客席は何席あって回転数はどれだけ見込めるのか、そんなこともわからないわけです。

 一緒に通っている仲間は夢を追っていてキラキラ輝いて見える、それに比べて僕は……。ここでも劣等感を感じて、すごく落ち込みました。

結果的に瓶詰め工房で起業をされていますが、それにはきっかけがあったのですか。

 講座の仲間と打ち上げをしたときに、趣味でつくったジャムを配ったんです。それが好評で、皆すごいと言ってくれる。特別なことをしていると思っていないので、なぜそんなに褒めてくれるのかわかりませんでした。でも「意外と自分では作れないものだよ」と言われて。そこで初めて、趣味の保存食で起業するのはアリなんじゃないかと思ったんです。

創業塾とその打ち上げに参加していなかったら気がつけなかったかもしれませんね。そこで瓶詰め工房をやろうと決心をしたんですね。

 本当はレストラン+瓶詰めのお土産物販売という形をとりたかったのですが、レストランの厨房と瓶詰め加工の厨房は兼務することができなかったんです。瓶詰め加工は缶詰瓶詰製造許可なので、レストランとは許可が違うんですね。両方やるなら別々に厨房を作らなければいけなくて……。

 ならばと瓶詰め加工業でビジネスプランを書きはじめたら、すごい勢いで書けたんです(笑)。そこからは起業に向かって必死に進みました。レストランで働きながら、休憩時間の合間に無料の起業相談会に参加して、ビジネスプランの完成度を高めていきました。そのプランをコンテストに出したり、異業種交流会に積極的に顔を出したりして、今思うとすごく貪欲でしたね。

 でも、そこまでやってもいざ独立という決断をするのは怖くて、なかなか踏み出せませんでした。

続けることが大切

そこまで懸命に突き進んでも、いざとなると怖くて踏み出せないものなのですね。

 失敗しない保障なんてどこにもありませんから。ビジネスプランコンテストで決勝に残ったり、厨房の予定地がすんなり見つかったり、独立に反対していた親もちょっとずつ応援してくれるようになり、背中を推してくれる要因が重なり合って、ようやく踏み切れた決断でした。

 瓶詰め工房を立ち上げたときも、近しい人以外には言いませんでした。大々的に宣伝して、もしダメになったら恥ずかしいから、そのときは静かに辞めていこうと思っていました。

実際に独立をしてみてどうでしたか。

 最初はバイトしながらでないと生計が成り立ちませんでした。商品を作っても売り先がなく、土日にどこかのイベントを探して出店するしか方法がありませんでした。

 でもイベント出店を続けているうちに知り合いが増えて、毎週土日は必ずどこかのイベントで出店できるようになりました。その中で僕と同じように夢や理想を持って頑張っている人たちとつながって、そこから農家さんとのつながりもできて、商品開発の話が来るようになり、2年目あたりから少しづつ忙しくなってきて、この道一本でやれるようになりました。

保存食はずっと趣味ということですが、全部独学ですか。

 ドレッシング以外は全部独学ですね。本を買い漁って、試行錯誤して、レシピをつくって、10年以上ずっとそれの繰り返しです。レシピはもちろん、失敗例や成功例も全部書き留めてあります。その当時のレシピを未だに使っているんですよ。

 楽しいからやっていただけで、これが仕事になるなんて思ってもいませんでしたが、やはり継続は力なり、それが一番大切なんです。続けていてよかったと思います。

松島さんこの道でやっていけると思ったのは、やはり2年目あたりからでしょうか。

 未だにそう思っていないんですよ。毎日ビクビクしています(笑)。ファンキーパインのようなことをやっている前例がないので、どうすれば正解とか、これが目標とか、そういう指標がないんです。今もこれでいいのかわかっていません。だからちょっとずつできることを増やしていかないと不安でしょうがない。まだまだこれから、日々挑戦している気持ちです。

万が一、この道が閉ざされる日が来てしまったとして、その瞬間に後悔をすると思いますか。

 独立をしなければわからなかったことが数え切れないほどありましたし、やっぱり好きで始めたことですから、後悔することはまったくないと断言できます。オープン当初とは違って、今ならダメになったとしても恥ずかしいとは思いませんし、この経歴に胸を張れます。

 大変だし苦労もありますけど、自分で選んだ道だから受け入れられるし、それよりも楽しさや嬉しさの方が大きいですから。逆に独立しなければよかったと思ったことは一度もありません。家のキッチンで作っていたジャムが今はここまでになったんだと、そう振り返るとやっててよかったと心から思いますからね。

瓶詰め加工の商品開発をプロデュース

ファンキーパインの特徴やモットーはどんなことですか。

 すべて手作り、そして小ロットだからこその利点を最大限に活かしていることですね。作った人の顔がわかる安心で安全で美味しいオリジナル商品はもちろんですが、農家さんを対象にした商品開発プロデュースにもそれが最大限に発揮されています。農園で作った生産物で加工品を作りたいと考えたとき、どうしても商品開発って規模が大きいことのように考えてしまいがちですが、ファンキーパインなら小規模でも商品開発をすることができるんです。

松島さん商品プロデュースはファンキーパインの三本柱のうちの一つですね。小規模でも自分の生産物で商品開発をやりたいという農家さんの需要がそれだけ多かったということですね。

 そうですね、希望される農家さんは多いです。ただ、ある程度ビジョンを持っている農家さんでないとお受けできないのが現実です。商品というのは開発したらそれで終わりじゃないんです。開発した商品を売る、もしくは活用するのは僕ではなく農家さんですから、開発したものをどうするかまで考えないと結果は出ません。だからこそ、依頼する人と請け負う僕の二人三脚でやらないとゴールまではたどり着けないんです。

 ですからお仕事をお受けする前に、必ずヒアリングをします。どういう商品をつくりたいのか、どういう売り方をしたいのか、開発した商品をどう展開したいのか。しっかりと聞いて、その上で一緒に考え、これまでの経験に基づいてアドバイスをしていきます。商品を開発して終わりではなく、その商品の着地まで考え、やってよかったと思える結果を出してこそのプロデュースですからね。

商品開発のプロデュースは農家さんのみならず、幅広い展開が望めそうですね。

 世界に一つだけの瓶というプロデュースもやっています。結婚式の引き出物にしたり、会社の周年記念のお土産にしたり、特別な思いを込めた世界に一つだけの瓶詰めを作ることができます。

 例えば引き出物に使うご夫婦からは出身地を聞いたり、思い出の場所や好きな食べ物の話しを聞いた上でレシピを作ります。これは世界に一つだけの、そのご夫婦だけのレシピです。ラベルだけオリジナルじゃなくて、中身からオリジナルの瓶詰め。こういった展開も今人気があるんですよ。

今後の目標をお聞かせください。

 あまり先のことは考えないようにしています。人生設計が大切なことはわかりますが、僕の場合それをやってしまうと、その通りにしか動けなくなってしまう気がして怖いのが正直なところです(笑)。

 ただ、理想は持っています。職人気質を忘れないまま上手に経営ができるスタイルを身に付けていきたいと思いますし、世の中のライフスタイルにもっと瓶詰め加工品が身近になるようにしていきたいと考えています。半年に一回、家族で瓶詰め料理を作る日を決めて、それを保存食にする。何もなければ半年後にそれを食べてまた瓶詰めを作って保存しておく。そういうことが当たり前になっていくように情報を発信ができる人間になりたいですね。

Information

【瓶詰工房 ファンキーパイン】

〒321-0942

栃木県宇都宮市峰3丁目31-34「Akiya」内

TEL.070-1000-8982

HP:https://funky-pine.com/

mail:funky-pine@kem.biglobe.ne.jp

 

松島さん

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