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紺碧の将
Interview Blog vol.73

苦しむ選手を一人でも多く幸せにして、笑顔と元気を取り戻してもらいたい。

かみもとスポーツクリニック上本宗忠さん

2019.03.25

 

栃木県佐野市にあるかみもとスポーツクリニックは、県外からも評判を聞きつけた選手が通院するほど人気のスポーツクリニックです。その大きな特徴は、ケガを治して終わりではない、その先まで見据えた「トータルサポート」であること。医療を通してケガをする前より、選手としても人間としても成長してもらいたいと上本さんは言います。

医療を通してやりたいこと

スポーツクリニックにおける「トータルサポート」とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。

 一般的な治療はケガの痛みをなくすまでですが、 選手の現場復帰後を考えると、アスレチックリハビリテーションが必要になります。同じケガを二度としないために身体の使い方を修正し、その選手に合った動き方をつくるリハビリのことです。

 なかなかそこまで時間とコストをかけられないのが今のスポーツ医療の現状ですが、そこまでやらないと選手が本当の意味で現場復帰できないというのが私の思いです。

 診断から治療計画、メディカルリハビリ(社会復帰までのリハビリ)、そしてアスレチックリハビリを経て現場復帰と、流れるように選手をトータルでサポートすることがこのクリニックの大きな特徴ですね。

ケガをした根本的な原因がわからないと、また同じ身体の使い方をして再発してしまう可能性があるわけですね。

 そうなんです。もともとトータルサポートのターゲットは子供たちでした。子供って身体の使い方を感覚で覚えてしまうんです。ケガをしてもなぜそうなったのか理解できないので、また同じ身体の使い方をしてしまう。だから同じケガが再発しやすいんですね。

 ケガには必ず原因がある。それに自分で気づいてもらって、どうしたらいいのかを我々スペシャリストと一緒に考え、治療していく。されるがままの治療ではなく、気づき、変わっていく治療が大切です。

 本人にとってケガは辛いことですが、その経験を通して子供たちが考える力、気づく力、困難に立ち向かう力を身につける大きなチャンスととらえ、身体だけではなく、心までサポートする、そういうことを医療を通してやっていきたいと考えています。

トータルサポートという明確なビジョンがあるから、かみもとスポーツクリニックは信頼を得て、評判を聞いて県外からも選手が通院するほどになったわけですね。上本さんの理想に向かって開業からここまで順調に来たという感じがします。

 順調に来たとは言い難いですね。今でこそ理想に近づいたクリニックになってきたと思いますが、ここに至るまでは何度も壁にぶつかりました。開業当時は恥ずかしながら経営のビジョンが何もなくて、医師としての技術と知識さえあれば自分のやりたいトータルサポートがうまくいくと思っていました。

 いろいろなトラブルがあって、スタッフが半分以上辞めてしまったりして……。そこで振り返ったとき、技術や知識だけでは人はついてこないんだって気がつきました。

医者としての知識や技術がどれだけ優れていても、自分の理想を叶えるためには不十分だった。それ以外に必要なものがあったのですね。

 それは必要条件だけど、それだけでは充分ではなかった。足りないものは何だったのかというと、一つはこのクリニックのビジョンです。私の持っている夢や理想、なんのためにこのクリニックは存在するのか。経営者としてスタッフにそれを示していませんでした。

 もう一つは人間力です。壁にぶつかってからいろいろな本を読みました。先人の知恵に学ぶ古典の大切さもそこで初めてわかりました。困難の原因は自分の中にあると気づき、自らが変わらないと未来は好転しない。他人を責めても何も変わらないんです。

 そこから立て直して今に至っています。ようやく私の考えに共感するスタッフが集まってくれて、戦えるクリニックになってきたなと思います。

教師から医者へ、突然の進路変更

どのくらいの時期から医者を目指そうと思ったのですか。

 父が教師で、多くの人に慕われる父の背中を見て、自分も父のような教師になりたいとずっと思っていました。ところが高校3年生の夏、三者面談のときに母から「身内に一人もいない医者を目指しなさい」と言われて。突然のことだったのでビックリしましたよ(笑)。

それまでは教師を目指していたのに急な方向転換ですね。上本さんは素直にそれに従ったのですか。

 上本先生(父)の息子という見方をされることが多くて、それを裏切れない気持ちがあったんでしょうね。いい子供を演じていたんです。素直と言えば聞こえはいいですが、流されるままでした。あまり親に反抗もしたことがなかったですから。

進学のための勉強も大変だったと思います。先生から医者へ、まったく違う進路になったわけですから。

 案の定、現役では合格できませんでしたが、一年浪人で自治医科大学に入学しました。

 母の不思議な一言で進路が変わってしまい、それで人生が決定したわけですが、実は今の自分の医療を考えると、教師になりたかったこととつながっていたんです。ケガを通して子供たちに考える姿勢、気づく力を身につけて欲しい。挨拶をしなさい、靴をちゃんと揃えなさいなど、日本人が本来持っていたはずのマナーをしっかりと教える。家庭でも学校でもなかなかそういうことを伝えづらい、だったら私が医療という立場から彼らにそういうことを教育することができるんです。今ではあの時の母の言葉に感謝しています。

大学での勉強はどうでしたか。

 周りが優秀な人ばかりで、その中で落ちこぼれてしまって……。医者に向いてないと思うようになって、在学中に大型トラックの免許をとったんですよ(笑)。そう思いつめるくらい、大きな壁にぶつかっていました。

 でも学校を辞めずに6年間続けられたのは、ラグビーをしていたからなんです。苦しくても諦めないことを学び、一緒に頑張った仲間の存在が支えてくれたので卒業できたと思っています。最後はキャプテンを務めて、東医体13連覇の土台を創ったのは私の誇りですし、胸を張って語れる自慢です。

スポーツ医療を目指したのは何かきっかけがあったのでしょうか。

 一番のきっかけは師匠との出会いですね。研修先の整形外科の先生で、患者さんに寄り添った治療をされていて、関節鏡手術のスペシャリストでもあったんです。特に印象深いのは、県立の病院だと18時には診察が終わるところが多いのですが、その先生のスポーツ外来は20時までポツンと明かりがついていて、学生が診察を待っている。その光景を見た時に、自分もこんな医師になりたいと思ったことをよく覚えています。

その出会いからはスポーツ医療を目指して一直線ですか。

 その出会いがあってからは、整形外科のための知識や技術を磨きたいと、そう思うばかりでした。しかし次の研修は主に診療所での内科の医療だったんです。その時期は焦りましたね。悔しさもあった。同期はどんどん手術してうまくなっている、学会で発表している。自分は何をしてるんだろうって。道は示されているのにそこに向かえないもどかしさがありました。

 ところが不思議なことに、狙ってそうしたわけではないのに、このときの内科研修の経験が今の自分の医療に活きているんですよ。当時はそれに気がつきませんでしたが、実はちゃんと意味があった。こういうことって後になって気がつくものなんですね。

トータルサポートをやろうと思ったきっかけ、開業までの道のりはどのようなものでしたか。

 研修を10年、その後は自治医科大学の整形外科に入局して、大学院で研究をしました。物事を論理的に考える力がなかったので、それを身につけようと思いました。院を出てからは大学の関連病院で勤務しましたが、そこで経験した医療は「痛みが取れた=完治した」がほとんどだったんです。

 でも実際は、ケガの原因を特定して、動きの修正をしないと、再発してしまうケースが多いです。選手が復帰して、その後も活躍できる身体の動きをつくるまでがスポーツ医学のはずだと現場で強く感じました。だから私としてはどうしてもトータルサポートは外せない。その医療を目指すためには、自分で病院を開業するしかないと考えました。

大きなターニングポイント

リハビリ・トレーニング中心のクリニックでは、薬を処方する機会も少ない、注射などもあまりしませんよね。経営の部分で苦労があったのではないでしょうか。

 開業するにあたって、多くの人から、一般の患者さんを中心に診察して、軌道に乗って余裕ができたらスポーツ選手を診た方がいいとアドバイスをいただきました。確かに薬の処方や注射を中心にした医療の方が経営は安定するんです。でもそれでは私の理想(トータルサポート)につながらない。スポーツクリニックという名前は絶対に外したくありませんでした。一般の診療にエネルギーを使うと、本当にやりたいことがブレてしまうと思ったので、そこはグッと堪えました。

 そのかわりに、普通のクリニックで看護師さんがやることは全部私ができるんです。義務年限内の診療所で経験しましたから。当時はこういう形で内科の医療が役に立つとは思ってもいませんでしたけど(笑)。だから看護師さんを雇う必要がない。そういう部分でカバーしていました。

理想があって開業したのに、そこを譲ってしまったら意味がないと思ったのですね。

 この理想に共感してくれる選手は必ず来てくれるという感触はありました。実際に患者さんは増えています。

 そもそも開業の目的は儲けることではありません。もちろん成功したいとは思っていましたけど。自分の理想とする医療を成果として形にする。患者さんに喜んでもらって、何かあったら頼ってもらえる。その積み重ねの上に我々の仕事の成功があり、結果として報酬をいただけるんです。

 お金のために患者さんを診ることとはまったく逆なんですよね。これからもそれはずっと貫いていきたいと思います。

しかし冒頭でこれまでの道のりは決して順調ではなかったとおっしゃられていました。特にスタッフの半数が辞めてしまったという事件、そこには何があったのでしょうか。

 経営者という感覚がまったくなく、医者としての技術と知識があれば人はついてくるという勘違い……。驕りがあったと言っていいかもしれません。

 自信をもって開業して、トレーナーと受付と放射線技師と私の4人でスタートしました。患者数は順調に上向いて、スタッフも増えていきました。少しづつ大きくなっていく中で、患者さんさえ元気になればいい、喜んでもらえればいいのだから、みんな楽しくやろうよという感覚でスタッフに接していたんです。恥ずかしながら、体育会系の仲良し集団だったんですね。

 そうなるとスタッフも今日は休むとか、就業中に好きなことをやりはじめる。でも私自身、嫌われたくないから、注意はせずに我慢をしていました。でも、我慢も度が過ぎると心に影響が出るんです。あるときを境に、自分の診察室から出たくなくなってしまって……。

患者さんには理想の医療をしているはずなのに、クリニックはどんどんバラバラになっていく。経営のビジョンや経営者の人間力がいかに大切かよく分かるお話です。

 このクリニックって自分のクリニックだよなって思い悩むようになり……。ここからどう修正したらいいかわかりませんでした。

 このままでは悪化する一方なので、思い切って新しい方針を打ち出しました。やはり反発するスタッフもいて、8人いたスタッフが半分に減りました。残った3人も不安そうにしている。恥ずかしい話なんですが、最初は残ったスタッフをとどまらせるために、給料を上げるとか休みを増やすとか、そんなことを短絡的に考えてしまったんです。

 でもそうじゃないだろうと、また同じことを繰り返すのかと思い直し、すべて正直に話すことにしました。今までの経緯を話して、原因は自分にあるとまず伝えました。その上でこのクリニックはどういう方向を目指しているのかを説明して、最後に絶対裏切らないから信じてついてきてほしいと言いました。

 トップが道を示して、スタッフ全員が同じ方向に進んでいかないと理想というゴールにはたどりつきません。そのためにビジョン、経営理念を明確にして共有する、そういう組織づくりが大切だったんです。

上本さん自身、そしてクリニックとしても、大きなターニングポイントでしたね。

 スタッフとの接し方も変わり、理念に反することはしっかりと注意できるようになりました。もちろん楽しく仕事ができる環境をつくっていますが、上辺だけの優しさはもうなくなりましたね。

 それから“学ぶ”ようになりました。いろいろな本を読んで、それをスタッフにも伝えて。自分という人間を分厚くしていくことが必要だと痛感したんです。人間力の重要性を改めて感じたというか、自分が変わらないと人も変わってくれないし、ついてきてくれない。それを勉強した事件でしたね。

トータルサポートをもっと広く

理想とする医療が軌道にのってきたと感じたのはどのくらいの時期からですか。

 念願だったPFCC(Pre-Field Conditioning Center)という施設ができたときです。

 選手から「走り始めてもいいですか?」「ボールを蹴ってもいいですか?」「投げてはだめですか?」という質問をよく受けます。それに応えるために、専門スタッフと一緒に実際に自分で動きを確かめられる、屋外を意識した全天候型のコンディショニングセンターをつくったんです。

 裸足でも走れるように柔らかい人工芝を敷き詰めて、周囲には本格的なタータンのトラックを併設しています。これで思い切りボールを投げたり、蹴ったり、走ったりすることができます。

 ここにトータルサポートのバトンを引き継いでくれるスタッフが定着してくれたことで、私の理想とする医療の形に近づいたと感じます。

上本さんは午前中に手術をされることが多いとお聞きしました。年間約200件もこなすとか。

 開業するにあたって、子供たちがターゲットだったので9時〜17時の診療時間では通院しづらいだろうと思ったんです。じゃあ学校が終わったあとや練習のあとに来られるような時間帯にしようと思い13時〜20時30分にしました。そうすると午前中が空くので、それなら得意な関節鏡の手術をしようと。空いた時間に好きなことをやっているだけなんですよ(笑)。

診療時間が20時30分までだとすると、診療後の処理も考えると帰りはもっと遅くなりますよね。そのうえ午前中ほぼ毎日、手術をしているわけですから、これは大変な労働時間ですね。

 そうですね、でもこれが楽しいんです。御社の髙久社長がおっしゃられている「遊・学・働の三位一体」という言葉がストーンと来ましてね。生活の中に学びも遊びも働きもすべてあるんですよ。それで喜んでくれる人がいるわけですから、ほんとに幸せだし、天職だなって思うんです。これが私に与えられた使命なんだって感じることができます。

今後はどういった医療を目指していきたいと思いますか。

 トータルサポートという考えをこのクリニックの中だけではなく、もっと外に発信していきたいと思います。選手を中心に、ご両親や監督・コーチなど、いろいろな人との関わりのなかで、医療の情報を共有しながら、社会全体で選手をサポートしていくトータルネットワークをつくっていきたいです。

 また、選手や子供だけではなく、中高年やお年寄りにもトータルサポートを理解していただき、実践してもらうことで、もう一度自分の思うような身体の動きを取り戻していただきたい。

 最後に幼稚園や学校の運動指導にも関わっていきたいですね。このクリニックで選手を受け入れるだけではなく、今度は社会に出ていって、子供にも大人にもトータルサポートをする。自分の人生をまっとうできるような長寿が当たり前になる世の中を目指し、それが元気な日本につながってくれたら嬉しいですね。

Information

【医療法人 一燈会 かみもとスポーツクリニック】

〒327-0821 栃木県佐野市高萩町1315-8

TEL 0283-22-1114 FAX 0283-27-1168

HP:http://www.kamimotosportsclinic.com/

 

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