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紺碧の将
Interview Blog vol.61

日本の伝統音楽には、生き方のヒントが詰まっています。

一中節宗家十二世 都一中さん

2018.11.01

常磐津の家系でありながら一中節を引き継いだ、三味線方、12代目宗家の都一中さん。宗家を引き継ぐにあたり、師匠からありがたくも手放しで喜んでいいものか疑問の残る一言を言われたそうです。その後、大病を経て人生観が変わったことで生き方も楽になり、家元としての考え方も変わっていきました。現在は公演をはじめ、定期的に新宿東口にある京会席料理「柿傳」でファンの方々と食事を共にしながら「一中節が解き明かす、日本の音楽」と題して「都一中シンポジオン」を行っています。

常磐津から一中節へ

都一中さんは三味線方一中節の12代目宗家ですが、家系は一中節ではなく常磐津だそうですね。

 はい。一中節はほとんど世襲ではないんですよ。僕も先代の弟子の末端で「次はお前が一中になれ」と言われて仕方なくなったんです。最初はお断りしたんですけどね。「芸も人間も至りませんから私には無理です」と。ところが、お師匠さんは「お前が一番至らないからお前にするんだ。家元というのは一番至らなくていい」と言うんです。

家元が一番至らなくていいとは、どういうことですか。

 家元というのは何よりも一中節のことを愛し、何か問題があったときに謝ればいいと言われました。自分の知らないところで誰かがミスをしたら、それは全部自分の責任だと。それなら簡単だと思ってお受けしたんですけどね、そう簡単でもなかったです(笑)。

常磐津の家系にお生まれになっているにもかかわらず、なぜ常磐津ではなく一中節をされたのですか。

 一中節を継ぐまでは、ずっと常磐津をやっていたんですよ。だけど、常磐津の大名人だった菊三郎先生から一中節を稽古しろと言われたんです。お前は手で三味線を弾いてるからと。三味線というのは手で弾くものじゃなくて頭と腹で弾くものだと言われまして、当時はまったく意味がわからなかったのですが、最近ようやく理解できるようになりました。

頭と腹で弾くとはどういうことですか。

 

 頭は左脳を使った構築力、腹は右脳を使った表現力。つまり、知性と感性をミックスしてはじめて三味線が弾けるということです。一中節というのは数ある三味線音楽の中でも一番古典的な音楽で、たとえて言うならラテン語のようなものなんですよ。たとえば、ヨーロッパの文化を勉強しようと思うと、英語やフランス語、ドイツ語を勉強しますよね。さらに深く学ぼうと思ったらラテン語を学ぶ必要があります。でも、使われていない言語を学ぶのはむずかしい。一中節もそれと同じで、一中節を勉強しないと常磐津の三味線は上手に弾けないんです。しかも、頭と腹で弾けるようになるには、三味線ではなく語り方の浄瑠璃を学ぶのが先だと。それで、10年間、ひたすら浄瑠璃の稽古だけをやっていました。

大病から人生が転換

一中さんは伝統音楽だけではなく、洋楽にも精通されていますね。

 洋楽は昔から好きですね。若いころはベンチャーズやビートルズ、加山雄三のランチャーズに憧れて「ヘンチャーズ」というバンドを作っていたこともあります(笑)。

 クラシック音楽が特に好きでよく聞いています。三味線弾きとしては、クラシック音楽の演奏はなんとも自由だなあと思いますけどね。三味線音楽は作曲者によって使う楽器が違いますから、たとえばベートヴェンの音楽を弾く人は、一生ベートーヴェンの音楽に一番ふさわしい音を出す、ベートーヴェンを弾くためだけのバイオリンを作って、生涯ベートーヴェンだけを弾くというのが三味線弾きの考え方なんです。

なるほど。それはわかりやすいたとえですね。ところで、一中さんは大病されてから人生観が変わったそうですね。それはいつ頃ですか。

 ちょうど一中を引き継いですぐですから、40歳の頃です。ストレスなのか何なのか原因はわからないのですが、とつぜん頭が激痛に襲われて、検査をしたら脳下垂体腺腫という脳腫瘍でした。手術をしたんですけど、その時は本当に死ぬかもしれないと思いました。ただ、当時は一中節をやるのが苦痛だったものですから、脳腫瘍だと言われたときは、本心から「ラッキー」と思いましたよ(笑)。これで休めると思って。ストレッチャーに乗るのが幸せで、入院中なんてこの上なく幸せでしたね。

そんな状況で幸せと思えるのはすごいですね。

 それくらい一中節をやるのが嫌だったんでしょうね(笑)。それでも、休んでいる間に病気になった原因をずっと考えていました。何がいけなかったのかと。それで思ったのが、人に良く思われよう、優秀な人だと思われようっていう根性がいけなかったから病気になったんだろうということです。師匠からは至らなくていいと言われたけど、やっぱりどこかで家元は上手じゃなきゃいけない、なんでもわかっていないといけないとか、いろいろ思い込んでいたんですよね。だから、それからは人に笑ってもらえばいいと思うようになりました。

家元を引き継いだというプレッシャーもあったのでしょうね。

 そうかもしれませんね。今は、バカにされる人生でもいいから、そのかわり、何か自分ができることでお役に立ちたいと思います。死ぬかもしれないと思った時、「これからの人生は自分のためじゃなく人の幸せのための人生にしますから、どうか命をつないでください」とお願いしちゃいましたから(笑)。

 僕の人生で一番ラッキーだった体験ですね。完全に人生観が変わりました。今までは、嫌なことでも嫌だと言わない、誰に対しても良い人でしたが、今はワガママ身勝手です。でも、だからこそ、すごく応援してくれる人も本当の意味で増えてきています。反対に、嫌ってくれる人も増えていると思いますよ。

一中節の中にある普遍性

一中節のファンはどういう方が多いのですか。

 基本的には実業家の方が多いです。一中節が途絶えなかったのも、大旦那衆が支えてくれたお陰ですし、お稽古に来られる方も男性の経営者の方が多いです。しかも、おもしろいことに、みなさん、経営不振に陥ったときにお稽古に来られるんですよ。

それはなぜでしょう。

 なぜでしょうね。みなさん、執着を手放したいと言って稽古をされるんですけど、稽古をすることで良い発想が浮かぶらしく、「お陰さまで立ち直った」と言われることがあります。

 300年以上の歴史がある一中節は、美的にも人間的にも各時代の厳しい要求に応えながら残ってきているので、そういう伝統から何かを受け取るのではないでしょうか。実際、一中節の中には個人的にも社会的にも生じている諸問題を解決する答えがすべてあるとされています。といって、こうすればいいとか、ああすればいいなんて一言も書いていないんですよ。ただ、稽古をしていると「ああ、こうすればいいんだ」というものが浮かんでくる。それも、稽古をしてみないとわからないことです。

一般の人が体験することはできるのですか。

 できますよ。現在、月に一度、新宿東口にある京懐石料理の「柿傳」さんで一中節を味わう会、「都一中シンポジオン」を開いていますので、ご興味があれば、ぜひいらしてください。

(メイン、アイキャッチ撮影/森日出夫)

 

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