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紺碧の将
Interview Blog Vol.57

新たな挑戦が、また次の挑戦へとつながる。多業種経営の面白さがここにあります。

SUN FLAT PROJECT 代表取締役岡田陽平さん

2018.09.21

 

車事業・飲食事業・美容室の多業種を経営している株式会社SUN FLAT PROJECT(サンフラットプロジェクト)は、もともと中古車販売店でした。代表の岡田さんは常に将来を見据え、その時々の経験からさまざまなことを感じ取り、学び、自分と会社を成長させてきました。ある時期が人生の大きなターニングポイントだったと振り返ります。まさに人間万事塞翁が馬、岡田さんのこれまでの道のりをお聞きしました。

生き方を模索していた時期、独立までの歩み

株式会社サンフラットプロジェクトの多業種展開、それぞれ順調のようですね。車事業は新車販売やレンタカー事業の拡大、美容室「Celpico(セルピコ)」、飲食事業はラーメン店の「麺伝とも」「つるや」、それぞれにファンがいる人気店です。

 タートルズという中古車販売店からスタートして、創業当時は多業種展開をするなんて思ってもいませんでしたが、人との出会いやタイミング、それと“想い”、それぞれを大切にしていった結果、美容室やラーメン店を経営することになりました。

 もちろんここまで順調に経営ができているのはスタッフの力です。人材に恵まれているね、とよく言われますし、自分でもそう思います。

創業時に多業種展開は構想になかったのですね。そもそも起業することは学生時代からの目標だったのでしょうか。

 漠然と起業したいと考えることはありましたよ。でも学生の頃に夢を持って何かをしていたかと言われると、そうではありませんでした。父には手に職をつけるか中国語を学べと言われていましたが、勉強は嫌いだし、手先も不器用だし……。やがて高校を途中で辞めてしまいました。

 その後、手に職をつけることを意識して板金屋や建設会社に就職しましたが、続けられなかった。自分には合わなかったんでしょうね。

それで起業をしようと思い立ったのですか。

 いえ、まだまだ道を模索していました。転々と働いているうちに、手に職をつける仕事より、販売の方が向いていると思うようになりました。それで中古車販売店に就職をしたんです。車関係の道に進んだのは、父が車整備の仕事をしていたので、小さい頃から馴染みもありましたし、将来を考えると、いずれは自分もそういうお店を持つことができるかも、と思ったからです。

 結果的に販売の仕事は合っていたみたいで、そこでは10年間働きました。

その経験を得て、独立への道筋が見えてきたわけですね。10年という期間ははじめから決めていたのですか。

 正直、独立は難しいと思うようになりました。勤めていた会社は大手の中古車販売店で、現実的な数字が見えてしまったんです。大手でこの数字では、自分で小さなお店をやっても無理じゃんって(笑)。悩んでいるうちに10年経ってしまったという感じですね。

それでも独立を決意したのはどのようなきっかけがあったからでしょうか。

 先に独立をした会社の先輩が「俺たちは大手のいいところも見てるけど悪いところも見ている。それを直せば今よりも売れるようになる。だからお前も独立した方がいい」と言ってくれたんです。

 例えばその会社では、販売担当は売ることだけに専念しろという方針でした。最初はそれを疑問に思いませんでしたが、5年ほどやって考え方が変わりました。点検・事故対応・整備などのフォローができるようになってこそ、販売のプロなんだなって思うようになったんです。お客様の立場になって考えると、すごく大切なことだと思うんですよね。

そのアドバイスが決定的だったのですね。

 厳密に言ってしまうと、他にも理由はあって……。というのは荒んでいた時期がね……、あったんですよ。私生活が荒れていて、何もかもつまらなく感じて、馬鹿なことをやって借金をつくってしまった。だからサラリーマンのままだと厳しい面もあったんです。不純な理由でしょ(笑)。

 それに父にも相談をしました。一度しかない人生なんだからやってみればいい。もともとお前には失うものなんてないんだから、駄目だったら一から出直せばいいんだって言ってくれて、それはそうだなって。もう30歳を過ぎていましたから、ここが決断の最後のチャンスだと思いましたね。

一緒にやりたいと思える人かどうかが大切

そうすると独立はいわば人生の仕切り直し、再スタートという意味でもあったと思います。当時の心境はどのようなものだったのでしょうか。

 前の会社の同僚と二人で中古車販売店タートルズをスタート。売れるという確信はなかったし不安でした。利益の数字を頭に浮かべたときに、派手な生活さえ望まなければなんとか食べていけるかなと、そんな感じでしたね。

 ところが、いざやってみたら友だちやそれまでのお客様の協力もあって、思ったよりも売れたんです。不安を感じる暇もなく、しばらくは忙しさに追われていました。

経営面では順風満帆だったのですね。

 数字の上ではいいけれど、すぐに今のままでは駄目だと感じました。安い車を売るスタイルだったので、故障やクレームがそれなりにありました。お客様と揉めすぎるとスタッフがまいってしまうんですよ。だからある程度の故障は無償で修理していました。でもそれは販売数が好調だからできることで、低迷する可能性を考慮すると、そうなった場合、このスタイルでは必ず行き詰まると思いました。

 当時は常にスタッフと経営方針について話し合っていましたね。いろいろな販売スタイルを考え、10年後を見据えた経営方針をしばらくは模索していました。

他の業種を始めようと思ったのも、将来を見据えた結果だったのでしょうか。

 友人が中古車販売店をオープンして、ウチよりも繁盛していたんです。同じような販売スタイルなのに、仕入れや値付けのセンスで差をつけられている。それを見たときに、これは敵わないと思いました。この道一本でやっていくためにはこういうセンスが必要なんだって気づいてしまったんです。それで車の販売だけでやっていく自信をなくしてしまいました。

 だからと言ってやめるわけにはいかない、じゃあどうしようかと考えていたときに、美容室の話がきたんです。

新しい道を探し始めたタイミングで美容室の話がきて、それが多業種経営の始まりだったのですね。経営者として、美容室やラーメン店の経営はどう感じたのでしょうか。

 経営面では大きなマイナスはないだろう程度に考えていました。美容室「セルピコ」もラーメン店「麺伝とも」も、始めてすぐに大儲けしようと思ったわけではないんです。

 これは今でもそうなんですが、「これをやりたいから専門の人を探そう」ではないんですよ。「一緒にやりたい人がいるからこれをやろう」なんです。

 どちらも昔からつき合いのある後輩と始めたのですが、二人とも独立するならお店を大きくしていきたいという熱意があった。野望と言い換えてもいいでしょう。何か新しいことを始めるなら、そういう考えを持っている人がいいと思っていましたから、いつか一緒に仕事ができたらいいねという話しはずっとしていたんです。

 ほんとはね、経営者として損得勘定で動くべきなんでしょうけど、やっぱり思い切って異業種に挑戦するなら、出会いときっかけと熱意が大切だと思うんです。そういう動機の方が、たとえ失敗してもスッパリと諦めがつきますしね。

それぞれが太い根となり、やがて大樹となるために

いよいよ多業種経営が動き始め、株式会社サンフラットプロジェクトが誕生したんですね。名前の由来はなんですか。

 「人を大切にする、人と一緒にやっていく」が信条なので、プロジェクトチームのイメージにしたかったんですよ。サンフラットプロジェクトに関わる人たちは、他業種であっても一つのチーム。みんなの力で成功させるプロジェクトという意味合いが強いですね。

 ちなみにサンフラットっていうのは僕の名前、陽(サン)平(フラット)からとっています。

新しい業種に挑戦したことで感じたことはありますか。

 ずっと車関係の仕事をしていたので、すごく新鮮ですね。非常に楽しくやれています。

 それに経営面でも相乗効果が出ています。車事業の新しい展開も、他業種の売上があるから安心して挑戦できました。チームとしての土台がしっかりあるからこそ、それぞれの業種で挑戦できることが増えたんです。

 もちろんそれぞれに課題はありますけどね。例えば店舗を増やすなら職人を育てる必要があります。儲かるからすぐに次の店舗というわけにはいきません。そういう面ではやっと次のステップのスタートラインに立てたというところですね。

一時的にどこかの調子が悪くてもチームとして補い合える、支え合っているからこそ新しいことに挑戦する土台がある。まさにプロジェクトチームですね。

 調子のいい時期がずっと続くと保障されているのなら、わざわざ新しいことをやる必要はありません。でもそんな保障はあり得ない。売上が落ち込み、立ち行かなくなってから慌てても遅いのです。だからこそ、スタッフ全員がプロジェクトの根となり、一人ひとりが大きく強くなることで雨風にも揺るがない大樹になることが大切だと思うんです。

 それに学歴とか関係なく、頑張ればいい収入が得られるんだぞって、胸を張ってプロジェクトスタッフの全員が言えるようにしたいんです。僕一人が儲かればいいわけではなくて、スタッフの生活も良くしていきたいですから。

経験から感じる、学ぶ、そして自分が変わる

「人を大切にする、人と一緒にやっていく」という考えは、まさに今の岡田さんの生き方を表していると感じます。常に人に対して敬意がありますよね。

 会社に勤めていた頃、販売の成績はいい方だったので、調子に乗っていた時期があって。違う業種からこの業種に入ってきた人に対して、なんでこんなこともわからないんだとか、他人に対して上から目線で見てしまう自分がいたんです。

 でも30歳手前、タートルズをオープンする前くらいでしょうか。ひょんなことから週末だけファミレスでバイトをすることになって。その仕事を覚えるのにすごく時間がかかったんですよ。それなのに高校生の若い子たちはすぐにできるようになる。それで気づくことができたんです。人それぞれに得手不得手があって、ましてや慣れないことや新しいことがわからなかったりできないのは当たり前のことなんだと。

人との接し方が決定的に変わった瞬間だったんですね。

 スタッフにはどんな時、どんな人にもお客様だと思って接しなさいと常々言っています。業者の人に対して横柄な態度をとるなんて論外です。その人たちの仕事のおかげで我々の商売が成り立っているのだし、そもそも傍から見ていて不愉快です。お互いに気持ちよく仕事がしたいじゃないですか。

 上から目線で言われて嫌なことって僕自身たくさん経験をしてきたことなので、絶対に自分ではしないように気をつけています。

岡田さんのこれまでの歩みの中で、たくさんのターニングポイントがあったと思いますが、あえて一番を挙げるとどのあたりになるでしょう。

 難しい質問ですが、やっぱり荒んでいた時期ですかね(笑)。馬鹿なことをやりながらも、借金だけは可能なかぎり返済していました。それをしていなかったら、当然今の自分はなかったでしょう。すべてを投げ出してしまうか、最後の一線で踏みとどまるか、ここが大きな分かれ道だったと思うんです。

 独立のきっかけにもなったし、その時の経験は今の自分の考え方に大きく影響しています。人生の中では凄くマイナスなことなんですけど、大きく成長するために結果的には必要な時期だった……。そう思いたい(笑)。逆に借金がなかったら流されるままに会社員を続けていたかもしれませんし。

今後の目標をお聞かせください。

 それぞれの事業を大きく広げていき、プロジェクトチームとして上を目指していきたいと常々思っています。ワンランク上を目指して、それをクリアしたらまたその上を……。終わりはないですね。

 ただ、具体的にどうしたいかは、それぞれの現場のスタッフがどういう話を僕に持ってくるかで変わってきます。チームが大きくなるほど、現場からのアイデアが必要になってくるんです。

 現状に満足することなく、常に上を見て新しい展開を考える、そういう目線になれるスタッフが育ってほしいですね。

Information

【株式会社SUN FLAT PROJECT】

〒320-0856 栃木県宇都宮市砥上町957

TEL.028-648-0303 FAX.028-666-4370

E-mail sunflatproject@gmail.com

http://sunflat.jp/

 

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