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紺碧の将
Interview Blog Vol.56

自力で切り拓き歩んできた道のりも、これからは馬とともに歩いてゆく。

有限会社イネッツ・ツー代表取締役、調教師坂口昇さん

2018.09.11

誘導馬の管理や調教などを請け負う会社、有限会社イネッツ・ツーの代表を務める坂口昇さんは、競走馬としての役割を終えた馬を誘導馬へと育てなおすプロフェッショナル。現在は、調教師として大井競馬場からの請負で調教管理を行なっています。物言わぬ馬との信頼関係を結ぶために、ほとんど毎日、厩舎に泊り込んで生活を共にしているのだとか。ビジネスパートナーであり家族でもある馬へ無償の愛を注ぎ続ける坂口さんに、これまでの来し方とこれからの豊富を語っていただきました。

馬に魅せられて

以前、大井競馬場で誘導馬に乗って先頭を歩いている坂口さんを拝見しました。本当にかっこよかったです。誘導馬の調教をされて何年になりますか。

 20年以上になるでしょうか。それまでは、西武セゾングループで流通の仕事をしていました。昭和56年頃に乗馬ブームがあって、デパートのスポーツ用品売り場に乗馬用品コーナーがあったんです。そこで働いていました。

そのときは、直接馬とかかわることはなかったのですか。

 最初は馬具を売るだけでした。でも、それでは物足りなくてね。馬の買い付けをしてみたかったんですよ。自分で買い付けた馬で乗馬クラブを作りたいという思いがあって、当時のセゾングループの役員たちに提案したんです。「乗馬の世界大会を開きましょう」と、書面にして直談判しました。数年後、それが現実になり、初めて行ったオーストラリアでは6頭を買い付けました。

もともと馬が好きだったのですか。

 はい、子供の頃から馬が好きでした。近所に日本を代表する馬術家のお兄さんがいて、そのお兄さんにくっついて柏の乗馬クラブによく通っていたんです。馬がかわいくてね。そのうちブラッシングや足の蹄の掃除など、馬の世話を手伝うようになって、ますます馬が好きになりました。馬にかかわる仕事がしたいと思うようになったのも、その頃からです。

実家との決別、拓かれた道

聞くところによると、坂口さんは料理の腕前もプロ級だそうですね。

 ええ、まあ(笑)。昔は料理人でもありましたからね。日本料理店やそれ以外の飲食店でも働いていたことがあります。
 僕ね、中学校のときに家出したんですよ。親父とケンカして。それ以来、数年間、家には帰っていないんです。家を出たあと、知り合いのところに居候させてもらって働きながら学校に行きました。中学、高校、大学とずっとです。そのときの居候先というのが、馬術家のお兄さんのところで、餃子の製造工場を営んでいたのです。そこで住み込みで働きながら学費を稼いでいました。それ以外にもいろんな仕事をしましたよ。

調教師になったきっかけはなんですか。

 西武百貨店を辞めた後、大井競馬場から輸入した馬を誘導馬として再調教するのに手を貸して欲しいと話がきたのです。ちょうど、大井競馬場がナイター競馬を始めるという頃で、照明にひときわ目立つ馬(馬体がゴールド・タテガミがシルバー/毛色名パロミノ)が選ばれたり、新規開拓事業として一般の女性を対象とした「レディース乗馬スクール」が企画されていたときでした。僕が西武でオーストラリアやアメリカから馬を買い付けていることを知って、話が回ってきたのです。スクールの現場担当を含め、誘導馬の調教管理などを運営する事業を民間事業としてやってみないかと声がかかりました。

馬との絆のつくりかた

輸入した馬を調教するのは大変ではないですか。

 僕が大変というより、馬の方が大変ですよ。海外からきた馬は環境に慣れるまで興奮していますからね。馬にとっては見知らぬ土地に連れてこられたのだから当然でしょう。何時間も狭い檻の中に入れられて飛行機で運ばれてくるんですよ。暴れるのは怖いからです。「助けてくれ」って言っているんです。

噛みつかれることもありますか。

 もちろんです。厚手のジャンパーなどを着て自由に噛ませてあげます。そういうことを繰り返していくと、馬も安心して身を任せてくれるようになります。
 僕がはじめて誘導馬を調教することになったとき、前任者から引き継いだ馬はすぐになついてくれませんでした。前任者とは16年間一緒に過ごしていますからね。ですから、早く僕にもなついてくれるようにと、その馬と馬房の中で寝起きをともにするようにしました。そうやって、少しずつ、信頼関係を作っていきました。

誘導馬と競走馬では調教の仕方も違うのですか。

 違います。大抵、競走馬だった馬が誘導馬になることが多いのですが、競走馬は基本的に運動能力重視で、早く走らせるための調教をしますからね。だから、競走馬だった子は、引退した後も突然走り出しちゃうことがあるんです。そのときに「もうおまえは競走馬じゃないよ」ってことを教えなきゃならない。
 毎日の競走馬の調教は、馬にとっても厳しいことですから、厩舎の外に出ることはつらいことだと思います。その記憶を取り払ってあげる。ただし、それまでとはまったく違うことをするわけですから、ひとつひとつゆっくりと時間をかけて教えていく。そのためにも、馬に「この人は安心できる」と信頼してもらう必要があるのです。

だとすると、競走馬としての期間が長ければ長いほど時間がかかりますね。

 はい。だからこそ、時間をかけて信頼関係が持てるまで待つ。馬との良い関係を築くにはそれしかありません。以前、競技馬を調教したことがありますが、あのときは僕も馬を御そうとして厳しく調教していましたし、きついこともたくさん強要していました。でも、誘導馬の調教師になって、指導の仕方が変わりました。馬に信頼してもらうためには、とにかく待たなきゃいけない。すぐにどうにかなるものではないんです。時間をかけて、じっくり馬と対話するんですよ。どうしてほしいのか、何がしたいのかと問いかける。大丈夫、怖くないから安心しろってね。

馬から教わったこと、そしてこれから

馬は応えてくれますか。

 応えてくれますよ。馬は言葉を聞いているということだけでなく感情や言霊、声のトーンを聞いていますからね。こっちがイライラしたり、怒っているとすぐにわかります。その反対に、穏やかな気持ちの時や、嬉しい時なんかの気持ちもわかります。
 特に馬はね、酔っ払いと子供には悪さはしないんですよ。僕が酔っ払って帰ってくると、「何飲んで来たの?」って顔を近づけてくる。だから、わざと酒のにおいを嗅がせてやるんです(笑)。

人間みたいですね(笑)。

 ええ、馬も人間と同じです。人間以上に、馬は敏感で気遣いをする生き物です。人間関係を築くのも、馬との関係と同じなんでしょうね。そういうことも含め、僕は馬に大切なことをたくさん教えてもらいましたし、今も教えてもらっています。

今後はどのような展開を考えていますか。

 これまでもアパレル会社など、調教師と同時進行で販売ビジネスを手がけていましたが、今は馬の餌や厩舎に敷き詰める藁の輸入業を展開しています。この事業をさらに発展させていきたいと思っています。
 現在、20年近く交流のある中国の友人たちと協力し合い農産物加工工場を建設(初年度、2600トン生産)しています。
 約2年かけて漸く農林省からの輸入許可もいただき、2019年から本格的にビジネスが開始されます。

(写真上から:誘導馬ナイキスターゲイザと、場内を歩く誘導馬と女性誘導馬員、誘導馬4頭エンビ姿の女性誘導馬員たちと)

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